団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

彼らは「選ばれた人間」で特別だと思い込んでいるらしい。

2021-08-25 23:55:48 | 日記
 中日新聞の日曜版「おじさん図鑑」に「お山の大将」というタイトルで飛島圭介さんが、エッセーを書かれていました。


 故人だし時効だと思うので遠慮なく書くが、ある登山同好会に周囲から疎んじられ軽蔑されていたリーダーの男がいた。

 とにかく自分勝手で、分担すべき荷物も、自分はリーダーだから持つ必要はないと広言し、一切持たなかった。

 ある日、十数人で下山したとき、最寄りの駅まで一台の車しかなく、何度か往復することになった。

 ふつうは一番バテた人から乗せるのだが彼は違った。

 「俺が最初にきまってるだろうが」とさっさと乗り込んだ。

 次の山行から誰も彼を誘わなくなった。

 猖獗(しょうけつ)をきわめる疫病に打ち勝つべく、日本中でワクチンが投与されている。

 そこには医療関係者や高齢者からという”順番”が決められていた。

 にもかかわらず”横入り”のズルをする人々が次々と現れた。

 地方の有力者、首長ほかの面々だが、報道されても彼らはてんから恥じることもない。

 「私は医療従事者に準ずる立場だ」とのたまった。

 彼らは「選ばれた人間」で特別だと思い込んでいるらしい。

 謙虚さを失った人の末路は、前途の山のリーダーと同様になろう。

 お山の大将は醜悪だ。

 いつか周囲から疎んじられ「俺ひとり」となるだろう。

 以上です。


 
>そこには医療関係者や高齢者からという”順番”が決められていた。
 にもかかわらず”横入り”のズルをする人々が次々と現れた。
 地方の有力者、首長ほかの面々だが、報道されても彼らはてんから恥じることもない。

 たしかにいましたね。😅

 人間の品格を疑います。

>彼らは「選ばれた人間」で特別だと思い込んでいるらしい。

「上級国民」と称される旧通産省工業技術院の元院長 飯塚幸三被告(89)を思い出します。

 何人もの罪ない人をはねて殺したにもかかわらず、謝るどころか車が悪いと言い張る。

 反省ゼロ。

 今までずっと頭を下げて来なかった人間は、 こんな恥じ知らずの人間になってしまうんですね。😅





オフコース/君住む街へ
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若く見られてうれしかったのでは?😊

2021-08-25 01:20:19 | 日記
 先週の日曜日の朝、私の組みの掃除がありました。

 月に一回、団地内の中庭の掃除がまわってきます。

 私はかみさんの具合が悪いなどなければ、いつもかみさんに参加してもらっています。

 かみさんと親しい奥さんが、かみさんに話しかけてきて、「〇〇さん、いくつになったの、60歳ぐらい」と訊かれたので、「トンデモナイ」と。

 「65歳ぐらい?」。

 「かみさんがとんでもない、71歳。去年敬老金をもらったわ。うちの息子が今年45歳なのよ」と言ったら、びっくりされていたそうです。
(私の住む団地では、70歳以上は敬老の日に三千円もらえます。)

 私はいつもかみさんを見ているので歳相応に見えますが、若い時とあまり体型が変わらないので若く見えるのではないかと思います。



VietSub : ĐIỀU CHẮC CHẮN ( 確かなこと ) 小田和正
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昔のスイカジュースは不味くて飲めませんでしたが、果たしてカルディのスイカジュースはどうなんでしょう。

2021-08-24 01:29:46 | 日記
 昨日の午前 スーパーにあるカルディに行って来ました。

 アイスコーヒーがなくなってしまったので、アイスコーヒーを買いに行きました。

 私はアイスコーヒーを売っているところを探しましたが、かみさんは他の商品も見ながらやって来ました。

 かみさんが「ラ・フランスミックスと紅茶のジュレを買った」と言いましたので、「他に何があるの」と訊きました。



 「白桃とジャスミンのジュレがある」と言いました。

 「桃はいいけど、ジャスミンか?」。

 じゃあ、「ラ・フランスミックスと紅茶のジュレでいい」と言ったにも関わらず、かみさんが買ったのは、白桃とジャスミンのジュレでした。
あとで家に着いてから知りました。

 いつも私がかみさんの話を聞いていないと怒りますが、かみさんも私の話を聞いていないです。

 先入観で、かみさんは私が「ラ・フランス」は嫌いだと思っているようです。😅

 でも、昨日の朝食べたところ、白桃とジャスミンのジュレも、美味しかったです。😊




 かみさんが「メロンジュースの味は?」と聞きますので、「そちらから飲んだら」と言いました。


 「パッケージの絵がスイカになっているけど?」と言いましたら、かみさんが商品の所の立て札に「メロンと書いてあった」と言います。

 「ひょっとして、ウォーターメロンってスイカの事じゃないの?」と言って、ネットで調べますとスイカの事でした。😊

 お互いに笑いあいました。

 昔のスイカジュースは不味くて飲めませんでしたが、果たしてカルディのスイカジュースはどうなんでしょう。

 かみさんが何と言うのか、楽しみです。



緑の日々 / オフコース
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GS はよく聴きました。 でも活躍期間は短かかったです。

