ピースボート・地球一周の旅/最終回
蛇足画竜点睛
『63回ピースボート・地球一周の船旅』のブログも長くなってしまった。書き忘れたことなどを、最後に書く。
船内生活アラカルト
船内生活については『閑話休題』で少し触れたが、忘れたことを補足する。
船 室
は狭く、約幅2.5m、縦5~6m、そこに小机・ソファー・クロゼーット、ベッドが1か2、または2段で3~4入り、
別に洗面台・トイレ・シャワーかバスである。[写真も撮り、メジャーで測ったのだが記録は紛失してしまった]
「値段は高くても絶対一人部屋にしなければだめよ」と妻が言ってくれたので窓なし一人部屋にしたが、
こんな狭い空間に他人と3ヶ月も生活するなんてまるで刑務所生活みたいである。
夫婦でも息苦しかったのではないかと私は想像する。
ルームメートとあわずに、クルーズ途中でお金を払って一人部屋に移った人もいた。
オーバーランドツアーでの一人部屋はかなり高くなるのだが、私は一人部屋をオプションした。
ただ、食事したレストランの名前やその内容は写真に撮らなかったしメモもしなかった。
甲板ラジオ体操やダンスや卓球など集団でやるものには行かなかった。
その代わり30分ほどのストレッチや、30~1時間の甲板歩きをした。ジムは利用しなかった。
船内映画は、DVDのプロジェクタ上映なので、映像はきれいで無いし画面も小さい。
キャビン内TVは天井近くに備え付けられているので、長く見るには疲れてしまう。
衣 服
オーバーランドツアーは4~5日なのでその備えを考えて、ジャケット1、薄い上着2、ジャージズボン2[普段着]、
半ズボンジャージ2、Yシャツ4、半袖ポロシャツ2、Tシャツ10位、パンツ10位、ベスト1、セーター1、
冬用ジャンパー1[帰り用]、ステテコ2[寝間着用]、ズボン1、チノパン2、靴下7、上下トレーナー1程度であった。
帽子は日除け帽子とハンチング、上等な雨具。
トレーナーは不要でその代わり薄いウインドブレーカーがほしかった。
日除け対策・冷房対策として上着かYシャツは必需品である。
使い慣れた革製のウォーキングシューズ2、サンダル2を持って行った。
3ヶ月を過ぎた頃サンダルの一つが壊れ、シューズもほころびてきた。
ホテル用に携帯スリッパも必要だ。
洗濯は、5~6日毎にランドリーサービスを利用した。2日後に戻ってくる。
ランドリーサービスだがYシャツの襟・袖口は自分でアイロンをかける必要がある。
何度も利用したが、靴下が一つ無くなった・他の人のTシャツ1が一度紛れ込んできただけであった。
一度失敗したことがある。申込書の数と実際に出した数が違っていたため、洗濯されずに戻って来たのだ。
オーバーランドツアーの時は速乾性の下着を使用しホテルで洗濯した。
タオル・バスタオル・バスマットは備え付けられ、毎日洗濯してくれる。
シーツ類は5日毎に交換してくれる。
ティッシュペーパーは支給された。
食 事
船内の食事はとても栄養バランスがよく私はとても気に入った。
特に生野菜と果物は毎日あった。
納豆・冷や奴、梅干し、漬け物、ひじき、おからなどもあった。
焼き魚だけは出なかった。
飲む食酢は売店にもなかった。
紅茶、インスタントコーヒー・味噌汁等は持って行ったのだが、
もらってきたポットの湯はすぐ冷めてしまうのでほとんど飲まなかった。
粉の緑茶は冷水でも溶けるのでとても良かった。船外に出るときは作って持って行った。
個人が飲むお酒を、船外からキャビン内に持ち込むのは原則禁止されている。
モナリザ号に移ってからは、食事の時一杯250円のグラスワインを1,2杯飲むようになった。
バーや居酒屋で飲むことは少なかった。
船内食堂に入るとき、Tシャツ・サンダルで良いのはとても良かった。
食堂には、相席にはなるが、一人で行った。
必 需 品
水着は持って行ったが一度も泳がなかった。
水着はプール・海で泳ぐのが好きな人は必携である。
サンダルはビーチサンダルとかかとを固定できるタイプとの二つあった方がよい。
水で濡らし気化熱で体温を下げるネッカチーフは暑さ対策に有効であった。
耳かき、爪切り、マスク、万歩計、リップクリーム、センスは持って行った。
万歩計は紛失し、100円扇子はすぐ壊れ、リップクリームは足りなくなった。
爪切りは必需品だが、飛行機に乗るときは注意が必要だ。
はさみは持って行くのを忘れたので船内売店で600円で買った。
体温計は持って行かなかった、携帯血圧計は持って行ったが使わなかった。
高山病の時どうだったかは興味があるが。
薬 整腸剤、止瀉薬、抗生物質、解熱剤、化膿止め塗り薬、目薬等の薬は娘が準備してくれたが、
使ったのは止瀉薬と整腸剤だけであった。
だが、荷物にならないので万一の時に備えて必要。
酔い止めの薬は船で無料でもらえた。
デジカメの電池、国内にいるときパソコンからの充電式は使い勝手が悪かったので2代目のカメラは電池式にした。
100円電池はすぐ無くなるが国内では問題ないが、海外では困ると思って充電式電池にした。
