近江富士。
りんごジュース
お味噌と混ぜたら、シャバシャバになっても塩辛い…あかん。
「なんで?」
「おれが家から持ってきた。」
がヨハン ライルの詩に曲をつけました。
また来てしまいました。
栗東の長男宅。
今回は連絡をしておいたので、家にいました。
道の駅あぐりで焼き立てのミンチカツと野菜を買って、調理…。
道の駅で買った白茄子。「田楽が美味しいですよ。」と言われて途中まで作った後に気がついた!
お醤油と、お砂糖と、味醂が無い!
冷蔵庫の中をさらったら使えそうなのは
りんごジュース
お味噌と混ぜたら、シャバシャバになっても塩辛い…あかん。
なぜか「これあったよ。」と、夫。
ブルーベリージャム。
「なんで?」
「おれが家から持ってきた。」
りんごジュース入りのお味噌と混ぜたら、まあ、いけるかも。
賞味期限切れのかぼちゃスープにむらさき露草を浮身に投入。
ピーマンとツナ缶の和え物と、オクラの天ぷら、道の駅特撰のひじきがんも
白なすの田楽。
「これはちょっと食べれんかも。」と言っていた長男も完食。
見かけは悪いけど、まあまあ食べれました。
もちろん、食後、買物に走りましたよ。
近江富士は本当は三上山といいます。
紫式部が
「打ち出でて 三上の山を 詠れば 雪こそなけれ 富士のあけぼの」
と、詠んだことから「近江富士」と呼ばれるようになったそうです。
中世以降、燃料採取のためにはげ山になりました。
織田信長が惨状を見兼ねて、街道から見えない所から採取するように命じたとか…。
1618年になると徳川秀忠が植林し、保護するようになりました。
以来、青々とした緑が繁り、
松尾芭蕉が
「三上山のみ夏知れる姿かな」
と、詠むまでになりました。
「緑の中の歌」op93 D.913は
フランツ シューベルト(1797-1828年)神聖ローマ帝国オーストリア大公国リヒテンシュタイン生まれ、オーストリア帝国ウィーン没
がヨハン ライルの詩に曲をつけました。
ヨハン ライル(1773-1843年)エーレンブライトシュタイン生まれ、ベンツィング没
菓子職人の息子として生まれ、役人をしていました。
1800年から1804年の間と、1809年から1832年の間ウィーン王宮劇場の俳優となっていました。
同僚のフランツィスカ アドラーと結婚しました。
劇作家、台本作家、演出家として活躍しました。
緑の中の歌op.93 D.913
1.緑野へ、緑野へ!
春という愛らしい少年がわれわれをそこへ誘い、
花を巻き付けたステッキでわれわれを導く。
出かけよう、ひばりやつぐみがとても元気な場所へ、
森へ、野原へ、丘へ、小川へ、
緑野へ、緑野へ。
2.緑野で、緑野で!
そこでは楽しく暮らしたり、喜んで歩き回ったりする。
そしてすでに遠くからそちらへと見やる。
そして陽気な気分でわれわれは歩き回ると、
子供のような喜びがいつもわれわれを包む。
緑野で、緑野で。
3.緑野で、緑野で、
ここでくつろぎ、こんなに素晴らしいものを感じ、
のんびりとあれこれ考える。
ここから魔法をかける、ああ!われわれの気分を滅入らせるものに。
この胸を魅了するものはすべて集まれ、
緑野で、緑野で。
4.緑野で、緑野で、
そこでは星々はとても澄んでいて、
太古の世界の歌がわれわれの人生を統率するものとして星を讃える。
小さな雲の数々はやさしくあちらへと動き、
心は明るくなり、感覚は澄みわたる、
緑野で、緑野で。
5.緑野で、緑野で、
多くの計画が翼に乗って運ばれた、
不愉快な[光景(※NGAの歌詞も同じような意味)]の未来は捨て去り
そこで目は強くなり、まなざしによって元気になる。
[望みはやさしく揺れて行き来する、
(NGA: 憧れは行き来しながらすぐにたわむれる)]
緑野で、緑野で。
6.緑野で、緑野で、
朝に、夕方に、心地よい静けさの中、
かなり多くの歌や牧歌[が生まれ(NGA: となり)]、
[そして婚礼の歌はしばしば詩的な冗談に花冠をかぶせる。
(NGA: 喜びや苦しみを伴って詩作したり、遊んだりした。)]
というのも、誘惑はたやすく、心は感じやすいから、
緑野で、緑野で。
7.おお、緑野にいるのが
すでに青少年の時に好きだった、
私は学んだり、手紙を書いたり、本を読んだりしたものだ、
ホラティウスやプラトン、それからヴィーラントやカントを。
そして燃え上がる心の私を幸せだと言った。
緑野で、緑野で。
8.緑野へ、緑野へ!
親切な少年のあとを陽気について行こう!
われわれの人生が今後いつか若返ることはないとしても、
賢明にも若い時期をなおざりにはしなかった。
そして若さの効力があった時には、幸せを夢見ていたものだった。
緑野で、緑野で。