団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

うちの父は買い物に行くたび、3歳の息子(孫)にチョコレートを必ず買ってきたようです。

2020-06-22 05:04:13 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「優しくて力強かった父」というタイトルで76歳の女性が投稿されていました。



 10歳の頃、風呂から出ると右の脇腹に鈍痛が走り、体がだるく感じました。
家族に話すと、父が私を背負って20分ほどの坂道を上って病院に連れて行ってくれました。

 急性虫垂炎だと分かってすぐに手術をすることになり、父母が横で見守ってくれましたが
広い院内に私の大きな声は響き渡ったそうです。

 その傷は60余年たってもおなかに残っています。
あのとき、もう少し病院に行くのが遅れたら大変なことになっていたとよく母が言っていました。

 父が背負ってくれなかったら今の自分はなかったかもしれません。

 父は70余年前、戦地に行ったようでしたが、そのときの体験を語ることは一切なく、
いつも寡黙な人でした。

 優しくて家族のために懸命に生き、86歳でなくなりました。

 父の日が近づくたび、たくましい父のあの体と頑強な手を思い出します。
大好きだった酒とたばこを今年も供え、手を合わせるつもりです。


 以上です。


 昨日のブログと同じ「父の日」の話題の記事でした。

 私は以前にもブログで書きましたが、3〜4歳の頃、誤って5円玉を飲んでしまったので、
父親が私を逆さに持って、1キロほどある病院へ走って駆け込んだ事があります。

 父は30代だったと思いますが、それは大変だったと思います。

 最近 かみさんと話しをしていましたら、父の話題が出ました。
かみさんは娘を出産後、私の実家に暫くいました。

 うちの父は買い物に行くたび、3歳の息子(孫)にチョコレートを必ず買ってきたようです。
かみさんは「私は甘いものを食べさせないようにしていたので、困った」と言っていました。

 私が子供の頃も、私を自転車の後ろに乗せて街へ仕入れに行きました。
父は洋品商を営んでいました。

 帰りにいつも1枚レコードを買ってくれました。
結構高いレコードだったと思いますが、毎回買ってくれました。

 蓄音機の側に、100枚近くレコードがあったと思います。
どんなレコードを買っていたかは覚えていませんが。






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コメント (6)
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