充電式電池の値段はとても高いがこれは大成功だった。
キャビンのコンセントは100~110ボルトとわかっていたので変圧器は持って行かなかったが、
接続口が一つしかなかったので多ソケット付き延長コードが必要であった。
髭剃りは、安全カミソリと充電式髭剃りを持って行った。
新しく買い求めた安い充電式髭剃りの調子がすこぶる良かった。
ホテルでは電圧が異なるので船内で充電して持って行く必要がある。
ドライヤーは備え付けられていた。
現金について
私は、土産はほとんど買わなかった。船内はカード決済なので現金は必要ない。
現金が必要なのは、船を下りた時、自由行動をする時は絶対に必要である。
私は、570米ドル[64000円]、200ユーロ[33000円]、日本円で3万円の現金を持って行った。
使った現金はおおよそ、450米ドル、200ユーロ、0.5万円であった。
カードで使った船内生活費は3万円位ではないかと思う。
予想外の滞留で現金使用の機会が増えた時はかなり深刻で、けちけち生活であった。
水は船内から持って行くが、足りなくなったら水は買わなければならないし、ビールを飲むには現金が必要である。
水・ビールの値段は不思議なことに世界中ほぼ同じで、3~5米ドルであった。
ニュージランド・オーストラリアの他に米ドルを使えず現地通貨しか使えない所は2~3カ所あった。
ユーロ圏以外ではほとんど米ドルが使えた。だが、米ドルは使えてもお釣りは現地通貨となる。
高額紙幣の場合、レートの問題とおつりの金額が正確かという問題がある。
米ドル支払いでは値段の端数が切り上がる、例えば5.2ドルの場合だと6ドルのように。
少し位ならば高くても良いなら、少額紙幣の米ドルで釣りが無いように支払えばよい。
小額紙幣とは1,2,5ドルである。20,50,100ドル札はまず使い道がない。
ほとんどのホテル、レストランではチップは必要ないが、必要なところもある。
また、トイレチップが必要なところもあって、1ドルのような小額紙幣は絶対に必要である。
5ドル位の買い物にカードというわけにはいかない。
現金ほとんど使わなかったので金銭出納簿はつけなかった。
高度情報社会の中の超スローアナログ
国際携帯電話は持参しなかったが、今回のようなアクシデントの時は必要かもしれない。
インターネットは使うつもりで、中古のB5モバイルパソコンを買って持って行ったが、
電波事情が悪く、料金が高いので、2回ほどで使うのを止めた。
しかし、デジカメ処理と音楽を聴くにはパソコンは絶対必要であった。
だが、英語自動翻訳ソフトを入れ忘れたのは失敗であった。
電話・ファクス・手紙等での相互の連絡は必要ないと言って家を出た。すぐ帰れないのだから。
アクシデントがあったので手紙を書こうと思ったがレターセットは持ってこなかった。
船内からの葉書は150円、手紙は300円かかる。寄港地で切手を買える場合は現地で出した方が安い。
しかし寄港地によってはいつ日本に着くかの目安がたちにくい寄港地もあるようだ。
私は一度も電話はかけなかったのでよくわからないが、国際電話は船内は衛星回線のためか事情が悪く
かかりにくいし、値段も高い。寄港地でかけるのが良いらしいが、時差の問題があったり、システムが
違ったりするのでこれも結構大変だったらしい。
ともあれ、情報時代の現代というのに通信事情ははなはだ悪い。
船内新聞
船内では毎日、船内新聞が発行された。
A3の裏表で、表は記事、裏はブッカーといってその日の船内企画やスケジュールが記されている。
船内生活にはこの新聞は必需品である。
掛け値なしに、この二人の責任者の仕事は立派で素晴らしかった。毎日発行するのは簡単なことではない。
英語学習
GET[Global English Training]の英語・スペイン語教室はとても良かった。
一回100分で計35回12万円、お金がかかってももっと回数が多い方が良かった。私は初心者クラスであった。
私の先生はイギリス人で、その発音はほれぼれするほど美しかった。
アメリカ英語の巻き舌“r”の発音がないのが何より良かった。
また、canは米語ではキャンだが、英国式はカンなのも私の耳には聞こえよい。
100分間はちょっと長いが、心地よいストレスと緊張感であった。
正規のクラスの他に無料の初級・中級・上級講習会、スピーチコンテスト、芝居やビデオ等 を作る特別プロジェクト、
GETオリンピック[英語を使ったゲーム大会]等もあった。
私は無料講習会・スピーチコンテスト・GETオリンピックに参加した。
クルーはほとんど外国人である。ハウスキーパーやウエイター・ウエイトレスも。
英語を話せる環境は多い。
特別講演
水先案内人というゲストの特別講演もあるのだが、戦争と平和を理解するには旧約聖書の知識が必要だと言って
創世記やバベルの塔などの知識を1時間も披露するのには耐えられず止めた。
生意気なようだが、他の講演も概ねオリエンテーションみたいな内容が多いのでほとんど参加しなかった。
