12月8日、十三日目
朝食 ホテルで誕生日を迎えた人がいたようです。

ホテル近くを散歩しました。

出発は、朝9時とゆっくりでしたが、時々激しく雨が降り始めました。
ミーソン遺跡
1時間ちょっとで、ミーソン遺跡に着きました。
ミーソン遺跡は、ホイアンの南西40kmにあります。2世紀末から17世紀、ベトナム中部に栄えたチャンパ王国の聖地です。
1999年世界遺産に登録されました。
詳しい歴史を私は知りませんが、クメールと並んで豊かなインドシナの中部も豊かで、チャンパ王国も栄えたのでしょう。
ダナンなど中部は、豊かな水と山岳とそして海洋貿易もさかんで、9世紀になると日本との交易も盛んで、
ホイアン市内には、日本人町があり、日本橋という小さな橋が今日のホイアンのシンボルとなっています。
ミーソン遺跡入り口の建物で、民族舞踊と音楽を見ました。
笛を吹く男性は、息をしながらフエの演奏が出来る特技を持っていて、10分間位吹き続けました。

ミーソン遺跡はいくつかのグループに分かれていますが、一帯はベトナム戦争の激戦地でした。
アメリカ軍の爆弾のクレーターや弾痕の傷跡、不発弾や地雷などの影響で、痛みがひどいです。

ランチ[ホイアン三大名物の揚げワンタン、ホワイト・ローズ、うどんのカオ・ラウ、、ミニシュークリーム]

ランチ後、ガイドの案内でホイアン市内を散策しました。
日本橋

廣勝家(クアンタンの家)

貿易陶磁器博物館(海のシルクロード博物館)


馮興家(フーンフンの家)

廣肇会館

福建会館 看板を修理していました。

天后宮

国営シルク工場

その後2時間ほど自由時間となったので、私は単独でホイアン市内を散策しました。
実は、使い慣れたサンダルの鼻緒がちょっと臭ってきました。
そこで散策がてらサンダルを買おうと思ったのですが、いざ店を探すと意外と無いのでした。
やっと探し当てて、15ドルで買ったのですが、クッションが良くなく、靴擦れになりそうなので靴下をはかなければなりませんでした。
プロテスタント教会 仏教寺院

文聖廟 棺桶屋さん

孔子廟

子ども達がボランティア掃除をしていました。

職員が道路を消毒していました。 お土産屋さん

途中、有料トイレがあり、利用しました。(2000ドンでした。)
待ち合わせ場所のシルク工場に戻り、ツアーと合流しました。
さて、ツアーも終わり、フエ・ホイアン・ダナンともお別れです。ダナン空港まで送ってくれました。
ダナン空港19:10発、ホーチミン空港着20:20です。
所が、19:10発の飛行機は1時間延期とフライト情報がありました。
通訳のファーさんがあらかじめそのことを知らせてくれたのですが、
私は、夏時間の変更のことかと勘違いして、何度か聞き直しました。
空港事務局で、ファーさんは係員にフライト情報の変更について聞いてくれたようでした。
ファーさんと別れた後、しばらくして、空港職員が来て前の便に乗れそうだと話しかけて来ました。
私は彼とは面識が無く初めてですし、パスポートの提示を求められた時は、事情が飲み込めず一瞬「詐欺」かと思いました。
英語では普段使い慣れ無い場面ですし、少し話すうちにやっと正規の職員であること、事情が分かりました。
一度発券された搭乗券が破棄され、新しい搭乗券が届きました。
ベトナムの空港サービス、とても良かったです。
結局、予定通りのフライトとなり、一安心したので、夕食を取ろうと思ったのですが、
ダナン国内空港にはレストランは無く、あったのはインスタントラーメンだけでした。35,000ドン($1.75)

飛行機は予定通りの運行、手荷物引き取りもスムーズ、タクシーも順調でした。
タクシードライバーはマイリンの女性ドライバー、運転は上手なのですが、ひっきりなしに携帯電話がかかって着ました。
ホテルに着いて、お金を払う段になって、ドルではおつりがない、また空港入構の料金が加算されるようなど、上手く通じません。
その時、ホテルから出て来たおそらく韓国人が通訳を買って出てくれ一件落着、確か8ドルだったと思います。
チェックインし、インターネットなどを確かめ、シャワーを浴びると、排水口が詰まっていて、シャワー室からあふれそうになりました。
シャワーのホースの調子も悪いので、急いで体を拭いて、電話をしました。
「しばらくすれば排水されるでしょう」などと言うので、文句を言うと、メンテナンスが着ましたが、
なかなか良くならないので、再度レセプションに電話して部屋を変えてもらいました。
しばらくして、ボーイが来て、部屋を変えてくれました。ベッドに入ったのは、深夜となってしまいました。 【12月8日終わり】
朝食 ホテルで誕生日を迎えた人がいたようです。


