年をとるということは、身近な人親しい人との別れが多く待ち受けていることをしみじみ実感する。
またひとり、お世話になった人生の先輩が旅立った。
倒れてから10か月、という月日は、故人にもご家族にもそれぞれちょうどよい長さだったのかもしれない。
お盆で佐渡に帰る前、奥様に、
「私が帰っている間に異常事態にならないようご主人に伝えておいてよ」
と電話した。お盆はあちら側にいる人が来るのであり、こちら側が行くのではないもの。
奥様が伝えてくれたかどうかは分からないが、盆明け17日横浜の自宅に向かう京浜東北線車中で危篤の報を受けた。
あまりに律儀に約束を守ってくれたと胸が詰まった。
私の勤め人人生最大の危機の時に、同僚だった奥様を通してご主人とはお付き合いが始まった。
もちろんそれまでに一面識もない、奥様ともただの同僚であって特に親しくもなかった。それが。
ある夜、ご自宅に招いてくれて、私の埒もない何度も何度も繰り返す悩み事を聞いてくれ、アドバイスをしてくれた。
大先輩の言葉はありがたかった。
相手を思う気持ちは、口だけではだめ具体的に行動に示して初めて通じるということを私はそこで学んだ。
他にも、母が施設のお世話になり父との佐渡生活が始まって、月1度横浜の自宅に帰るという生活が続いた5年間。
横浜友はお料理を持ち寄り、ご主人も仲間に加わって毎月楽しい会食を催してくれた。
私のいちばんの息抜きだった。佐渡での生活を続ける力を与えてくれた。
以来10年余のお付き合いが続いている。
葬儀には、
ご家族、ご出身である北海道から甥御さんがおふたり、近県の親せきのご夫婦、高校時代のお友だち、
仲人をした夫婦、親しいお付き合いがあったご家族、我らふたりが参列した。
皆、ほんとうに親しかった人たちばかりだから、厳粛な中にも故人を偲ぶ温かな空気が満ちていた。
「1分1秒でも長生きしたい」と生前、何度も口にされていた人。その通りに生きた方だったと思う。
2018年8月18日未明逝去、享年88歳。
今頃あちらでは、大好きだというお兄様が待っていられて、ふたりでお酒を酌み交わしていることだろう。
横浜年上友の家にうかがっても、もうお話しすることができない。さみしい。