個人が企画する集いもあったが、童謡を歌おう、太鼓をたたこう、みたいのものが多くこれもほとんど参加しなかった。
憲法九条の歌というのがあって、これを手話で表現したいと頼まれたので最初の一回だけ参加した。
ま と め
いろいろなトラブルがあったが、私としてはこの旅に満足している。
外国旅行するためのオリエンテーション・訓練として、英語学習、忙しくないのんびり旅行、という
当初の私の目的は達成できたと、思うからである。
長い旅行ではあったが疲れは感じなかった。ホームシックも感じなかった。
シンガポール・イズミール・ギリシャでは予想外の滞在となり、とても素敵な楽しい経験ができた。
これからの私の残り少ない人生についてのんびり思いを巡らすことが出来たことが一番良かった。
世界は広く多様であることがわかった。日本の市民生活の環境がとてもよいことがよくわかった。
例えばトイレ事情の良さ・街のきれいなこと・治安が安定していること・生活マナーがよいこと・日本食のおいしさと
バラエティに富んでいること・交通事情ルールがよいこと[タクシーのぼったくりがない、信号・横断歩道がある、
車が止まってくれること]、チップがないこと・物価が明朗で見てわかること、等たくさんある。
だが、これらは私が日本で長い間生活してきたからそう感じるのであって、
そのこと自体に価値があるとか、重要であるとか、優れていると言うことでは決してない。
人の生活感覚・価値観は絶対的なものではなく相対的なものだが、長い間に培われたのでとても強いのだ。
自然は雄大だし、人びとは魅力的だし、知らないことはたくさんあるし、おもしろいこともたくさんあるし、
観光・旅・旅行それらの違いの詮索・言葉遊びはどうでも良い、ともかく日本・世界に出かけよう。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
クルーズの漂流・あたかもボートピープル
63回クルーズは、アクシデントがあって一ヶ月も長くなった。
ダナン、シンガポール、クサダシ、イズミール、ピレウスで、強制的に留め置かれた。
特にイズミールでは2週間以上の長期に渡って留め置かれた。
驚く無かれ、クルーズが終了して2日後には次のクルーズに出発するのである。
キャビンの消毒・メンテナンスが二日間で出来るとは私には思えない。
イズミールで突如、非常時誘導設備等[暗くても非常口の存在場所とそれへの経路がわかる等の装置]が設置された。
それまではそれらが全くなかったのである。
キャビン内では、電気が消えてもライフジャケットの存在がわかる装置はなかった。
イズミールでは予備バッテリィーの不備が指摘され、新しいものが準備された。また、エンジン調整も行われた。
その場合、エンジンのフル運転検査が義務づけられているそうで、船はピレウスに全速で向かったが、
船は激しく左右に揺れスクリュウの軌跡も不規則だったように思う。
62回クルーズでは、船体に2.5インチの亀裂が見つかりアメリカ沿岸警備隊に約一週間にわたって止められたという。
そもそもそんな小さな亀裂の存在がどうしてわかったのであろうか。
それは表向きの理由で実際は、エンジントラブルで自力航行できず、援助を求めたのではないか。
問題は、ピースボート・ジャパングレースはこうした船のトラブル・不具合は知らなかった、
自分たちには全く責任が無いと言い張り、船の不具合などについての詳しい情報を全く公開しないこと、にある。
私は、実はピースボート・ジャパングレースは63回クルーズの出発前にクリーッパー・パシフィック号に重大な欠陥が
あることを知りながら、航海中に修理すれば何とかなると思っていたのではないかと思っている。
イズミールに長期停留されていたとき、船内放送でしきりに船会社の副社長が呼び出されていた。
おそらくそのとき、代替船や損害賠償などについての交渉が行われていたのではないかと思う。
ジャパングレースの社長がイズミールに来て謝罪し、代替船を探していると説明してからわずか一週間後に
代替えが決まったのである。
一連の不始末について、300米ドルの解決金と次回以降のクルーズの12万円の割引券、クルーズを途中で止めて
帰国する人に飛行機チケットを提供する、延びたクルーズ代は支払う必要がない、と言うものであった。
以上の経過を見て明らかなように、ピースボート・ジャパングレースは普段は平和や人権や情報公開などを主張しているのだが、
自分達に関わることや批判になると秘密主義・無責任・曖昧になって、情報公開どころではないのだ。
つまり他に対しては厳しく、自分については超甘え、である。
決められたことはマニュアル通り出来るのだが、予想外の出来事への対応能力ははなはだ希薄で、
危機意識・危機管理能力がきわめて弱いと言わざるを得ない。
今回の不手際に対して批判したり注文した人への対応は、まことにひどかった。
信じられないことに彼らに対してスパイもどきのことをした。
