日限山(4)に住んで、最初悪い印象をもち、最後は私の師と思った方が故笹路眞三氏です。思い出すと涙がとまりません。
笹路氏は、無口であったが、思考力、実行力は抜群でした。弾丸のように言葉が口から出る私とは全然ちがいました。
彼の信念を知ったのは、2014年度いぶき会展(西洗自治会老人会主催の絵などの作品展)を担当したときでした。私は作品展運営を経験したことがなく、自信がなかったので、経験者と言われていた笹路氏を訪問し、運営について具体的作業も含め、詳しく教えてもらいました。無口のはずの氏が、ほんの1時間で経験知識を全部話してくれました。彼がうつ弾丸はすべて命中でした。
学ぶにはまずは氏の言うとおり実行することです。私は、よりよくする工夫努力はしつつ、基本はすべて氏の指示に従いました。1年目のいぶき会展は無事終えることができました。3年間、いぶき会展を担当し、2年目以降は自分の考えを入れ、未来に耐える発展的いぶき会展にすることに挑戦させていただきました。4年目、全国的絵画展開催の知識を持っている若い方に担当を引継ぎました。
さて本論の笹路氏の思い出ですが、いぶき会展で使う展示パネル(展示壁)を増設する話しがでました。これまで笹路氏を中心とする工作好きがつくってきたが、高齢で、氏は工作は無理と思ったので、私がつくることにし、設計図を書いたりしていました。
そのことを知った氏が、「あなたは私のことがわかっていない。私が作るんです。あなたはホームセンターで材料を買ってきてください」と電話で言ってきました。えっ、足腰が弱くなったのにあの大きなパネルや、厚い材料を使う足を氏がつくる。大丈夫かと思いました。氏の気迫に驚きながら私は仲間と材料を買いに行きました。氏はちゃんとパネルをつくり上げました。
私は2022年(82歳)から2024年(84歳)にかけて、老病に苦しみながら2代目子供用山車の設計を担当し、構造と屋根の上の武者人形の制作を担当しました。構造にはネジ・ボルトナットは使わず、完全に木組みでつくりあげました。(注)台車は、木枠、車輪ががっちりとついていないといけないのでネジ・ボルトナットを使いました。また、前面の龍の浮彫、側面の飾り幕はそれぞれ町の専門家がつくってくれました。結構大きい山車で、2023年から町の夏祭りで運用されています。
制作中、動けなくなると、寝て体の快復を待ちました。完成すると思って制作を行いました。この気力は故笹路氏から学んだものです。故笹路氏に深く感謝しています。
この気力は現在の西洗公園での園丁的仕事においても生きています。やると言ったらやります。
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