季節の花と言葉の花束

写真付きで季節の花や言葉の意味をを書くならgooブログ

季節の花の紹介と言葉の花束を書いています。

東海道五十三次(桑名宿)

2007-12-26 07:15:16 | インポート

桑名は、伊勢国の東の入口である。宮宿との間の「七里の渡し」跡には、伊勢神宮の「一も宮」が建てられ、遷宮ごとに建て替えられている。宿場は城下町であると共に、木曽、揖斐、長良の木曽三川の河口の港町として繁栄した。

桑名と言えば、「その手は桑名の焼き蛤」呼ばれる焼き蛤が名物。大塚本陣跡の「船津屋」の料亭が旨い。寺の多い町であるが、城下町風情の残る街道でもある。

鍛冶町の「貝増」では蛤の時雨煮(関東では佃煮)が旨い。市内には「城南神社」もある。桑名と四日市のほぼ中間に「名残松」が見える。コンビナート地帯と田園に挟まれた街道をひたすらに南下する。町屋川の町屋橋を渡ると、昔の橋はもう無くなり、街道は一度ここで途切れる。今は隣に出来た町屋橋を渡り、街道が続く。

四日市本陣跡近くにある「笹井屋」の名物「なが餅」は、伊勢参りの旅人に人気があった。三滝橋を渡り、四日市を目指す。

折り鶴は江戸時代に桑名で考案された。「六華苑」の数寄屋建築の和室は、様々な折り紙作品が展示されている。また、桑名は城下町特有の迂回路に戸惑いがちであるが、要所々々に手作りのみちしるべが表示されている。

四日市宿までは12.5kmの道程である。


広重の絵は「桑名・七里渡口」の図である。桑名は揖斐川の河口に近く、要港として早くから発達し、東海道有数の宿駅として繁栄した。この港の入口に桑名城があった。図は桑名の港の渡口を描いたものである


12月に開花する「ネリネ」

夏植えの球根草。                 
・南アフリカ原産。大正末期に渡来。 
・10~12月頃に、葉茎を突然伸ばし
  先端に彼岸花に似たピンク色の花を 
  咲かせる。                       
  開花は彼岸花より2ヶ月ほど後。   

・別名「ダイヤモンドリリー」       
        花びらに光が当たると宝石の 
        ようにきれいに輝くことから。
・6月28日、7月24日の誕生花   
・花言葉は「華やか」「かわいい」

(季節の花300より)


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東海道五十三次(宮宿)

2007-12-25 07:34:11 | インポート

宮宿の宮とは、熱田神宮のことである。別名熱田宿と呼ばれる。宿場は東海道唯一の海上路「七里の渡し」をはじめ、東海道の脇街道である佐屋街道や中山道垂井宿に向かう美濃街道への分岐点として大いに賑わった。

宮から桑名までの船旅は28kmある。名古屋港を進むと、名港中央大橋をくぐる。揖斐川、長良川、木曽川の木曽三川の河口を上り、揖斐長良大橋をくぐり「七里の渡し」跡をみながら上流の船着き場に着く。

ここから本陣跡を目指す。国の重要文化財「六華苑」がある。ここは大正~昭和の実業家のお邸であった。大正2年に建築の洋館で設計はコンドルと言うこと。広い庭園には数寄屋普請もある。

東海道の最大の難関は川で「越すに越されぬ大井川」と言われているが、街道を遮断する大きな川が最大の難関であった。特に木曽三川(木曽、揖斐、長良)が合流する宮宿から桑名の間は河口を船で渡らなくてはならなかった。

桑名までの道のりは28kmである。


広重の絵は「宮・熱田神事」の図である。宮は、熱田神宮の門前町である。当時は東海道中最大の宿駅で、熱田神宮や伊勢神宮参拝の旅人達も集まったので、大変賑わった。この図は、熱田神宮に伝わる季節の行事・馬追祭で、馬の駆競の結果によって、その年の豊作を占った祭りである


12月クリスマスの花「ポインセチア」

11月から12月頃よく見かける。まっ赤。 
  (ほんとうはまんなかの黄色い部分が花)。 
  なんとなく”クリスマス近し”という感じ。 
  赤と緑の組み合わせがいいですね。         
・アメリカの駐メキシコ大使のポインセット氏が
  メキシコで発見し、アメリカ帰国後に紹介して
  広まったことから「ポインセチア」になった。

・別名  「猩猩木」(しょうじょうぼく)。   
        ”猩猩”は中国の想像上の怪獣で     
        猿のような顔をもち、毛は紅色。     
        赤い花なのでこの猩猩にたとえられたの
        でしょう。                         
        (猩猩=オランウータン、の説あり) 
・12月22日の誕生花(ポインセチア)     
・花言葉は「聖なる願い」(ポインセチア)   

(季節の花300より)


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東海道五十三次(鳴海宿)

2007-12-24 06:56:45 | インポート

伝統的工芸品「有松・鳴海染」の生産地である鳴海宿。現在でも東西の宿場入口には常夜灯が残っており、往時には120軒もの旅籠があった。なかでも地元の豪商・下郷家の本陣は、東海道でも最大級の規模であった。

毎年10月には鳴海八幡神社の祭りでは、「猩々の追っかけ」という踊りが披露される。鳴海のある緑区から隣の南区へ入る。天白橋を渡ると、笠寺一里塚がある。ここの笠寺観音に参る。

