中日新聞の「エンタ目」という欄に「GS時代とスパイダース」というタイトルで近田春夫さん(ミュージシャン)がエッセーを書かれていました。
GSには本当に夢中になったものだ。
それはある日ザ・スパイダースをテレビで見たことから始まった。
まだ「グループ・サウンズ」という呼ばれ方はなされていなかった頃の話である。
ところでエレキブームからGS時代へという世の移り代わりの立役者はザ・サベージだ。
彼らはもともと英国のザ・シャドウズのナンバーを得意とするアマチュアのインストバンドで「勝ち抜きエレキ合戦」の優勝によりレコードレビューを果たすのだが、その曲というのがそうしたキャリアとは全く路線を異にする純然たる”歌もの”だったのだ。
いずれにせよ、いわゆるエレキバンドが歌を歌うというスタイルが、この「いつまでもいつまでも」から始まったことはたしかなのである。
そしてその時サベージがまだGSと呼ばれていなかったこともたしかなのだ。
ここに源流があったと私は考える。
スパイダースを最初に見たのは「世界へ飛び出せ ニューエレキサウンド」というこれもエレキの勝ち抜き番組で、彼らはそこでハウスバンドを務めていた。
この番組のコンセプトは文字通り世界に飛び出せる日本発の音楽を作っていこうというものだった。
当時、英国のリバプールサウンドが世界を席巻していて、その日本版の成功を夢見たのだ。
実際スパイダースが自分たちの音を”東京サウンド”と呼んでいた記憶がある。
スパイダースにしろ、あるいはジャッキー吉川とブルー・コメッツにしろ、世界に向けて発信し、成功したいという思いは強く持っていた。
ブルー・コメッツのデビュー曲は英語だったし、スパイダースも英語バージョンの「フリフリ」を発表していた。
ただそうしたチャレンジは結局ことごとく頓挫することとなるのだがそれはそれ・・・。
「グループ・サウンズ」の呼び名が定着したのはブルー・コメッツのレコード大賞受賞のあたりからだ。
そこから、それこそあっという間にまさしく”ブーム”が始まるのだが、面白かったのはその”玉石混交”ぶりのすさまじさだ。
中には本当に目的のわからないような奇抜なアイデアを売り物にするグループもあって、とにかく当時は、GSをいくらでもテレビで見ることができたので、風流を楽しむには事欠かなかった。
新曲もラジオでじゃんじゃんかかりまくっていた。
私は結構GSには詳しい方だと思っているが、そんなわけで知識や情報はまあ全てテレビとラジオで済ませた。
どうもGS話は一回じゃ無理みたいだ。 つづく。
以上です。
>いずれにせよ、いわゆるエレキバンドが歌を歌うというスタイルが、この「いつまでもいつまでも」から始まったことはたしかなのである。
日曜日の午後からテレビ放送をしていた
アマチュアのインストバンドで「勝ち抜きエレキ合戦」を毎週見ていましたので、サベージのことはよく知っていました。
「いつまでもいつまでも」のデビュー曲の後、「この手のひらに愛を」を歌いました。
この歌は寺尾聡さんが、ボーカルでした。
今と違ってぽっちゃりした若者で、あまりカッコよくなかったです。
GS はよく聴きました。
でも活躍期間は短かかったです。
すぐにフォーク・ブームがやって来た覚えがあります。
ザ・サベージ いつまでもいつまでも