風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

第63回ピースボート・地球一周の船旅20・サントドミンゴ/ドミニカ共和国編

2009年02月03日 | 63回ピースボート
ピースボート・地球一周の船旅20
サントドミンゴ/ドミニカ共和国編
[11/23]

サントドミンゴ港に、8:00に着いた。
ツアーを取らず、一人でサントドミンゴの旧市街地[コロニアルゾーン]を歩いた。
ほぼ1km四方の狭い地域である。
オサマ川が海に注ぐところが港で、その川に沿ってオサマ砦の城壁が堤防のように延びている。

右はオサマ砦。

砦に入る入り口はいくつかあるようだが、着岸点から一番近いサン・ディエゴ門から入った。

入ってすぐにアタラサナス博物館があったが、日曜で休館であった。

しばらく行くとスペイン広場がある。

サンフランシスコ修道院

に向かうと、修道院前で闘鶏を楽しんでいた。

修道院裏はさびれていた。

アンバー・ワールド博物館[琥珀の博物館、一階は店]は写真だけ撮って、


サン・アントン教会を訪れた。

住民が、この脇が通り抜けられると教えてくれたので行ったのだが、
砦=城壁の外で、道に迷いそうなので引き返した。

コロンブス家が三代にわたって住んだ屋敷跡はアルカサル博物館となっている。

部屋の中から“モナリサ号”が見えたので、日本人観光客の後ろ姿の撮影をした。

アルカサル博物館中からスペイン広場をのぞく。


ガイドブックでは、王宮博物館は日曜休館となっていたが開いていた。


博物館前に日時計があり、そこから“モナリザ号”が見えた。
その左に馬の彫刻、背後に“モナリザ号”。

そのすぐ先に聖母マリア礼拝堂

聖母マリア礼拝堂は日時計の直ぐ隣なのにわからず通り過ぎ、あちこち探し回った。
聖母マリア礼拝堂の前に、パンテオン=霊廟

その天井には、


パンテオンの隣の広場で骨董市が開かれていた。


琥珀博物館を探しているとガイドが強引によって来た。


この一帯コロンブス広場にはガイドがたくさんいて、地図を広げようならすぐ寄ってくる。

そのガイドは、今日は琥珀博物館は休みだ、無料の琥珀博物館に案内するという。
最初は断ったのだが、あまりのしつこさに負けて、ついていくと土産物屋であった。
これが失敗であった。
買わないで出ると彼は、一番最初に行ったアンバー・ワールド博物館を案内した。
仕方なくガイドに2ドルのチップを払って、その博物館を見学した。
その博物館では、そこのガイドが無料で良いと言って英語で説明を始めた。
途中でチップを渡そうとしたら細かいお金が無かった。
そう告げると、彼は仕方ないと一階のショップに連れて行った。
店員が売ろうと説明し始めたので、博物館に行きたいと言ったら連れて来られた、
買うつもりはないと何回も言うとやっと解放してくれた。
再び、コロンブス公園に戻り、喫茶店に入った。
英語がよく通じないでいると、先ほどのガイドがやって来てコーヒーを注文してくれた。
混んでいて相席になった。話しかけるとフランス人だという。若いのにはげていた。
彼に別れて、大聖堂

の写真を撮っていると先ほどのガイドがまた寄ってガイドするという。
今度4は断って、地図を見ていると今度は別のガイドが。
大聖堂の先に三つの教会があった。
レジーナアンジェロウム教会

テルセラオルデン教会

コンベント教会


コロンブス広場・大聖堂に戻るとミサを行っていたので少し見学した。
大聖堂正面

司祭の説教は絶叫調で実にけたたましかった。

腹が空いたが、先にオサマ砦をみた。
入り口


砦の塔


オサマ砦内のコロンブス像


砦の上


コンデ門


昼ご飯を食べようとしたのだが、日曜日で多くの店が閉じていた。
英語が話せるウエイトレスが居て、米ドルでよい適当な店がやっとあった。
ビールとサンドイッチを注文した。
真夏の暑さで、カチカチに冷えたビールがとてもうまかった。
小瓶なのにとても酔った。小一時間かけてゆっくり食事をした。
約米11ドルであった。
細かいのがない、カードはだめだという。20米ドル紙幣を出すとお釣りはドミニカペソで来た。
後、ドミニカペソを使う予定はない。おつりがペソでは困った。
しばらく考え、財布をよく見ると、10ユーロ紙幣があった。
仕方なくそのままお釣りを返して、ソリーと言って10ユーロ紙幣を出すと、
「ユーアーウエルカム」と怒らずに応じてくれた。
本当に助かった。
実は、この店には先ほどのフランス人がいた。
彼は今度は女の人と一緒であった。
知らん顔して別れるのはいやなので、近づいて挨拶すると握手してくれた。
だいぶ疲れたが、まだ時間があるし、ドミニカペソが少し余っているのでので、
ハウスキーパーへのお土産を探しながら独立記念公園を目指した。


約1kmの商店街なのだがお菓子屋は一軒もなく、買うのをあきらめ、帰った。
歩いたのは約1km四方の狭いエリアだけだ。
新市街地は時間が無く行けなかった。きっとまるで違うのだろうなと思う。
日曜日で多くの商店が閉じていたが、大きな通りは人通りが多く賑わっていた。
観光客も多い。
それよりも多くうるさいのは観光ガイドだ。
ちょっと立ち止まって地図など見てなどいると近寄って話しかけるのだ。
英語、そして日本語で。
断っても断っても着いてくるのだから始末に負えない。
ちょっとした路地にはいると日曜だからだろうか、人々は歩道に椅子を出して話している。
その脇を通り過ぎると、「こんにちは、さようなら」などと日本語で声をかけてくるのだ。
もちろん日本語はそれだけだが。
英語は多くは通じないので、会話はそこまでだが。
米ドル、ユーロとも使えるが計算しやすいところでキリ上がるので割高にはなる。
釣りはペソとなるが、両替する必要もない、と思った。

16世紀には先住民はほぼ絶滅したそうだ。
ソーナ・コロニニアル(旧市街)地区では、多くがコロンブスゆかりだ。
観光のためだけとは思えない、この地の歴史はどうやらコロンブスから始まるらしい。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。