例えば尾行をしたり、近くの部屋に職員を配置して様子を探ったりしたのである。
和解が近づくとこうしたことがパタッと無くなった。
カードが使えない/そんな信じられないできごとが
モナリサ号に移って1ヶ月たった時、カードが使えない可能性があると船側から言われた。
11月分のカード使用料金を請求をする時、システムミスで2桁多い金額を請求した可能性があるというのである。
つまりそれでは一ヶ月の限度額を超えてしまうのでカードが使えないのである。
カード会社への電話は、個人情報に関わるので私に電話をかけて聞いてくれと言うのだ。
結局、私のカードは使用できなかった。
このあってはならないミスにより、どのような実害が生じるのか、それに対してどのような保障・手当をするのか、
等の説明は一切ない。
船上でなければ、あちこち電話したり、ネットで暴露できるが船上では為す術がない。
しばらくしてその請求は取り消されたらしいが、いつ取り消したのか等の説明も一切無かった。
日本に帰って、1月下旬にカード会社から自宅に送られた報告書で過請求・その訂正の日がわかった次第。
折り鶴プロジェクトって?
私はこれまで、今回のクルーズに被爆者102人が乗船したこと、彼らが無料で招待されたことは全く触れずに来た。
この事業・折り鶴プロジェクトと言うのだが、我々はクルーズ出発前に何の説明も報告も受けていない。
乗船して初めて知らされたのである。
だが、この計画がどのような経過で立ち上げられたのか、資金はどうなっているのか、
メンバー選考の基準は何かなどは全く説明がなかった。
にもかかわらず、このクルーズの目玉は、折り鶴プロジェクトだというのだ。
私は、それを聞いたとき、原水禁・原水協・被団協などの団体が協力して乗船者を推薦しているのだと思った。
そうではなく、インターネットと新聞での公募だったと言う。
彼らの内訳は様々であって、これまで非核・反核運動をしてきた人もいれば、全く無関係な人もいる。
被爆体験の記憶のない体内被曝の人や被爆の時幼児だった人もいて、それでも良いのかと聞いたら、
問題ないという返事だったという。
どんなに見積もっても、一人あたり100~150万円として1~1.5億円がかかっている。
そもそもこのお金はどう捻出され、会計報告はどのようにされるのだろうだろうか。
大衆的運動というのであればこうしたお金に関わることはクリーンかつ透明でなければならないと思うのだが。
問題は、自分達の運動は原水禁・原水協・被団協とは無関係なだけでなく、そうした古い運動・しがらみとも関係なく、
全く新しい運動だと、豪語することである。
これまでの原水禁運動・被爆者運動に全く問題が無かった訳ではないが、
それらの運動なしに今日の被曝者認定や手帳や医療などの諸手当はなかったことは確かである。
彼らはこれまで、自前の非核・反核運動をして来たとはとても言えないのに、これまでの非核・反核運動は、
8月だけの季節運動だったと平然と言ったり、向こう10年の間に核廃絶する、と大言壮語を言う。
この折り鶴プロジェクトも、地道な自前の運動といえる代物ではない。
私の感想は、運動を金で買っている、と言うことだ。
今回のクルーズでの運動を映像化し、今後その上映会を全国各地100カ所位[自治体・学校]で行う、と言う。
その映画がスティーブン・岡崎のドキュメント映画“ヒロシマナガサキ”[2007年アカデミードキュメント受賞作品]
より優れているとは私にはとうてい思えないし、100カ所での上映活動がそんなに簡単に出来るとも思えない。
今回のトラブルの解決金300米ドルが支払われる窓口の脇に職員が立って、折り鶴プロジェクトへのカンパの訴え
をしているのを目の当たりにしたとき、私は何て品がない事をするのだと強く拒絶感を感じた。
どうして、こんなことが平気で行えるのだろうか、と私は怒りを感じた。
折り鶴プロジェクト参加者にもこの解決金は出たのである。 おわり
蛇足画竜点睛
『63回ピースボート・地球一周の船旅』のブログも長くなってしまった。書き忘れたことなどを、最後に書く。
船内生活アラカルト
船内生活については『閑話休題』で少し触れたが、忘れたことを補足する。
船 室
は狭く、約幅2.5m、縦5~6m、そこに小机・ソファー・クロゼーット、ベッドが1か2、または2段で3~4入り、
別に洗面台・トイレ・シャワーかバスである。[写真も撮り、メジャーで測ったのだが記録は紛失してしまった]
「値段は高くても絶対一人部屋にしなければだめよ」と妻が言ってくれたので窓なし一人部屋にしたが、
こんな狭い空間に他人と3ヶ月も生活するなんてまるで刑務所生活みたいである。
夫婦でも息苦しかったのではないかと私は想像する。
ルームメートとあわずに、クルーズ途中でお金を払って一人部屋に移った人もいた。
オーバーランドツアーでの一人部屋はかなり高くなるのだが、私は一人部屋をオプションした。
ただ、食事したレストランの名前やその内容は写真に撮らなかったしメモもしなかった。
