戦後のことですが、当時、特に金属がなくて、各町には廃品回収業者が店を開き、人々が廃棄された金属を持って行くと、ある値段で買い取ってくれました。鉄は安かったが、銅は結構高く引き取ってくれました。
私は静岡県西部の磐田市(戦後は中泉町)に住んでいました。小学生でした。家は貧困でしたのでみんなお金儲けに協力しました。
戦争末期、中泉町は、激しい空襲や艦砲射撃を食らいました。陸軍駐屯地があったからでしょう。道路、畑、その他、空き地などには、爆弾の破片、機関銃の弾や薬莢が無数に落ちていました。無人になっている焼け野原には、爆弾の破片以外に、焼けた家の金属がいっぱいありました。特に銅線は貴重でした。
私は毎日一生懸命金属を集め、近所の廃品回収業者の店に持って行き、買ってもらいました。この業者の家には同じぐらいの年齢の女の子がいて、私と親しく、家の人はみんな私に親切でした。子供だからと言って私は不当な安値で金属を買い取られたと思ったことはありません。高い値段で買ってくれると内心喜んでいました。
町から拾える金属がなくなるまで私は金属拾いをやっていました。
それは戦後の特殊事情でしょうと思う人がいると思いますが、現代でも通用する商慣習だと思います。現代でも紙は有償で回収されています。この商慣習が実行されているから日本は世界的に進んだ紙回収システムをもち、再生紙利用国になり、プリンター用紙だって再生紙で問題ない状態です。
私は金属について誰でも、家の金属でも、道路や空き地に落ちている金属でも、子供が集めて近くの廃品回収業者に持って行っても正当な価格で買い取ってもらえる社会の方がいいと思います。こうすれば道路や空き地から空き缶などなくなるでしょう。
現在の横浜市のごみと資源物の回収システムでは、市民が金属を分別してごみ集積所に出しても1円にもなりません。これは人々のものの価値観や商習慣を狂わせている原因の1つになっていると思います。
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