「中日新聞を読んで」という欄に「日本人の二つの顔」というタイトルで江口 忍 名古屋学院大教授が投稿されていました。
今年三月、名古屋出入国在留管理局で、スリランカ人女性のウィシュマ・サンダマリさんが収容中に亡くなった。
出入国在留管理庁は、名古屋入管の対応などを検証した最終調査報告書を今月十日に公表した。
翌日の本紙朝刊はこのニュースを大きく扱い、一〜三面と社会面、社説で取り上げ、報告書の要旨も掲載した。
報告書は、ウィシュマさんがなぜ、誰の責任で亡くなったのかという疑問にきちんと答えず、不十分な内容だ。
一方で、亡くなる五日前に、衰弱してカフェオレを飲み込めず鼻から噴き出したウィシュマさんを、職員が「鼻から牛乳や」とからかうなど、人命、人権軽視の実態が明らかになった。
私は、日本人は外国人に対して「二つの顔」を持っていると感じている。
一つは、”おもてなし”という言葉に象徴される、親切で「あたたかい顔」。
もう一つは、在日コリアンにヘイトスピーチを浴びせ、外国人技能実習生を低賃金で酷使し、コンビニや飲食店で働く外国人に横柄に振る舞う「冷たい顔」だ。
こうした二つの顔は、それぞれ別の日本人が持っているのだろうか。
それとも同じ日本人が両方持っていて、国籍や職業、在留資格などで使い分けているのだろうか。
前者も問題だが、後者の場合は、より多くの日本人が深層に差別意識を抱えている可能性があるという点で問題が大きい。
そうだとしたら、私たちは自分の中の「冷たい顔」を捨て去ることができるのだろうか。
可能性はある。
最近は小・中学校に外国人の児童・生徒が大幅に増えた。
現場の先生によると、大変な面はあるものの、子供のころに外国人の同級生と過ごした経験はプラスが多いという。
大学生も、コンビニや飲食店などのアルバイト先で日常的に外国人と接している。
ある私のゼミ生は、「自分以外のアルバイトが全員留学生で、仕事は自分が教えてきた。おかげで外国人の友達が増えた」と胸を張る。
彼から、バイト仲間である外国人を見下す「冷たい顔」は窺えない。
以上です。
>もう一つは、在日コリアンにヘイトスピーチを浴びせ、外国人技能実習生を低賃金で酷使し、コンビニや飲食店で働く外国人に横柄に振る舞う「冷たい顔」だ。
恥ずかしながら、私も「冷たい顔」を持っていますね。
言い訳すると、子どもの頃 親や祖母が韓国人の方や中国人の方をバカにしていたのが染み付いてしまっているようです。😅
今更直らないです。
孫たちのクラスには、同級生に外国人の方がいます。
孫たちは、彼らに偏見を持っていないと思います。
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