甲板ラジオ体操やダンスや卓球など集団でやるものには行かなかった。
その代わり30分ほどのストレッチや、30~1時間の甲板歩きをした。ジムは利用しなかった。
船内映画は、DVDのプロジェクタ上映なので、映像はきれいで無いし画面も小さい。
キャビン内TVは天井近くに備え付けられているので、長く見るには疲れてしまう。
衣 服
オーバーランドツアーは4~5日なのでその備えを考えて、ジャケット1、薄い上着2、ジャージズボン2[普段着]、
半ズボンジャージ2、Yシャツ4、半袖ポロシャツ2、Tシャツ10位、パンツ10位、ベスト1、セーター1、
冬用ジャンパー1[帰り用]、ステテコ2[寝間着用]、ズボン1、チノパン2、靴下7、上下トレーナー1程度であった。
帽子は日除け帽子とハンチング、上等な雨具。
トレーナーは不要でその代わり薄いウインドブレーカーがほしかった。
日除け対策・冷房対策として上着かYシャツは必需品である。
使い慣れた革製のウォーキングシューズ2、サンダル2を持って行った。
3ヶ月を過ぎた頃サンダルの一つが壊れ、シューズもほころびてきた。
ホテル用に携帯スリッパも必要だ。
洗濯は、5~6日毎にランドリーサービスを利用した。2日後に戻ってくる。
ランドリーサービスだがYシャツの襟・袖口は自分でアイロンをかける必要がある。
何度も利用したが、靴下が一つ無くなった・他の人のTシャツ1が一度紛れ込んできただけであった。
一度失敗したことがある。申込書の数と実際に出した数が違っていたため、洗濯されずに戻って来たのだ。
オーバーランドツアーの時は速乾性の下着を使用しホテルで洗濯した。
タオル・バスタオル・バスマットは備え付けられ、毎日洗濯してくれる。
シーツ類は5日毎に交換してくれる。
ティッシュペーパーは支給された。
食 事
船内の食事はとても栄養バランスがよく私はとても気に入った。
特に生野菜と果物は毎日あった。
納豆・冷や奴、梅干し、漬け物、ひじき、おからなどもあった。
焼き魚だけは出なかった。
飲む食酢は売店にもなかった。
紅茶、インスタントコーヒー・味噌汁等は持って行ったのだが、
もらってきたポットの湯はすぐ冷めてしまうのでほとんど飲まなかった。
粉の緑茶は冷水でも溶けるのでとても良かった。船外に出るときは作って持って行った。
個人が飲むお酒を、船外からキャビン内に持ち込むのは原則禁止されている。
モナリザ号に移ってからは、食事の時一杯250円のグラスワインを1,2杯飲むようになった。
バーや居酒屋で飲むことは少なかった。
船内食堂に入るとき、Tシャツ・サンダルで良いのはとても良かった。
食堂には、相席にはなるが、一人で行った。
必 需 品
水着は持って行ったが一度も泳がなかった。
水着はプール・海で泳ぐのが好きな人は必携である。
サンダルはビーチサンダルとかかとを固定できるタイプとの二つあった方がよい。
水で濡らし気化熱で体温を下げるネッカチーフは暑さ対策に有効であった。
耳かき、爪切り、マスク、万歩計、リップクリーム、センスは持って行った。
万歩計は紛失し、100円扇子はすぐ壊れ、リップクリームは足りなくなった。
爪切りは必需品だが、飛行機に乗るときは注意が必要だ。
はさみは持って行くのを忘れたので船内売店で600円で買った。
体温計は持って行かなかった、携帯血圧計は持って行ったが使わなかった。
高山病の時どうだったかは興味があるが。
薬 整腸剤、止瀉薬、抗生物質、解熱剤、化膿止め塗り薬、目薬等の薬は娘が準備してくれたが、
使ったのは止瀉薬と整腸剤だけであった。
だが、荷物にならないので万一の時に備えて必要。
酔い止めの薬は船で無料でもらえた。
デジカメの電池、国内にいるときパソコンからの充電式は使い勝手が悪かったので2代目のカメラは電池式にした。
100円電池はすぐ無くなるが国内では問題ないが、海外では困ると思って充電式電池にした。
充電式電池の値段はとても高いがこれは大成功だった。
キャビンのコンセントは100~110ボルトとわかっていたので変圧器は持って行かなかったが、
接続口が一つしかなかったので多ソケット付き延長コードが必要であった。
髭剃りは、安全カミソリと充電式髭剃りを持って行った。
新しく買い求めた安い充電式髭剃りの調子がすこぶる良かった。
ホテルでは電圧が異なるので船内で充電して持って行く必要がある。
ドライヤーは備え付けられていた。
現金について
私は、土産はほとんど買わなかった。船内はカード決済なので現金は必要ない。
現金が必要なのは、船を下りた時、自由行動をする時は絶対に必要である。
私は、570米ドル[64000円]、200ユーロ[33000円]、日本円で3万円の現金を持って行った。
使った現金はおおよそ、450米ドル、200ユーロ、0.5万円であった。
カードで使った船内生活費は3万円位ではないかと思う。
予想外の滞留で現金使用の機会が増えた時はかなり深刻で、けちけち生活であった。
水は船内から持って行くが、足りなくなったら水は買わなければならないし、ビールを飲むには現金が必要である。
