1日目が新幹線、是川縄文館見学、お宿とほぼ移動に終わって、黒石温泉につかって。
ま、疲れを取って。さて。
ツアー二日目は、先ず今回いちばん訪れたかった「三内丸山遺跡」見学から。
2時間以上とたっぷり時間が設定されていたので、ゆったりと遺跡を見学できたのよ。
おまけにちょうどボランティアガイドさんの案内時間に間に合って、ツアー一行の皆さんは
しっかりと説明を聞きながらの見学ができたわけ。
ほんと遺跡見学はガイドさん絶対に必要ね、すぐに忘れてもその時は熱心に耳を傾けたわ。
もとは調査終了後には県営野球場を建設する予定だったというが、当時の知事さんの英断で
中止になったことから、その後この貴重な遺跡が保存されてるわけだ。トップの決断は大事。
ちなみに1塁側の建設中止の建物が残っているわ。
三内丸山遺跡は調査で、縄文時代前期~中期(紀元前約3,900~2,200年 現在から約5,900~4,200年前)
の遺跡で、規模は全体で約42ヘクタールあり、 これは東京ドーム約9個分くらいの広さがあるという。
八甲田山から続く緩やかな丘陵の先端にあって、当時は現在より少し暖かく、年間の平均気温が
2度から3度くらい高かったと考えられたので海が現在よりも内陸に入り込んでおり、標高5メートル
前後が海岸線と考えられているそうな。だから、魚貝を獲ることができたということだ。
縄文人が定住生活を送っていたという根拠の一つになった『大型掘立柱建物跡』
直径2メートル、深さ2メートルの6つの柱穴。4.2メートル間隔で3本×2列に整然と並ぶのは、
測量技術が存在した証拠である。こちら↓
復元された大型掘立柱建物跡
この柱の太さ クリの木だそうだ
縄文人は死者を大切に扱い丁寧に弔っていたという 子どもが弔われたと思われるところ
埋葬に使用された土器 石がある
次の見学場所は三内丸山遺跡の時代よりもっと前、紀元前5000年ころの田小屋野貝塚。
やはり台地の上に立地し、当時は温暖化に伴って海面上昇の結果、比較的容易に海や
湖沼が広がっていて容易に食料を手に入れることができたそう。
ここに貝塚があるなんて ただの野っぱらそのものだわ
このあともう一つ見学して。
この日のお宿「伊勢堂岱温泉」へと。
でも不思議、1万歩以上歩いたのに膝が痛くならなかった。そういうことね。
この後も、もうしばらくお付き合いくださいませ。
楽しくなお且つためになる旅でしたね。
ワタクシもmannmoさんの案内によりガイド付きで
一緒に旅をさせていただいた気分です。
ありがとうございました。
旅の続きをお待ちしております。
それにしても、重機も、測量機器もない時代に
よくもまぁ、古代人の知恵に圧倒されるわね。
時代とともに、気候も大地のようすも変わったけれど
人としてはちっとも変っていないのね。
変わっていないのは我ら凡人だけで、頭のいい人は
変わっているのかしら?
まぁ、いっか
いつもはぼんやりと楽しむだけの旅行ですが、
今回だけは少しはお勉強しました。といっても
すぐに忘れるのが難でして。てへっです。
道南にも世界遺産の縄文遺跡がありますよね。
ちなみに写真の小学生たちは北斗市からの修学
旅行生でした。
苦手な分野で、同じような写真になりますが
もうちょっと頑張ります。よろしくお付き合い
くださいませ。
静かに興奮したわよ。ガイドさんの説明ももれなく
聞いたわよ。今になったら思い出せないけど。
ほんとにすごいよね、よくぞと思う知恵と工夫で
日々を暮らしていたのね。
うすぼんやりの我らなんて目じゃないわ、きっと。
今、温暖化って騒いでいるけれど、この時代は温暖
化だったから生き延びたのか、なんて思ったよ。