キューポラ(鋳物工場)のある町、川口。
職場の一事業所が川口にあった関係で、よく川口へ訪れた。
風向きによって、鋳物独特のにおいがし、下町工場という感じだった。
この映画は、1962年作品。まだ、町工場から大企業への転換時期だった。
おかげで、人員整理で、職を失った昔気質の職人の一家の物語だ。
長女は、中学三年生。彼女を当時18歳の吉永小百合が演じ、実に初々しい、それいて見事な演技だった。
今見返してみると、もうおばあちゃんになった吉永小百合、その目がやはり生きていた。
監督は浦山桐郎、師匠の今村昌平の協力を得て、当時の社会状況を丁寧に描いている。
ちょっと「にあんちゃん」に似て、貧困ゆえの悲劇と希望を持った少女の闘争物語となっている。
一度は自暴自棄となり、危うく社会の牙に襲われそうになる。
力づよく、未来を見据える少女の成長物語でもある。
北朝鮮帰国事業が、少女の友達の話としてクローズアップされ、当時の状況がしのばれる。
今では得難い社会派ドラマだ。
職場の一事業所が川口にあった関係で、よく川口へ訪れた。
風向きによって、鋳物独特のにおいがし、下町工場という感じだった。
この映画は、1962年作品。まだ、町工場から大企業への転換時期だった。
おかげで、人員整理で、職を失った昔気質の職人の一家の物語だ。
長女は、中学三年生。彼女を当時18歳の吉永小百合が演じ、実に初々しい、それいて見事な演技だった。
今見返してみると、もうおばあちゃんになった吉永小百合、その目がやはり生きていた。
監督は浦山桐郎、師匠の今村昌平の協力を得て、当時の社会状況を丁寧に描いている。
ちょっと「にあんちゃん」に似て、貧困ゆえの悲劇と希望を持った少女の闘争物語となっている。
一度は自暴自棄となり、危うく社会の牙に襲われそうになる。
力づよく、未来を見据える少女の成長物語でもある。
北朝鮮帰国事業が、少女の友達の話としてクローズアップされ、当時の状況がしのばれる。
今では得難い社会派ドラマだ。