作者の小野寺史宜さん、恥ずかしながら何の情報もなくの作家さん。
初お目見えの作家さんだったから、作家で選んだのではない。
書棚に顔を向けて並べられていたから手に取っただけで、そんなに期待もしていなかった。
あまり好きじゃない分野の小説だったから、ね。パラパラと見て。
それがそれがぐっと一気に引き込まれてしまった次第で。小野寺さんの文体が平易でやさしくて自然体、
それがまた良くてあっという間に読了。
松井波子さん、素敵です。よくぞです、懐が深くてちょっと尊敬してしまいます。
40代にしてはちょっとできすぎているくらいで。一癖あるけれど嫌な人が登場しないのよ。
どの登場人物にも「そうだよね、そういうことだよね、そうなっちゃうよね」と共感するの。
『クロード子ども食堂』は(へんちくりんな店名だけれどそれなりの由来がある)
午後5時開店、午後8時閉店。
亡き夫との思い出をきっかけに松井波子が開いた「クロード子ども食堂」。
スタッフは、夫とうまくいかない近所の主婦や、就活のアピール目的の大学生。
お客さんは、デートに向かうお母さんに置いていかれる小学生や、
娘と絶縁し孤独に暮らすおじいさん。
みんないろいろあるけれど、あたたかいごはんを食べれば、きっと元気になれるはず。
目次
- 午後四時 こんにちは 松井波子
- 午後四時半 おつかれさま 木戸凪穂
- 午後五時 いただきます 森下牧斗
- 午後五時半 ごちそうさま 岡田千亜
- 午後五十五分 お元気で 白岩鈴彦
- 午後六時 さようなら 森下貴紗
- 午後六時半 ごめんなさい 松井航大
- 午後七時 ありがとう 石上久恵
- 午後七時半 また明日 宮本良作
- 午後八時 初めまして 松井波子
あいさつ後の名前は、スタッフだったりお客さんだったり息子だったり。
それぞれの抱えている事情が実に優しい視線で淡々と描かれていて。
松井波子さん、四十代、夫の事故急死がきっかけになって子ども食堂を始める。
生前の夫との関係や始めるきっかけは波子さんが「こんにちは」の中で述べている。
わたしが子ども食堂をやろうと思ったのは今年の初め、思ったらすぐにやりたくなった。
実際、すぐに動いた。もう四十代、動けるうちに動かなきゃダメだな、とも思って。
発端は、やはり夫の死。
わたしたちはうまくいっていなかった。最低限必要な会話しかしなかった。
いただきますやごちそうさまだけは言った。
夫は会社帰りに駅前のコンビニで缶ビールを買い、自宅近くの児童公園で飲むようになった。
家で飲むとわたしがいやがるから。
夫が話す裏のアパートに住むエイシン君の話。菓子パン1つを食べる
「一度でもいいから、エイシン君にウチでメシを食わしてやりゃあよかったなあと思ってさ」
「そんなこっちの自己満足で、何の解決にもならないことはわかっている。
だとしても、マイナスにはならないよ」
奥深い言葉を残して夫は5日後に亡くなる。
このときが最後の会話になって、いつまでも波子さんの心に残る。
ご主人の死から立ち直った後の行動が素早かった、素晴らしかった、
目的に向かって一直線。
体当たりでぶつかって奮闘して生まれた「クロード子ども食堂」が舞台。
スタッフやお客さんとの会話の中に、波子さん像が多面的に浮かび上がってくる。
例えば、スタッフ石上久恵さんとの会話では。
「わたしね、子ども食堂を始める前に考えたんですよ。子どもにありがとうを言われたい。
みたいになるのはよそうって。笑顔は見たいけど、ありがとうまでは望むまいって」
「言われたらうれしいです。でも期待はしないです。言われたいって気持ちは、いつのまにか
言わせたいに変わっちゃいそうだから」
石上さんが夫への不満を話すと、
「ありがとうを言えば、ダンナさんの機嫌は悪くならないのですよね?で、
一応は、家事をしてくれるんですよね?少しぐらいは、たすかっていますよね?
だったらありがとうを言ってあげればいいんですよ。ありがとうはね、
言ったほうの負けじゃないですよ。言ったもん勝ちですよ」
こんな会話にも波子さんとの人となりが浮かび上がってくる。
子ども食堂にゴールなんてない。強いて言えば、ゴールを先へ先へと遠ざけて行くことがゴール。
すなわち、続けることそのものがゴール。
まだ始まったばかりの「クロード子ども食堂」これからも紆余曲折いろいろあるだろうけれど、
波子さんならひとつひとつしっかりと乗り越えていくだろうな。
読後は子ども食堂で出されるごはんのように温かでほかほかしてしみじみして。
ああ、気持ちの良い小説だな、と。
最後に待っていたのは思いもかけない波子さんへのプレゼント、ほんとに素敵だ。
この後続けて『ひと』『いえ』も読んだ。やっぱり『とにもかくにもごはん』かな。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます