自宅に帰って来てからというもの涼しくて嬉しい。
嬉しいんだけれど、なんだかかったるくて疲れが抜けないのよ。
いやあ今回の佐渡帰りはよく働いたからね。
チャリンコ散歩はタソガレ場所清々場所それぞれ1回しか行ってないもの。
路線バスにも乗ってないわ、我ながらびっくり。
(昨日の空)
実家に帰ったら、今度こそ両親の年賀状を処分しようと固く決心して。
ゴミ出しカレンダーを見たらなんと、ちょうど1週間の間に、燃えないごみ、古紙の日が挟まっているじゃないの。
いやあ、ラッキーよ。今まで何度帰っても出くわさなかったからね。
それとばかりにまだ残っている食器類鍋釜を燃えないゴミ用の袋に詰めて出した。ああすっきり。
ここまではいい。さて次に、と年賀状押し込んである天袋を開けた。
出るわ出るわ年賀状、埃だらけの年賀状、幸い括ってあるからまだよかったというもの。
見てなんかいられない、機械的に紙袋に入れて市指定の小ゴミ袋に入れた、2つもよ。ああすっきり。
(2014年9月28日 矢島のたらい舟 友人たちはここが一番印象に残ったと)
年賀状を処分してみると、なんとその周りに紙の山が積もっている。なによそれ。
市からのお知らせ、軍恩のからの新聞、等々が幾つも括ってある。
おまけに父の趣味だった新聞切抜きファイルが30冊以上あった。
狭い家なのに収納場所だけはたっぷりあって、天袋だって普通の家以上に広い、と思う。
それが災いした、父は見返しもしないのにそこに詰め込んだのね。きれい好きな人だったのに。
(2014年9月28日 相川 尖閣湾クルージング)
今までだって手をこまねいていたわけじゃない。
寝具はじめ書籍、小さな家具等々できるものは、すべてフリマに出したりもらってもらったりして処分してきた。
母の残したものは、衣類と家計簿と大学ノートの日記帳だけだったから簡単だった。
問題は父のものだった。
分厚い表紙の3年日記、10冊なんてものじゃない、
やっぱり切抜きファイル数が多過ぎて頭が痛くなってきたものよ。
私のSMAPやツヨシクン関係の切抜きなんて可愛いものだわ。
どうして元気なうちに整理しておいてくれなかったと、恨めしく思ったわ。
整理好きな私だからこそ片付いたのよ、父さん!恩に着せたわ。
(2014年9月25日 タソガレ場所)
天袋の奥にはまだファイルらしきものが残っていたが、知らん。次回!
あそうそう、遅刻友にアッシー君してもらったのはやはり父が残した戦争シリーズ全18巻の運搬。
読んだ後なんてひとつもない、段ボールごと図書館に寄贈させていただいた。
もういいかなと思っても次から次へと出てくるわけ、私も年をとって動きが鈍くなっているのに。
いずれ実家はなんとかせねばいかん、それを思えばやっておくべきことは見えている。あああ。
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