チェ 28歳の革命=原題は、Che Part One =2部作の1部
久し振りに映画を見た。『チェ 28歳の革命』を見た。
見る前は、活劇とラブロマンスのC級映画かなと半信半疑だったが、その予想に反し、おもしろかった。
ゲバラの顔を描いたTシャツなどのグッズを最近よく見かける。
チェの生い立ちや、結婚、カストロとの出会いなどの説明を思い切って捨象し、
キューバ革命の革命戦争と、
革命後の国連総会でのチェの演説シーンをドキュメンタリー風に白黒で挿入に絞って、描いたのがよかった。
志願してきた少年に、革命は毎日戦闘する華々しいものでなく地道な活動だ、
行軍は何日も食べないで、寝ないで、泥まみれになって歩くこともある、
若者はまず読み書きできなければならない、と諭すチェはナイーブで優しい。
革命軍からの離脱も認めた。
革命のロマンティシズムがまだ豊かな時代だった。
毛沢東もホーチミンも、兵士に農作物は盗むな、女性はからかうなと口を酸っぱくして教育した。
もっとも、兵士は行軍中畑に作物があれば盗んで食べ、女性を見ればからかった、と言うことではあるが。
キューバ人が、英語でなく、スペイン語を話すのがよい。
第2部も、公開中である。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【以下は予断である】
共産主義者で革命家のゲバラが見直され、親しみをもって受け止められ、
このような映画が製作されるのはどのような社会的背景なのだろうか。
最近になって、古いと言われて久しいマルクス・資本論・共産主義が改めて評価され、見直されていることは、
今の時代を解き明かし、人々に希望をもたらす思想や理論が生まれていないということなのかもしれない。
アメリカの喉元で、キューバのような小さな社会主義国がどうして生き延びることが出来たのであろうか?
私は、時代が1950年代末であったことと、
逆説的のようだが、キューバがアメリカの裏庭であったことの二つが関係していると思う。
時代は東西の対立が激化していく時代なのだが、朝鮮戦争がやっと終わり、双方はあまりに疲弊していたし、
同時に、その後第三世界・非同盟運動と呼ばれる植民地解放・民族独立運動にはキューバへの暖かい眼差しがあった。
アメリカの裏庭には二つの意味があって、
一つは、アメリカはキューバがあまりに近く自分の裏庭みたいなものだから、経済封鎖や侵攻作戦によって
簡単にカストロ政権の転覆が出来ると錯覚し、またキューバ民衆を愚民視していた。
反面、ソ連から遠く離れていたことはキューバに幸いした、と言うことである。
キューバはアメリカの裏庭なのだから極端なソ連軍の進出はアメリカの反発をうけてしまうし、
またキューバはソ連から遠く東欧のように直接的な支配を受けにくかった、のである。
このことは、後にソ連のフルフショフがソ連の核ミサイルをキューバに建設しようとした
いわゆるキューバ危機の時はっきりした。
アメリカは、イラク戦争で知られるようになったグァンタナモ基地を革命以前からもそして今もなお保持し続けて来たのであり、
キューバに対して執拗な軍事的侵攻作戦を行い、またスパイを送り込んでキューバ政権の転覆行動を行ってきたし、
かつ全面的な経済封鎖を40年以上にわたって行って来た。
そうした理不尽なアメリカの攻撃に対して、キューバは持ちこたえてきた。
今日、アメリカの1950年代のクラシックカーをどこよりも保有しているのがキューバである、と言われる。
アメリカの経済封鎖によって自動車が輸入できないキューバは、富裕層が捨てていった車を修理して
今なお使っているという。
ソ連の経済圏に入って後一時、キューバは砂糖だけのモノカルチャー経済を強いられたが、それからの離陸を徐々に果たし、
ソ連崩壊後も、最大の支援国を失いながら持ちこたえてきた。
それは、医療費や教育費の無料や貧しいながらも安定的生活が営める社会福祉政策をとってきたからであると言われる。
キューバが一番発展途上国から信頼されているのは、途上国への医師の派遣援助だと言われている。
キューバでは大量の医師を育成し、医師の足りない途上国に医師を派遣しているという。
カストロはすでに高齢で事実上政治活動から引退しているが、その死が心配されている。
アメリカは、彼の死後、キューバに揺さぶりをかけようとしているからである。
久し振りに映画を見た。『チェ 28歳の革命』を見た。
見る前は、活劇とラブロマンスのC級映画かなと半信半疑だったが、その予想に反し、おもしろかった。
ゲバラの顔を描いたTシャツなどのグッズを最近よく見かける。
チェの生い立ちや、結婚、カストロとの出会いなどの説明を思い切って捨象し、
キューバ革命の革命戦争と、
革命後の国連総会でのチェの演説シーンをドキュメンタリー風に白黒で挿入に絞って、描いたのがよかった。
志願してきた少年に、革命は毎日戦闘する華々しいものでなく地道な活動だ、
行軍は何日も食べないで、寝ないで、泥まみれになって歩くこともある、
若者はまず読み書きできなければならない、と諭すチェはナイーブで優しい。
革命軍からの離脱も認めた。
革命のロマンティシズムがまだ豊かな時代だった。
毛沢東もホーチミンも、兵士に農作物は盗むな、女性はからかうなと口を酸っぱくして教育した。
もっとも、兵士は行軍中畑に作物があれば盗んで食べ、女性を見ればからかった、と言うことではあるが。
キューバ人が、英語でなく、スペイン語を話すのがよい。
第2部も、公開中である。
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【以下は予断である】
共産主義者で革命家のゲバラが見直され、親しみをもって受け止められ、
このような映画が製作されるのはどのような社会的背景なのだろうか。
最近になって、古いと言われて久しいマルクス・資本論・共産主義が改めて評価され、見直されていることは、
今の時代を解き明かし、人々に希望をもたらす思想や理論が生まれていないということなのかもしれない。
アメリカの喉元で、キューバのような小さな社会主義国がどうして生き延びることが出来たのであろうか?
私は、時代が1950年代末であったことと、
逆説的のようだが、キューバがアメリカの裏庭であったことの二つが関係していると思う。
時代は東西の対立が激化していく時代なのだが、朝鮮戦争がやっと終わり、双方はあまりに疲弊していたし、
同時に、その後第三世界・非同盟運動と呼ばれる植民地解放・民族独立運動にはキューバへの暖かい眼差しがあった。
アメリカの裏庭には二つの意味があって、
一つは、アメリカはキューバがあまりに近く自分の裏庭みたいなものだから、経済封鎖や侵攻作戦によって
簡単にカストロ政権の転覆が出来ると錯覚し、またキューバ民衆を愚民視していた。
反面、ソ連から遠く離れていたことはキューバに幸いした、と言うことである。
キューバはアメリカの裏庭なのだから極端なソ連軍の進出はアメリカの反発をうけてしまうし、
またキューバはソ連から遠く東欧のように直接的な支配を受けにくかった、のである。
このことは、後にソ連のフルフショフがソ連の核ミサイルをキューバに建設しようとした
いわゆるキューバ危機の時はっきりした。
アメリカは、イラク戦争で知られるようになったグァンタナモ基地を革命以前からもそして今もなお保持し続けて来たのであり、
キューバに対して執拗な軍事的侵攻作戦を行い、またスパイを送り込んでキューバ政権の転覆行動を行ってきたし、
かつ全面的な経済封鎖を40年以上にわたって行って来た。
そうした理不尽なアメリカの攻撃に対して、キューバは持ちこたえてきた。
今日、アメリカの1950年代のクラシックカーをどこよりも保有しているのがキューバである、と言われる。
アメリカの経済封鎖によって自動車が輸入できないキューバは、富裕層が捨てていった車を修理して
今なお使っているという。
ソ連の経済圏に入って後一時、キューバは砂糖だけのモノカルチャー経済を強いられたが、それからの離陸を徐々に果たし、
ソ連崩壊後も、最大の支援国を失いながら持ちこたえてきた。
それは、医療費や教育費の無料や貧しいながらも安定的生活が営める社会福祉政策をとってきたからであると言われる。
キューバが一番発展途上国から信頼されているのは、途上国への医師の派遣援助だと言われている。
キューバでは大量の医師を育成し、医師の足りない途上国に医師を派遣しているという。
カストロはすでに高齢で事実上政治活動から引退しているが、その死が心配されている。
アメリカは、彼の死後、キューバに揺さぶりをかけようとしているからである。