季節の花と言葉の花束

写真付きで季節の花や言葉の意味をを書くならgooブログ

季節の花の紹介と言葉の花束を書いています。

東海道五十三次(藤川宿)

2007-12-21 07:36:53 | インポート

藤川宿は東海道以前の鎌倉街道時代からあった古い宿場である。藤川宿と言えば「むらさき麦」が有名。芭蕉の句にも「ここも三河むらさき麦のかきつばた」とある。現在、宿の西の出入り口の畑に「むらさき麦」の栽培地がある。
国道を外れると静かな町並みの藤川宿に入る。西の棒鼻を過ぎると松並木が続く。乙川は源氏ボタル発祥の地と言われる。

藤川宿の江戸よりの入口に東の「棒鼻」に着く。名物の麦ご飯を食べれる。

岡崎は、八丁味噌の町。筋違橋を渡ると「岡崎二十七曲」が始まる。城下町は防衛のために街道をジグザクにしたらしい。本陣跡を過ぎ矢作川まで続く。

岡崎宿迄は6.6kmの道程である。


広重の絵は「藤川・棒鼻ノ図」である。幕府から朝廷へ馬を献上する行列が、棒鼻を通過して藤川宿に入る様子が描かれ ている。 身を低くして行列を迎える宿役人、そのうしろに子犬を配しているのが滑稽


冬にも見られる「葉ぼたん」

開花時期は、  4/  1頃~  5/10頃。     
・ヨーロッパ原産。17世紀に渡来。             
・写真左は花が出てきていない状態のもの。       
  2月頃から中央部がだんだん盛り上がってきて、 
  4月頃からその先端に花をつける
  「駿河の初日(するがのはつび)」などの       
  園芸品種も多い。                           
 
・キャベツやブロッコリーの仲間。               
  葉はキャベツにそっくり。                     
  「花キャベツ」という別名もある。

(季節の花300より)


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東海道五十三次(御油宿)

2007-12-19 06:20:19 | インポート

桜並木の美しい音羽川に架かる小さな橋を渡ると、御油宿である。川のそばにある御油松並木資料館には、家康が命じて植樹させた松の切株が展示されている。御油宿を出ると迫力のある御油松並木が600m続く。
赤坂には、1715年頃の創業時の建物で、現在も営業している旅籠「大橋屋」がある。玄関は鶯張りの床や急な階段も江戸時代からかわらないそうだ。
大橋屋の裏手には由緒ある常泉寺があり、境内には江戸時代からのソテツの木がある。

隣の赤坂宿まで僅か1.7km、五十三次で最も短い距離である。


広重の絵は「御油・旅人留女」である。御油の宿は、旅館の客引きが強引であったことで名高く、図でも客引きの景がユーモラスに描かれている。この図で興味深いことは、宿屋の壁に書かれた文字である。この中に五十三次の出版元・絵師・彫り師・摺り師・題名が示されているが、ことに彫り師と摺り師の名が出ていることは珍しいことである


冬に実をつける「ピラカンサス」

開花時期は、  5/10頃~  5/  末頃。         
・花は白。花よりやはり、秋になる実が目立つ。       
・中国名は「火棘(かきょく)」。                    
 
・別名  「橘擬」(たちばなもどき)→オレンジ色の実。
                                    中国南西部原産。
        「常盤山櫨子」(ときわさんざし)→赤い実。 
                              ヨーロッパ東南部原産。
(季節の花300より)


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東海道五十三次(吉田宿)

2007-12-18 08:26:01 | インポート

吉田宿は豊川によって繁栄した城下町である。豊川は物資搬送の大動脈で、当時大きな帆船(と」言っても一枚帆の千石船程度)が出入りしていた。豊川の吉田大橋のたもとにある吉田神社は手筒花火の発祥地でもある。毎年七月の豊橋祇園祭では境内で300発もの手筒花火が打ち上げられる。

宿は、豊橋市街地にある宿場町で、昔の面影はないが、ゆったりと流れる豊川を眺めていると、江戸の旅人と同じ気分になれる。豊橋は豊川に架かる橋の名前でもあった。豊橋を渡り、豊橋魚市場に行く。ここは今川義元が、三河や遠州や浜名湖の魚を集めて開いた由緒ある市場である。帆立やさざえが旨い。

豊川放水路を越えると、小坂井町に向かう、ここは風車の里。木でできた素朴なもので6枚の俵形の羽根は、六俵(むびょう=無病)になり、縁起物だと言う。今は小坂井町だけで作られている。
小坂井町を過ぎたら、ひたすら北上、名鉄名古屋本線の踏切を渡ると、まもまく国府町に入る。旧御油橋を渡れば、御油本陣跡のゴールもすぐである。

御油宿迄まで10.2kmの道程である。


広重の絵は「吉田・豊川橋」の図である。吉田城の隅櫓を通して見た吉田大橋を俯瞰画のように表現している。現在の豊橋市役所の屋上から見ればこんな絵も想像できる。「吉田通れば二階から招く、しかも鹿の子の振袖で」と謳われた頃を彷彿させる。


冬に実をつける「青木の実」

開花時期は、  4/  1頃~  4/25頃。
・1年中、葉も枝も青いので「青木」。     
・花は海老茶色ですごく小さい。           
・葉は固い。       

(季節の花300より)


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東海道五十三次(二川宿)

2007-12-17 08:10:24 | インポート

東海道筋に本陣が現存しているのは草津宿と二川宿のみである。宿本陣は、修復され資料館になり、徳川持家の指示で作られた風呂やトイレも当時の姿のまま再現され、東海道五十三次の全てが分かるほど資料が展示されている。
二川宿本陣跡近くに大岩寺がある。岩屋山に登ると頂上から豊橋市内が一望できる。また、頂上には岩屋観音が建立され、多くの旅人を空から見守ってきたと言う。

伝統工芸品として豊橋筆が有名である。また、妙泉寺では、毎年土用丑の日に暑気払い、頭痛除けのためのおまじないをするそうである。つまりほうろく灸をするのである。

次の宿吉田宿は大都市豊橋中心部の豊川のほとりに着く。ここまで6.1kmの道程であった。


広重の絵は「二川・猿ケ馬場」の図である。二川は小休止の宿となっていた。 左右が原山になっていて小松が多く、景勝の地で茶店があり、柏餅を名物として売っていた。


冬に実をつける「キンカン」

中国原産。                                   
・1826年に、中国の商船が遠州灘(静岡県沖)で
  遭難して漂着し、清水港に寄航した際に、       
  船員が、助けてくれた地元の人に砂糖漬けの     
  金柑果実をプレゼントし                       
  その種が育って日本で広まった。               
  のどあめとしても使われる。                   
・花は夏から秋に何回か咲く。白い5弁花。       

・みかんの小型の実がなる(直径2cmくらい)。 
  皮がついたままでも食べられる。               
  (よく洗ってから食べようね)                 
・「金」は実の色から。                         
  「柑」は「柑子(こうじ)」で、みかんの古名。 
・「金橘」とも書く。                           
・別名  「姫橘(ひめたちばな)」。             

(季節の花300より)

 


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東海道五十三次(白須賀宿)

2007-12-16 06:03:01 | インポート

白須賀は、白い砂州の上に開けた集落という意味である。宿は当時、海辺にあったが1707年の大津波で壊滅的な被害を受け、現在の位置に移転した。

町中を歩くと格子戸のある民家や間口の狭い家並みなど、いろんな所に旧屋号が掲げられる、江戸時代の面影を残る小さな町である。。白須賀宿を出ると県境の境川に架かる境橋を渡るとすぐ愛知県に入る。
白須賀は昔から西風が強くよく火災が起きたと言う。この海道は花畑ののどかな道であったが、愛知県に入ると国道が続く。東海道本線を越えるよ二川宿の街並みを歩く。ここは格調高い本陣、山内一豊の常宿、旧本陣馬場家が残り資料館となっている。

ご存じ葵のご紋、テレビの水戸黄門での名台詞「頭が高い、この葵の紋所が目にはいらぬか」の「三つ葉葵」の紋は徳川家の家紋である。この家紋を使いだしたのは幕府が開かれてから。将軍家と一門だけに使用を許可し、権力の象徴としたことは周知のこと。

二川宿までは5.7kmの道程である。


広重の絵は「白須賀・汐見坂ノ図」である。
白須賀宿は高師山から汐見坂に続く丘陵 地帯にあり、汐見坂は曲折長大な坂で、坂上は下りの旅人が初めて富士山を遠望する所として名高く、駿河に近付いたことを実感する。また眼下には東西七十五里の遠州灘が広がる。図は江戸に向かう大名行列を描き浜辺には漁師の網干しが点々と見える


冬に実をつける「黒鉄もち」の実

葉は革質で光沢あり。                
・冬に赤いきれいな実をつける。        
・「黒金黐」とも書く。                
・「黐の木(もちのき)」に比べて      
  葉っぱが黒っぽいところから          
  「黒鉄黐」の名がついた。            
  なんで「黒」でなくて「黒鉄」なのかは
  ちょっとわかりません。              
    (なんか、強そうな名前・・)

(季節の花300より)


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