水・ビールの値段は不思議なことに世界中ほぼ同じで、3~5米ドルであった。
ニュージランド・オーストラリアの他に米ドルを使えず現地通貨しか使えない所は2~3カ所あった。
ユーロ圏以外ではほとんど米ドルが使えた。だが、米ドルは使えてもお釣りは現地通貨となる。
高額紙幣の場合、レートの問題とおつりの金額が正確かという問題がある。
米ドル支払いでは値段の端数が切り上がる、例えば5.2ドルの場合だと6ドルのように。
少し位ならば高くても良いなら、少額紙幣の米ドルで釣りが無いように支払えばよい。
小額紙幣とは1,2,5ドルである。20,50,100ドル札はまず使い道がない。
ほとんどのホテル、レストランではチップは必要ないが、必要なところもある。
また、トイレチップが必要なところもあって、1ドルのような小額紙幣は絶対に必要である。
5ドル位の買い物にカードというわけにはいかない。
現金ほとんど使わなかったので金銭出納簿はつけなかった。
高度情報社会の中の超スローアナログ
国際携帯電話は持参しなかったが、今回のようなアクシデントの時は必要かもしれない。
インターネットは使うつもりで、中古のB5モバイルパソコンを買って持って行ったが、
電波事情が悪く、料金が高いので、2回ほどで使うのを止めた。
しかし、デジカメ処理と音楽を聴くにはパソコンは絶対必要であった。
だが、英語自動翻訳ソフトを入れ忘れたのは失敗であった。
電話・ファクス・手紙等での相互の連絡は必要ないと言って家を出た。すぐ帰れないのだから。
アクシデントがあったので手紙を書こうと思ったがレターセットは持ってこなかった。
船内からの葉書は150円、手紙は300円かかる。寄港地で切手を買える場合は現地で出した方が安い。
しかし寄港地によってはいつ日本に着くかの目安がたちにくい寄港地もあるようだ。
私は一度も電話はかけなかったのでよくわからないが、国際電話は船内は衛星回線のためか事情が悪く
かかりにくいし、値段も高い。寄港地でかけるのが良いらしいが、時差の問題があったり、システムが
違ったりするのでこれも結構大変だったらしい。
ともあれ、情報時代の現代というのに通信事情ははなはだ悪い。
船内新聞
船内では毎日、船内新聞が発行された。
A3の裏表で、表は記事、裏はブッカーといってその日の船内企画やスケジュールが記されている。
船内生活にはこの新聞は必需品である。
掛け値なしに、この二人の責任者の仕事は立派で素晴らしかった。毎日発行するのは簡単なことではない。
英語学習
GET[Global English Training]の英語・スペイン語教室はとても良かった。
一回100分で計35回12万円、お金がかかってももっと回数が多い方が良かった。私は初心者クラスであった。
私の先生はイギリス人で、その発音はほれぼれするほど美しかった。
アメリカ英語の巻き舌“r”の発音がないのが何より良かった。
また、canは米語ではキャンだが、英国式はカンなのも私の耳には聞こえよい。
100分間はちょっと長いが、心地よいストレスと緊張感であった。
正規のクラスの他に無料の初級・中級・上級講習会、スピーチコンテスト、芝居やビデオ等 を作る特別プロジェクト、
GETオリンピック[英語を使ったゲーム大会]等もあった。
私は無料講習会・スピーチコンテスト・GETオリンピックに参加した。
クルーはほとんど外国人である。ハウスキーパーやウエイター・ウエイトレスも。
英語を話せる環境は多い。
特別講演
水先案内人というゲストの特別講演もあるのだが、戦争と平和を理解するには旧約聖書の知識が必要だと言って
創世記やバベルの塔などの知識を1時間も披露するのには耐えられず止めた。
生意気なようだが、他の講演も概ねオリエンテーションみたいな内容が多いのでほとんど参加しなかった。
個人が企画する集いもあったが、童謡を歌おう、太鼓をたたこう、みたいのものが多くこれもほとんど参加しなかった。
憲法九条の歌というのがあって、これを手話で表現したいと頼まれたので最初の一回だけ参加した。
ま と め
いろいろなトラブルがあったが、私としてはこの旅に満足している。
外国旅行するためのオリエンテーション・訓練として、英語学習、忙しくないのんびり旅行、という
当初の私の目的は達成できたと、思うからである。
長い旅行ではあったが疲れは感じなかった。ホームシックも感じなかった。
シンガポール・イズミール・ギリシャでは予想外の滞在となり、とても素敵な楽しい経験ができた。
これからの私の残り少ない人生についてのんびり思いを巡らすことが出来たことが一番良かった。
世界は広く多様であることがわかった。日本の市民生活の環境がとてもよいことがよくわかった。
例えばトイレ事情の良さ・街のきれいなこと・治安が安定していること・生活マナーがよいこと・日本食のおいしさと
バラエティに富んでいること・交通事情ルールがよいこと[タクシーのぼったくりがない、信号・横断歩道がある、