ホテル近くを散歩しました。

出発は、朝9時とゆっくりでしたが、時々激しく雨が降り始めました。
ミーソン遺跡
1時間ちょっとで、ミーソン遺跡に着きました。
ミーソン遺跡は、ホイアンの南西40kmにあります。2世紀末から17世紀、ベトナム中部に栄えたチャンパ王国の聖地です。
1999年世界遺産に登録されました。
詳しい歴史を私は知りませんが、クメールと並んで豊かなインドシナの中部も豊かで、チャンパ王国も栄えたのでしょう。
ダナンなど中部は、豊かな水と山岳とそして海洋貿易もさかんで、9世紀になると日本との交易も盛んで、
ホイアン市内には、日本人町があり、日本橋という小さな橋が今日のホイアンのシンボルとなっています。
ミーソン遺跡入り口の建物で、民族舞踊と音楽を見ました。
笛を吹く男性は、息をしながらフエの演奏が出来る特技を持っていて、10分間位吹き続けました。

ミーソン遺跡はいくつかのグループに分かれていますが、一帯はベトナム戦争の激戦地でした。
アメリカ軍の爆弾のクレーターや弾痕の傷跡、不発弾や地雷などの影響で、痛みがひどいです。


ランチ[ホイアン三大名物の揚げワンタン、ホワイト・ローズ、うどんのカオ・ラウ、、ミニシュークリーム]

ランチ後、ガイドの案内でホイアン市内を散策しました。
日本橋

廣勝家(クアンタンの家)


貿易陶磁器博物館(海のシルクロード博物館)




馮興家(フーンフンの家)



廣肇会館


福建会館 看板を修理していました。









天后宮


国営シルク工場

その後2時間ほど自由時間となったので、私は単独でホイアン市内を散策しました。
実は、使い慣れたサンダルの鼻緒がちょっと臭ってきました。
そこで散策がてらサンダルを買おうと思ったのですが、いざ店を探すと意外と無いのでした。
やっと探し当てて、15ドルで買ったのですが、クッションが良くなく、靴擦れになりそうなので靴下をはかなければなりませんでした。
プロテスタント教会 仏教寺院


文聖廟 棺桶屋さん


孔子廟


子ども達がボランティア掃除をしていました。


職員が道路を消毒していました。 お土産屋さん



途中、有料トイレがあり、利用しました。(2000ドンでした。)
待ち合わせ場所のシルク工場に戻り、ツアーと合流しました。
さて、ツアーも終わり、フエ・ホイアン・ダナンともお別れです。ダナン空港まで送ってくれました。
ダナン空港19:10発、ホーチミン空港着20:20です。
所が、19:10発の飛行機は1時間延期とフライト情報がありました。
通訳のファーさんがあらかじめそのことを知らせてくれたのですが、
私は、夏時間の変更のことかと勘違いして、何度か聞き直しました。
空港事務局で、ファーさんは係員にフライト情報の変更について聞いてくれたようでした。
ファーさんと別れた後、しばらくして、空港職員が来て前の便に乗れそうだと話しかけて来ました。
私は彼とは面識が無く初めてですし、パスポートの提示を求められた時は、事情が飲み込めず一瞬「詐欺」かと思いました。
英語では普段使い慣れ無い場面ですし、少し話すうちにやっと正規の職員であること、事情が分かりました。
一度発券された搭乗券が破棄され、新しい搭乗券が届きました。
ベトナムの空港サービス、とても良かったです。
結局、予定通りのフライトとなり、一安心したので、夕食を取ろうと思ったのですが、
ダナン国内空港にはレストランは無く、あったのはインスタントラーメンだけでした。35,000ドン($1.75)

飛行機は予定通りの運行、手荷物引き取りもスムーズ、タクシーも順調でした。
タクシードライバーはマイリンの女性ドライバー、運転は上手なのですが、ひっきりなしに携帯電話がかかって着ました。
ホテルに着いて、お金を払う段になって、ドルではおつりがない、また空港入構の料金が加算されるようなど、上手く通じません。
その時、ホテルから出て来たおそらく韓国人が通訳を買って出てくれ一件落着、確か8ドルだったと思います。
チェックインし、インターネットなどを確かめ、シャワーを浴びると、排水口が詰まっていて、シャワー室からあふれそうになりました。
シャワーのホースの調子も悪いので、急いで体を拭いて、電話をしました。
「しばらくすれば排水されるでしょう」などと言うので、文句を言うと、メンテナンスが着ましたが、
なかなか良くならないので、再度レセプションに電話して部屋を変えてもらいました。
しばらくして、ボーイが来て、部屋を変えてくれました。ベッドに入ったのは、深夜となってしまいました。 【12月8日終わり】