団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

お父様は、男の子は厳しく育て、女の子は優しく育てるという方針だったのかな?

2020-06-18 04:52:20 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「静かな愛情 亡き父思う」というタイトルで62歳の女性が投稿されていました。



 この時季になると三十五年前に亡くなった父のことをよく思い出します。

 私は高校生のときに下宿生活を始め、親元を離れたまま就職してやがて結婚しました。
このため小さな島の漁師だった父と一緒に暮らしたのは中学生まででした。

 父は無口で、猫をかわいがる優しい人でした。

 三十八年前、結婚して新婚旅行に向かうため新幹線に乗り込んだ私に、
父は車両の窓をたたいて叫びました。

 「外国は怖いで(夫となった)〇〇君のそばを離れちゃいかんよ!」。
そのときの父の顔とあの声が今も忘れられません。

 その後も折につけ父から愛された記憶を思い起こしては
数々の困難を乗り越えることができました。

 父の死後、五歳上の兄から「強くなれ!」と何度となく殴られたことを聞いて驚きました。

 どんな思いを抱いてきたのか生前の父に直接聞きたかったのですが・・・・。
私は今も後悔しています。


 以上です。


>「外国は怖いで(夫となった)〇〇君のそばを離れちゃいかんよ!」。
そのときの父の顔とあの声が今も忘れられません。

 お父様の愛情がよく分かるシーンですね。


>父の死後、五歳上の兄から「強くなれ!」と何度となく殴られたことを聞いて驚きました。

 お父様は、男の子は厳しく育て、女の子は優しく育てるという方針だったのかな?
私は幸いにも両親から殴られたことはなかったですし、子供達も殴ったことはありません。
何があっても、子供達に暴力をふるいたくないです。(苦笑)






聞かせてよ愛の言葉を 金子由香利 UPC‐0240
コメント (8)
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