2021-08-23 01:52:11 | 日記
 中日新聞の「エンタ目」という欄に「GS時代とスパイダース」というタイトルで近田春夫さん(ミュージシャン)がエッセーを書かれていました。


 GSには本当に夢中になったものだ。

 それはある日ザ・スパイダースをテレビで見たことから始まった。

 まだ「グループ・サウンズ」という呼ばれ方はなされていなかった頃の話である。

 ところでエレキブームからGS時代へという世の移り代わりの立役者はザ・サベージだ。

 彼らはもともと英国のザ・シャドウズのナンバーを得意とするアマチュアのインストバンドで「勝ち抜きエレキ合戦」の優勝によりレコードレビューを果たすのだが、その曲というのがそうしたキャリアとは全く路線を異にする純然たる”歌もの”だったのだ。

 いずれにせよ、いわゆるエレキバンドが歌を歌うというスタイルが、この「いつまでもいつまでも」から始まったことはたしかなのである。

 そしてその時サベージがまだGSと呼ばれていなかったこともたしかなのだ。

 ここに源流があったと私は考える。

 スパイダースを最初に見たのは「世界へ飛び出せ ニューエレキサウンド」というこれもエレキの勝ち抜き番組で、彼らはそこでハウスバンドを務めていた。

 この番組のコンセプトは文字通り世界に飛び出せる日本発の音楽を作っていこうというものだった。

 当時、英国のリバプールサウンドが世界を席巻していて、その日本版の成功を夢見たのだ。

 実際スパイダースが自分たちの音を”東京サウンド”と呼んでいた記憶がある。

 スパイダースにしろ、あるいはジャッキー吉川とブルー・コメッツにしろ、世界に向けて発信し、成功したいという思いは強く持っていた。

 ブルー・コメッツのデビュー曲は英語だったし、スパイダースも英語バージョンの「フリフリ」を発表していた。

 ただそうしたチャレンジは結局ことごとく頓挫することとなるのだがそれはそれ・・・。

 「グループ・サウンズ」の呼び名が定着したのはブルー・コメッツのレコード大賞受賞のあたりからだ。

 そこから、それこそあっという間にまさしく”ブーム”が始まるのだが、面白かったのはその”玉石混交”ぶりのすさまじさだ。

 中には本当に目的のわからないような奇抜なアイデアを売り物にするグループもあって、とにかく当時は、GSをいくらでもテレビで見ることができたので、風流を楽しむには事欠かなかった。

 新曲もラジオでじゃんじゃんかかりまくっていた。

 私は結構GSには詳しい方だと思っているが、そんなわけで知識や情報はまあ全てテレビとラジオで済ませた。

 どうもGS話は一回じゃ無理みたいだ。 つづく。

 以上です。


 
>いずれにせよ、いわゆるエレキバンドが歌を歌うというスタイルが、この「いつまでもいつまでも」から始まったことはたしかなのである。

 日曜日の午後からテレビ放送をしていた
アマチュアのインストバンドで「勝ち抜きエレキ合戦」を毎週見ていましたので、サベージのことはよく知っていました。

 「いつまでもいつまでも」のデビュー曲の後、「この手のひらに愛を」を歌いました。

 この歌は寺尾聡さんが、ボーカルでした。
今と違ってぽっちゃりした若者で、あまりカッコよくなかったです。

 GS はよく聴きました。

 でも活躍期間は短かかったです。

 すぐにフォーク・ブームがやって来た覚えがあります。



ザ・サベージ いつまでもいつまでも
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戦争は、ある日突然に天から降ってくるものではなく、長い長いわれわれの「知らん顔」の道程の果てに起こるものなのです

2021-08-22 00:52:34 | 日記
 ちょっと古い記事ですが、中日新聞に「『知らん顔』の果てに」というタイトルの社説が載っていました。


 「法が終わるところ、暴政が始まる」ー。

 十七世紀に活躍した英国の哲学者ジョン・ロックの言葉です。

 名著「統治二論」の中に出てきます。

 では暴政とはなんでしょうか。

 ロックは実にわかりやすく同書で説明しています。

 <暴政とは、人が、その手中に握る権力を、その権力の下にある人々の善のためではなく、自分自身の私的で単独の利益のために利用することである>(岩波文庫)

