看取りの人生
『「我慢しなさい、我慢しなさい」と、自己主張しないように五歳から育てられ、「学校を休んでほしい」とか「学校を辞めてお母さんの看護をしなさい」とか言われてもその通りに従い、進学も駄目、就職も駄目、しかし結婚はよし。その通りにして、自分の専門を持つことが許されず、家族の看取りを仕事として生きてきた。
…
『姉を看取ったときは、これで、姉に惜しみのない愛情を注いだ父に合わせる顔ができたと思えたが、この記録は決して家族に見てもらえるようには書けなかった。けれども書き上げるまで生きていられたことをありがたく思う。
母から叩き込まれた後藤新平の自治三訣、
人のお世話にならぬよう
人のお世話をするよう
そしてむくいを求めぬよう
は、
「人のお世話にならぬように人のお世話をするよう そしてむくいを求めぬよう」という意味だと悟った。』(本書あとがきより抜粋)
久しぶりに読み応えのある本に出逢った。
本の書名は、
「看取りの人生」―後藤新平の「自治三訣」を生きて―内山章子著、2018/7/31 藤原書店発行)
著者90才の時の本である。
10年ほど前(2011年の正月前後??)、ずいぶんと時が経って、確かなことは忘れてしまったが、NHKの番組「こころの時代」だったかと思う。
著者がインタビューされながら、姉の鶴見和子を看取った前後のことなどお話されていて、話にインパクトがあったので断片的なメモをとった。
和子さんは、95年に脳溢血で昏倒し、97年に京都府で自立した生活を送っていた。しかし、06年に背骨を圧迫骨折。以後、徐々に衰弱していったという。
「死にゆく人がどんな歌を詠み、何を考えてゆくのかを、あなたは客観的に記録しなさい」。入院した和子さんは章子さんに告げた。この日から「なんでも」記した。… … 死を見据える日々の記録が遺された。
今回、コロナ禍に合わせ身辺整理をしていて、番組で聴いたメモや関連資料が出てきた。
わが身に引き寄せると、一昨年前に施設に入居し、終末期を迎えたと思われる長姉。
話ができる元気なうちに、ちょっとでも会って声をかけようと思っていた矢先にコロナ禍、施設は面会禁止。
まだ確認していませんが、6/19以降も面会制限が続くと思われる。
いずれも80才半ばですが、もう一人の次姉は、独立独歩の自宅療養。
手術を断り、
おそらく、在宅緩和ケアを利用して最後まで入院することなく自宅で好きなように暮らし、穏やかに亡くなっていこうと考えているのだと思う。
なんだかんだで、タイトルの本を図書館から借りてきた。
本の目次は、
1 昭和の子 私の戦争体験
2 看取りの人生
① 母を思う
② 父に学ぶ
③ 弟のこと
④ 夫を送る
⑤ 姉の旅立ち
⑥ 兄への挽歌
家族6人の看取りにかかわりながら、和子さん自身の人生を全うした。
後ろの「本書関連年表(1885~2015)」を見ると、父親の誕生1885年(明治18年)~両親・兄姉弟・夫が亡くなって独り身になるまでの2015年(平成27年)まで、
父母が生まれた日清戦争終結ごろから、
関東大震災、治安維持法、世界恐慌、2.26事件、日中戦争から国家総動員法公布、ノモンハン事件、第2次大戦真珠湾攻撃・日米開戦、敗戦、朝鮮戦争、日米安保条約、ベトナム戦争、
中国・天安門事件、湾岸戦争、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、リーマン・ショック、3.11東日本大震災と、
特に第2次大戦前後が家族が大きく翻弄された期間ですが、
激動する時代や社会のはざまで、家族がいかに生き、死んでいったかを、まざまざと見せつけられて、時代や家族、一人ひとりが心に染み入ってきた。
一読をお勧めしたい本です。
6/13朝は小雨の中、花の美術館へ。
アジサイ、クレオメ、まだ咲いていたバラを撮り、
6/14の昨日、やはり雨の朝は千葉公園へ。
オオガハスを撮りに行きましたが、う~ん未だ見ごろ前!!
代わりに千葉駅側に回って菖蒲池の淵に咲いていたアジサイをデジカメパチリ!!
でした。