車が止まってくれること]、チップがないこと・物価が明朗で見てわかること、等たくさんある。
だが、これらは私が日本で長い間生活してきたからそう感じるのであって、
そのこと自体に価値があるとか、重要であるとか、優れていると言うことでは決してない。
人の生活感覚・価値観は絶対的なものではなく相対的なものだが、長い間に培われたのでとても強いのだ。
自然は雄大だし、人びとは魅力的だし、知らないことはたくさんあるし、おもしろいこともたくさんあるし、
観光・旅・旅行それらの違いの詮索・言葉遊びはどうでも良い、ともかく日本・世界に出かけよう。
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クルーズの漂流・あたかもボートピープル
63回クルーズは、アクシデントがあって一ヶ月も長くなった。
ダナン、シンガポール、クサダシ、イズミール、ピレウスで、強制的に留め置かれた。
特にイズミールでは2週間以上の長期に渡って留め置かれた。
驚く無かれ、クルーズが終了して2日後には次のクルーズに出発するのである。
キャビンの消毒・メンテナンスが二日間で出来るとは私には思えない。
イズミールで突如、非常時誘導設備等[暗くても非常口の存在場所とそれへの経路がわかる等の装置]が設置された。
それまではそれらが全くなかったのである。
キャビン内では、電気が消えてもライフジャケットの存在がわかる装置はなかった。
イズミールでは予備バッテリィーの不備が指摘され、新しいものが準備された。また、エンジン調整も行われた。
その場合、エンジンのフル運転検査が義務づけられているそうで、船はピレウスに全速で向かったが、
船は激しく左右に揺れスクリュウの軌跡も不規則だったように思う。
62回クルーズでは、船体に2.5インチの亀裂が見つかりアメリカ沿岸警備隊に約一週間にわたって止められたという。
そもそもそんな小さな亀裂の存在がどうしてわかったのであろうか。
それは表向きの理由で実際は、エンジントラブルで自力航行できず、援助を求めたのではないか。
問題は、ピースボート・ジャパングレースはこうした船のトラブル・不具合は知らなかった、
自分たちには全く責任が無いと言い張り、船の不具合などについての詳しい情報を全く公開しないこと、にある。
私は、実はピースボート・ジャパングレースは63回クルーズの出発前にクリーッパー・パシフィック号に重大な欠陥が
あることを知りながら、航海中に修理すれば何とかなると思っていたのではないかと思っている。
イズミールに長期停留されていたとき、船内放送でしきりに船会社の副社長が呼び出されていた。
おそらくそのとき、代替船や損害賠償などについての交渉が行われていたのではないかと思う。
ジャパングレースの社長がイズミールに来て謝罪し、代替船を探していると説明してからわずか一週間後に
代替えが決まったのである。
一連の不始末について、300米ドルの解決金と次回以降のクルーズの12万円の割引券、クルーズを途中で止めて
帰国する人に飛行機チケットを提供する、延びたクルーズ代は支払う必要がない、と言うものであった。
以上の経過を見て明らかなように、ピースボート・ジャパングレースは普段は平和や人権や情報公開などを主張しているのだが、
自分達に関わることや批判になると秘密主義・無責任・曖昧になって、情報公開どころではないのだ。
つまり他に対しては厳しく、自分については超甘え、である。
決められたことはマニュアル通り出来るのだが、予想外の出来事への対応能力ははなはだ希薄で、
危機意識・危機管理能力がきわめて弱いと言わざるを得ない。
今回の不手際に対して批判したり注文した人への対応は、まことにひどかった。
信じられないことに彼らに対してスパイもどきのことをした。
例えば尾行をしたり、近くの部屋に職員を配置して様子を探ったりしたのである。
和解が近づくとこうしたことがパタッと無くなった。
カードが使えない/そんな信じられないできごとが
モナリサ号に移って1ヶ月たった時、カードが使えない可能性があると船側から言われた。
11月分のカード使用料金を請求をする時、システムミスで2桁多い金額を請求した可能性があるというのである。
つまりそれでは一ヶ月の限度額を超えてしまうのでカードが使えないのである。
カード会社への電話は、個人情報に関わるので私に電話をかけて聞いてくれと言うのだ。
結局、私のカードは使用できなかった。
このあってはならないミスにより、どのような実害が生じるのか、それに対してどのような保障・手当をするのか、
等の説明は一切ない。
船上でなければ、あちこち電話したり、ネットで暴露できるが船上では為す術がない。
しばらくしてその請求は取り消されたらしいが、いつ取り消したのか等の説明も一切無かった。
日本に帰って、1月下旬にカード会社から自宅に送られた報告書で過請求・その訂正の日がわかった次第。
折り鶴プロジェクトって?