 権力を自分の利益に使うー。

 何やら近年の政治状況を見事に映し出す鏡のような言葉ではありませんか。

 ならば近年の政治は暴政であったに違いありません。

 
 <法的クーデターだった>


 「集団的自衛権の行使は憲法違反」。

 戦後一貫した政府見解でした。

 それをひっくり返した、二〇一四年の安倍晋三内閣による閣議決定は、さしずめ「法が終わるところ」にあたるでしょうか。

 違憲なのに「合憲」と勝手に内閣が解釈したのですから・・・。

 「解釈改憲だ」とも批判されました。

 集団的自衛権とは何か。

 まず個別的自衛権とは日本が攻撃されたとき使われます。

 従来の政府見解は、この場合のみ自衛権による実力行使を認めてきました。

 自衛隊が国民や国土を防衛します。

 いわゆる「専守防衛」です。

 それに対し、日本が攻撃されてもいないのに、他国どうしの武力紛争に自衛隊が介入するのが集団的自衛権の行使です。

 憲法九条が許しているはずがありません。

 それゆえ高名な憲法学者が「閣議決定は法学的なクーデターだ」と評したほど破壊的な出来事でした。

 全国の憲法学者らがこぞって安倍内閣のやり方を「暴挙だ」と声をあげました。

 その集団的自衛権行使を認めて作られたのが、いわゆる安全保障関連法です。


 <審判の番人が「違憲」>


 これは違憲の法律ではないか、この法律で平和に生きる権利が侵されたー。

 そう国民が思うのも無理からぬところです。

 そして、訴訟になりました。

 これまで全国二十二の地裁・支部で裁判が起こされました。

 既に十の地裁、大阪高裁など二高裁で判決がありました。

 結果はすべて「原告敗訴」です。

 理由はほぼ安保体制によって具体的な危険が生まれたとは認められないというもので、安保体制が違憲かどうかの判断を示していません。

 司法が肝心の憲法判断をスルーしてしまっているわけです。

 非常に残念な状態です。

 でも裁判の過程では重大な証言がいくつもあります。

 例えば宮崎礼壹・元内閣法制局長官の証言です。

 「(安保体制の)集団的自衛権の容認部分は、憲法九条との関係で両立しないものであって、それは一見明白に違憲という域に達していると考えております」

 法制局長官はいわば「憲法の番人」ですから、その経験者の「一見明白に違憲」との証言は重みがあります。

 ①憲法九条の規定に反する。

 ②長年の政府解釈や国会での議論に反する

 ③政府の新たな存立危機事態などの概念は極めてあいまいで混乱を招き、憲法の求めるものに反するー宮崎氏の証言は、この三段論法になっていました。

 一五年当時の法制局長官が国会で「従来の政府解釈はフルスペックの集団的自衛権の合憲性のみを問題にしていた」と述べたことに「あほらしい」と一笑に付しました。

 過去の国会答弁でも、ごく限定して集団的自衛権を認められないかと質問者はわざわざ聞いていたのですから・・・。

 どんな角度からも反論可能で、結論は「違憲」です。

 かつ国民の代表である国会が決めたことは合憲性の推定が働くと言われていることにも宮崎氏は反論しました。

 「一見して明白に違憲ならば、国会が議決した法律でも憲法に違反するという法理は、一般に承認されています」

 訴訟の本質は安保法制への憲法判断を迫ったものなのに、裁判所が直視せず毎回、判断を回避してしまうとは。

 この消極主義はいったいどうしたことでしょう。

 一月に亡くなった作家の半藤一利さんは、この裁判で意見書を書いた一人です。

 裁判官に向けた一節にこうあります。

 <戦前の国家ナショナリズムを擁護する歴史修正主義的な言葉、言論が広まり(中略)ますます憂うべき状況です>


 <大きな視野で歴史を>


 そして大きな視野で歴史と将来を見て考えよと。

 こんなくだりもありました。

 <戦争は、ある日突然に天から降ってくるものではなく、長い長いわれわれの「知らん顔」の道程の果てに起こるものなのです>

 いまいちど、「法が終わるところ」のロックの言葉を噛み締めてはいかがか。

 憲法判断に「知らん顔」をしている裁判官たちよ。

 以上です。


>「集団的自衛権の行使は憲法違反」。
 戦後一貫した政府見解でした。
 それをひっくり返した、二〇一四年の安倍晋三内閣による閣議決定は、さしずめ「法が終わるところ」にあたるでしょうか。
 違憲なのに「合憲」と勝手に内閣が解釈したのですから・・・。

 安倍首相の暴挙を憲法を守らなければいけない法の番人の裁判官が「知らん顔」をしている。

 とんでも無いことです。

 自分の職務を全うしない裁判官ならクビにしたいです。

 衆議院議員選挙の際行われる最高裁判所裁判官国民審査で、憲法を守ろうとしない最高裁裁判官に「X」をつけましょう。







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