鳴海は、海を間近で見ることが出来た町。名古屋市南部の住宅地を抜けると
宮宿の手前の東名高速道路と交差するところを通り、呼続之町を過ぎ、熱田橋を渡ると次は熱田神宮に着く。欝蒼とした樹木が茂る境内があり歴史の古さを感じる。「信長塀」の由来は、信長が桶狭間の戦いに際し、ここで勝利を祈願し見事勝利した。そのお礼に築地塀を作ったと言う。

現在の国道の原型は、家康が江戸と地方を結ぶ五街道(東海道・甲州・中山道・奥州・日光)を整備した。それが現在の国道となった。東海道が1号、山陽道が2号、現在は国道は507号(糸満~那覇市)まである。

宮宿迄は6.5kmの行程である。


 広重の絵は「鳴海・名物有松絞」の図である。鳴海の宿と北東隣の有松とは、共に紋染の名産地として有名であった。


絞売る店が並んでいる

冬にも見られる「ローズマリー」

地中海沿岸原産。                       
・青紫色の小さい花。葉は細長い。         
・芳香あり。                             
・薬用、香料用に栽培される。             

・5月9日の誕生花                       
・花言葉は「静かな力強さ」         

(季節の花300より)


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東海道五十三次(知立宿)

2007-12-23 08:32:12 | インポート

 

知立宿は、池鯉鮒宿と書かれていた。この難解な名前は、知立神社の池に鯉や鮒がたくさんいたので名付けられたと言う。芭蕉の句には「不断堂川 池鯉鮒の宿農 木綿市」と詠まれ、木綿市でも有名であった。
昔は、水の豊かな知立には、鯉や鮒がたくさんいたのであろう。ここの「鰻まぶし飯」は旨い。

織田信長と今川義元が戦をした桶狭間古戦場跡に近い名鉄中京競輪場前駅に、「大将」という彫刻が、勝った信長に因んでか、立っている。古戦場跡には命を落とした今川義元の墓がある。ここの有松地区の街並みには、各家の玄関に有名な「有松絞」の暖簾がかかっている。江戸の旅人にも人気であったという。

この鳴海宿への途中にある古い街並みを残す有松地区は、全国の絞りの九割を生産する有松染めの産地である。各家は厚い土壁を塗り込めた造りとなっている。

鳴海宿までは11kmの道程である。


広重の絵は「池鯉鮒(ちりゅう)・首夏馬市」である。かつては木綿の集散地であり、その運搬用の馬の市が開かれた。 遠景にその松と人々が、近景に夏草の生えた原に馬のさまざまな姿態が描かれて いる


冬の風物詩公孫樹の実「銀杏」

黄色の紅葉がきれい。葉っぱは扇形で切れ込みがある。   
・”イチョウ並木”                                     
・中国原産。昔、留学僧が持ち帰って広まったらしい。     
・「公」は祖父の尊称で、祖父が種子をまいても           
  実がなるのは孫の代になることから「公孫樹」。         
・「銀杏」とも書く。                                   
  「銀杏」は唐音で「インキャウ」と読み、               
  それが「イキャウ」となりしだいに「イチョウ」になった。

(季節の花300より)


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東海道五十三次(岡崎宿)

2007-12-22 08:04:30 | インポート

岡崎宿は、家康生誕の城下町である。敵の侵入を防ぐため、複雑に東海道を曲げた「岡崎二十七曲」と呼ばれる道が今もなお残っている。宿の西のはずれの矢作橋は、広重の絵にも描かれているように、東海道で最長の木橋である。江戸時代は今より100mも長かったらしい。

橋を渡り、国道から分かれるあたりから西三河の田園地帯が始まる。一面麦畑である。途中永安寺の「雲竜の松」を見る。
知立宿に入る手前に来迎寺一里塚がある。知立の待つ並木は500mあるが、昔は1kmあったそうだ。

知立には名物のあんまきがある。鉄板で小麦粉の生地を焼き、あんを巻く。

知立宿本陣跡迄は14.9kmの道程である。


広重の絵は「岡崎・矢作ノ橋」の図である。矢作橋は長さ208間で、当時としては日本一の長大橋。シーボルトの紀行に精細な写生図がある。 日吉丸と小六の出会いの橋で、橋の向こうは岡崎城


初冬の「楓と紅葉」

秋の紅葉(こうよう)がすばらしい。                   
・300種もの園芸品種が江戸時代から作り出されている。 
・楓(かえで)と紅葉(もみじ)は植物分類上は同じだが、 
  楓のなかで特に紅葉の美しい種類を「もみじ」と呼ぶ説が 
  ある。また、盆栽や造園業の世界では、葉の切れ込みの数、
  切れ込み具合によって両者を呼び分けているらしい。     

  (例)【造園】かえで → 葉の切れ込み(谷)が浅い       
                もみじ → 葉の切れ込み(谷)が深い       

  英語では「かえで」「もみじ」とも「メープル」と呼び、 
  カナダ産の「かえで」の樹液からとったものに           
  「メープルシロップ」がある。                         


・楓科の代表種はイロハ紅葉(もみじ)。写真もイロハ紅葉。
・楓(かえで)の語源は「蛙手(かえるで)」から転じた。 
        水かきのように切れ込みの浅い葉のものを楓という。
  紅葉(もみじ)の語源は、                             
        秋に赤や黄に変わる様子を昔、「紅葉づ(もみづ)」
        といったことにもとづく。                       
        (色が揉み出ず(もみいず)、からきたとの説も)。
        切れ込みの深い楓を紅葉(もみじ)という。       
  なお、「イロハ紅葉」の名は、掌状に5~7裂する葉の先を
  「いろはにほへと」と数えたことから。                 
(季節の花300より)


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