昭和記念公園川沿いのサクラを 見ながら
ぶらぶら歩いていると、ひときわ目立つ濃い紅色のサクラが目を引く。
なんていうサクラかしらね、と名札が貼っていないかキョロキョロすると、
隣から「サクラはサクラでいいじゃないか」
まさかの一声。
えっ?ここにもそういう人がいたのか、といささか仰天したわ。
キクで納得しているから「ま、そうね」と軽くいなすもほらそこはそれ、性分がそんな曖昧を許さないからさ、できるだけ知りたいわけよ。
あったあった風雨にさらされて消え入りそうな名札が『陽光』とあった。
そっか陽光ね、カンヒザクラの系統ね。とまことにすっきりした気分。
で、ブログに書くため確かめようとネット検索した。(以下抜粋です)
高岡正明さんは、明治42年生まれで太平洋戦争中、青年学校の教員をしていた。教え子達が戦場に行くのを見送り、無事帰還を願っていたが多くの教え子は帰還できなかった。
教え子の鎮魂と世界平和を願い桜の品種改良を決意25年の歳月を掛け鮮やかなピンク色が特徴の大輪で丈夫で100年、200年の樹齢の新品種「陽光」を作り出し、平和の使者として世界の恒久平和を広める活動をされた。
国に贈り咲き誇る国々は、トルコ・イタリア・リトアニア・チュニジア・メキシコ・スリランカ・カンボジア・ベトナム・タイ・中国・台湾・韓国・等々で「平和の使者」として広くその使命を果たしている。
そして、娘さんの高岡 令恵(のりえ)さんのブログに『陽光』誕生の秘話が書かれている(抜粋です)。
二度と戦争のない平和な世界は自分たちの手でつくらなければならない。そのためには生徒一人一人の命の証であり平和の象徴でもあるさくらをつくり、世界に広めてゆくことが自分の残された人生の最大の仕事だと考え、世界を視野に、どこにでも適応できる桜を開発する必要がある。
その後の父の執念には凄まじいものがあった。私財を投げ出し、新しいさくらをつくるため日本中を尋ね歩く日々が始まった。尋ねた土地から色々な品種のさくらが自宅に届けられた。朝から晩まで毎日々文字通りのさくら、さくらの日々が続き、失敗を繰り返しながら、品種改良に没頭し、20数年が経過、ようやく病気にも強く、厳しい気候にも耐えうることを発見、この時にようやく今までにみたこともない大輪で紅色の強い丈夫な品種が誕生し、新しいさくらとして注目されるようになりました。
父はこの新しい品種のさくらを「天地に恵みを与える太陽」という意味を持つ「陽光」と名づけた、以来この「陽光」の量産に取り組み、お蔭様で、ようやく、花期、花色、樹勢ともに満足できる新しい桜「陽光」を完成する事ができました。
サクラそれぞれにたくさんの誕生秘話があるだろうけれど、『陽光』にもそんな謂れがあるんだとちょっと感激した。さらっとサクラでやり過ごさない、私の変なところに妙にしつこい性格も捨てたもんじゃないわ、と自画自賛した次第。変。