ちょっと古い中日新聞の社説を載せます。
長い文章ですので、読みたくない人はスルー願います。
タイトルは「なぜ日記を書くの?」、副題は「週のはじめに考える」です。
夏休みの公園。
聞くともなしに子どもたちの会話が聞こえてきました。
「オリンピックはやるのになぜ花火大会はできないの?」。
同感ですね。
子供たちの疑問は「なぜ夏休みに宿題があるの?」などと続き、やがて「なぜ日記を書かなきゃならないの?」。
これについては、この欄でも子どもたちに伝えたいことがあります。
今から八十年前の一九四一(昭和十六)年、太平洋戦争が始まりました。
この時、愛知県豊橋市の豊橋中学(今は時習館高校といいます)に、左右田(そうだ)利秋という先生がいました。
背が高く、スーツが似合い、薄茶色の色眼鏡、つまりサングラスをかけています。
かっこいい先生だったのですね。
三学期のある月曜、学校に来た先生を見て、みんな驚きました。
顔のあちこちにガーゼとばんそうこう。
右のほほからまぶたは腫れ上がっています。
このひどい傷については先生は何も言いませんが、すぐさまこんな話が広がります。
先生は憲兵隊にやられた、と。
(ある先生の思い出)
憲兵隊とは、明治時代から日本にいた軍人の一種です。
はじめは同じ軍人を取り締まるなどしていましたが、そのうちに広く国民を取り締まるようになりました。
明治から日本は、外国と何度も大きな戦争をして、多くの人が亡くなったり傷ついたりしました。
「戦争はいやだ!」という人たちもいたのですが、そうした反対の声を力ずくで黙らせたのです。
先生が暴力を受けた理由は分かりません。
でも、生徒の一人の鈴木拓郎さんは、けがをしてもいつも通り学校に来た先生の姿に、誰にも負けない強い気持ちを見た、と思いました。
先生は「暴力には屈しない」という教えを、身をもって示したのかもしれません。
やがて大人になった鈴木さんは自分も学校の先生になり、多くの生徒を育てます。
そして九十六歳の今年一月、自分の思い出を書いた「こしかたゆくすえ」とする冊子を出しました。

その最後の一文「左右田先生とケンペイタイ」では、今も忘れない先生の思い出を、詳しく述べています。
また他の話では、自分も軍隊に入れられていじめを受けたこと、四五(昭和二十)年に日本が戦争に負けた後、軍隊では証拠を隠すため秘密の書類を次々に焼いたことなどを書いています。
「こしかたゆくすえ」は非売品で、書店にはありません。
でも、刊行を知った私たちの仲間の川合道子記者が五月、鈴木さんについて記事を書きました。
愛知県の一部での掲載ですが、記事を読んだ教え子らから、たくさんの手紙が鈴木さんに届きました。
これは日記ではありませんが、もしも鈴木さんが戦争中の体験を書かなかったなら。
そして、川合記者が鈴木さんの記事を書かなかったなら。
戦争の時代の恐ろしいできごとを知る手がかりの一つが消えていたかもしれません。
(決して忘れないため)
「そんな古いこと、どうして今の私たちが知らなければならないの?」と思う子もいるでしょう。
それにもいろいろな理由がありますが、その大きな理由の一つは「決して忘れないため」です。
今の日本では、みなさんが軍人に暴力をふるわれることはない。
けれどかつてはあったし、今なおそんなことが起きている国もあります。
二度とそんな時代に、また軍人がいばるような国にしてはいけない。
そのためにも、こうした出来事をみんなで忘れずに覚えておく必要があるのです。
それにこの問題は、決して古い話ではありません。
軍人が書類を燃やしたように、今の日本でも、政治家や役人が都合の悪い書類を捨てたり書き換えたりすることが次々に起きています。
みなさんがつくる将来のこの国で、こんな過ちが続いていてはなりません。
そこで日記です。ものごとをきちんと記録し、しっかり残す姿勢を身につけるためにも、家や学校であったことや感じたことを、短くてもいいので、夏休みに限らず毎日書いてみてください。
後で読むと「こんなことあったっけ」と、懐かしく、また楽しく思い出すこともきっとあります。
オリンピックは開けて、なぜ花火大会は中止になったのか。
そんな疑問もあれば日記に書き、大人になってからみなさんがどんな世の中をつくるかを考えるためのヒントにしてほしい、と思います。
えっ? 「それじゃあなたは、子どものころ日記をちゃんと書いていたの」ですって? えっと、どうだったかなあ、えへへ…。
以上です。
昔 母方のおばあさんの家に泊まった時、よくは覚えていませんが私が何かお上に逆らうような事を言ったことがありました。
おばあさんから「そんなことを言うと、憲兵に捕まるよ」と言われたことがあります。
まだ戦争が終わって16年ぐらいしか経っていませんでした。
憲兵は怖いものだと子供心に思いました。
菅さんは、多くの国民がオリンピック開催を反対するのに、国民の命よりオリンピックを選択しました。
西村大臣は「お酒を売ったら強制的にやめさせる」と飲食店さんを脅かしました。
これって、戦前と同じじゃないかと思ってしまいました。
霧のカレリア/ザ・スプートニクス