ああ、ついに新潟市がブラタモリに登場。
近江アナに「新潟ってどんなイメージですか?」と聞かれたタモさん(ここはナレーションのツヨシクン口調)。
「申し訳ないけど、新潟ってイメージないんだよね」と答える。
いやいやタモリさん、ほんとにそうなのよ。私もそう思うわ。
観光でも何でも、特に新潟市が取り上げられるってほんとに少ない気がする。
きっと全国の皆さん、新潟にはいろいろあっても、新潟市そのものについてはご存じないよね。
かくいう私も学生時代4年間も暮らしていて、おまけにおばさんが新潟で住まいを持っていたから、
子どものころから遊びに行っていたのに。今回の放送で初めて「新潟は砂の町」と知ったってわけで。
そういえば、と、当時の思い出は恥と共に次から次へと浮かんできて懐かしくなった。
叔母さんちは日本海と信濃川に囲まれ、しかも河口近くにあった。
で、海に行こうとすれば坂道を上って崖の細道のようなところに出て、それから砂浜に下りていく、そんな感じだった。
どうでもいい話だけれど、そのころ昭和30年くらいかしら、親戚に泊めてもらうときはお米を持って行ったものだ。
そうだ、小林幸子さんの実家の精肉店も近くにあり、いとことよくコロッケ買に行った。そんなこともあった。
大学も海の近くにあり、何をとちくるったのかサークルは軟式テニス部に入っていて。
テニスコートは砂浜近くにあるから、そこへ行くにはえいこらと坂道を上がっていってた。
夏になるとサークル仲間と泳ぎに行くことも多々。
青春ど真ん中、グループサウンズの時代だから棒切れ持ってそれこそ砂浜で
♪踊りに行こうよ シーサイドバウンド~
なんて歌ってタイガースの真似していたわけよ。いやはや。
近くに行ったからって、連絡して男子先輩の下宿を訪ねたら、
「○さん、よくひとりで男の部屋に来たね」って言われたけれど。
私は人生相談しに行っただけだったから、えーっなに言ってるのかしらシオカワサン(覚えているのよ)てなもんだったけれど。
そうよね、何考えてたんだろうね、おかしいね。
砂の町痕跡の案内人さんはこちらから姿を現しましたよね。
遠くに見える橋は萬代橋より河口側 柳都大橋
信濃川(ごめん、信濃川には何の思い入れもない) 朱鷺メッセの高い建物 奥に佐渡汽船
(「みなとぴあ」の端っこに堀が再現されている)
そうよ、小学1年か2年ころ8月の川開きを見に、はるばる佐渡から叔母さんちに行ったときは確かに堀が
まだあった。気がする。
学生の頃、下宿へは古町を通って料亭の鍋茶屋さんの建物の裏を見ながら帰って行ったから、
夕暮れになると時々芸妓さんにも会っていた。
わっぱ飯で有名な田舎家さんも横目で見ながら帰っって行った。学生には躊躇する佇まいのお店だったからね。
佐渡暮らしのため行き来をするようになり、ランチは田舎家さん、がふつうにできるようになったときは嬉しかったわ。
さすがにね、鍋茶屋さんでお座敷遊びはちょっと、だけれど。どなたか連れて行ってくれないかしら。
ハラショハラショの新潟小唄も見たいもんです。
いやいやすみません、思い出話に付き合っていただいて。ほんとはいくらでもあるのよ。
ヒロミチャンじゃないけれど、話せば1日はかかる。
次のブラタモリは佐渡、楽しみだ。オリンピックより楽しみだ。