1935年作品。
今から75年以上前の作品。
監督は、当時28歳の山中貞雄(若くして死亡)。
今の若い人には、丹下左膳といってもピンと来ないかも。
1927年に新聞連載された林不忘原作の時代小説で活躍する剣士。
「箒のようなあかちゃけた毛を大たぶさに結い、右眼の上には大きな刀傷がある隻眼。おまけに右腕がないという片眼片腕の怪剣士。髑髏の紋を染め出した黒襟の付いた白地の着物で、下には女ものの派手な長襦袢を着込んでいます。」
映画会社が競って映画化し、これが大当たり。この中で一番人気を博し、映画化の多い俳優が大河内傳次郎。
で、今回の作品、余話とあるように、剣士そのものの話でなく、百万両の壺の話だ。
柳生藩で、百万両のありかを記したツボがあることがわかるが、すでに当主の弟が持ち出していた。
それを、奥方が屑屋に売り渡し、屑屋はとなりの男に。ところが隣の男は博打で大負けし、斬られてしまう。
残された子供がツボごと、父の死に際を見届けた、遊技場の女将とその居候丹下左膳に引き取られる。
で、この映画、実にうまく作られた喜劇だ。居候の左膳とか、養子で浮気ぐせのある男とか、まあ、ちょっと外れた男たちが主人公で、遊戯屋の女将や娘に惚れ込み、江戸前の本音と建前のうまい使い分けで人情味を感じさせる。
そこここに才気が見られ、古い作品でありながら飽きさせない。見事な作品だ。
特に、居候で、子煩悩な男が、いざという時に立ち回るその剣戟の凄まじさ。一見の価値がある。
今から75年以上前の作品。
監督は、当時28歳の山中貞雄(若くして死亡)。
今の若い人には、丹下左膳といってもピンと来ないかも。
1927年に新聞連載された林不忘原作の時代小説で活躍する剣士。
「箒のようなあかちゃけた毛を大たぶさに結い、右眼の上には大きな刀傷がある隻眼。おまけに右腕がないという片眼片腕の怪剣士。髑髏の紋を染め出した黒襟の付いた白地の着物で、下には女ものの派手な長襦袢を着込んでいます。」
映画会社が競って映画化し、これが大当たり。この中で一番人気を博し、映画化の多い俳優が大河内傳次郎。
で、今回の作品、余話とあるように、剣士そのものの話でなく、百万両の壺の話だ。
柳生藩で、百万両のありかを記したツボがあることがわかるが、すでに当主の弟が持ち出していた。
それを、奥方が屑屋に売り渡し、屑屋はとなりの男に。ところが隣の男は博打で大負けし、斬られてしまう。
残された子供がツボごと、父の死に際を見届けた、遊技場の女将とその居候丹下左膳に引き取られる。
で、この映画、実にうまく作られた喜劇だ。居候の左膳とか、養子で浮気ぐせのある男とか、まあ、ちょっと外れた男たちが主人公で、遊戯屋の女将や娘に惚れ込み、江戸前の本音と建前のうまい使い分けで人情味を感じさせる。
そこここに才気が見られ、古い作品でありながら飽きさせない。見事な作品だ。
特に、居候で、子煩悩な男が、いざという時に立ち回るその剣戟の凄まじさ。一見の価値がある。