私はこれまで、今回のクルーズに被爆者102人が乗船したこと、彼らが無料で招待されたことは全く触れずに来た。
この事業・折り鶴プロジェクトと言うのだが、我々はクルーズ出発前に何の説明も報告も受けていない。
乗船して初めて知らされたのである。
だが、この計画がどのような経過で立ち上げられたのか、資金はどうなっているのか、
メンバー選考の基準は何かなどは全く説明がなかった。
にもかかわらず、このクルーズの目玉は、折り鶴プロジェクトだというのだ。
私は、それを聞いたとき、原水禁・原水協・被団協などの団体が協力して乗船者を推薦しているのだと思った。
そうではなく、インターネットと新聞での公募だったと言う。
彼らの内訳は様々であって、これまで非核・反核運動をしてきた人もいれば、全く無関係な人もいる。
被爆体験の記憶のない体内被曝の人や被爆の時幼児だった人もいて、それでも良いのかと聞いたら、
問題ないという返事だったという。
どんなに見積もっても、一人あたり100~150万円として1~1.5億円がかかっている。
そもそもこのお金はどう捻出され、会計報告はどのようにされるのだろうだろうか。
大衆的運動というのであればこうしたお金に関わることはクリーンかつ透明でなければならないと思うのだが。
問題は、自分達の運動は原水禁・原水協・被団協とは無関係なだけでなく、そうした古い運動・しがらみとも関係なく、
全く新しい運動だと、豪語することである。
これまでの原水禁運動・被爆者運動に全く問題が無かった訳ではないが、
それらの運動なしに今日の被曝者認定や手帳や医療などの諸手当はなかったことは確かである。
彼らはこれまで、自前の非核・反核運動をして来たとはとても言えないのに、これまでの非核・反核運動は、
8月だけの季節運動だったと平然と言ったり、向こう10年の間に核廃絶する、と大言壮語を言う。
この折り鶴プロジェクトも、地道な自前の運動といえる代物ではない。
私の感想は、運動を金で買っている、と言うことだ。
今回のクルーズでの運動を映像化し、今後その上映会を全国各地100カ所位[自治体・学校]で行う、と言う。
その映画がスティーブン・岡崎のドキュメント映画“ヒロシマナガサキ”[2007年アカデミードキュメント受賞作品]
より優れているとは私にはとうてい思えないし、100カ所での上映活動がそんなに簡単に出来るとも思えない。
今回のトラブルの解決金300米ドルが支払われる窓口の脇に職員が立って、折り鶴プロジェクトへのカンパの訴え
をしているのを目の当たりにしたとき、私は何て品がない事をするのだと強く拒絶感を感じた。
どうして、こんなことが平気で行えるのだろうか、と私は怒りを感じた。
折り鶴プロジェクト参加者にもこの解決金は出たのである。 おわり
ピースボートの平和活動の宣伝としては有効と考えたのでしょう。
現実には、被爆しても生きてる、被爆しても大したことは無いととらえられたのではないでしょうか。逆効果だったと思いますが。
共感しました。
私は夫婦で乗船しましたが、あなたはだあれ?
3月9日付で、PB、JGの無責任さ、ずさんさを指摘する書籍・文書を、新聞社・週刊誌などのマスコミ、船内で知遇を得た方、要望書を共に作成した方々、署名した有志の方々に送付しました。62回の原告団の方々とも連絡、情報交換しています。
お名前・住所を連絡下されば、書籍と文書を送付します。