風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

63回ピースボート・地球一周の船旅32・コロール/パラオ編そして帰国

2009年02月03日 | 63回ピースボート
ピースボート・地球一周の船旅32
コロール/パラオ編
 
・最後の寄港地 [1/8] 、そして帰国[1/13]



いよいよ最後の寄港地、パラオ共和国のコロール沖に着いたのは朝8時。
コロールは周囲が珊瑚礁のため、大きな船が着岸できる港・桟橋が無いため通船[テンダーボート]に乗り換えて、上陸する。

珊瑚礁の中なので、波がないため、ライフジャケットも着用しないで、大型ボートに乗り込む。
上陸地点は、パラオロイヤルリゾートの桟橋である。

出港は16:30と早く、島の滞在時間が短い上に、観光スポットも少ないので、私はツアーは取らなかった。
ホテル内のプールかビーチで泳ぐ事も出来たが、日焼けが怖いので止めて、
ホテルの木陰でのんびりして、ビールを飲んで食事して帰ることにした。
前菜は、刺身風カルパッチョでとてもおいしかった。
ホテルの池は熱帯魚が泳いでいた。


船に帰ってしばらくして、午後16時をちょっと過ぎた頃だろうか、船員がドラを鳴らして出港を告げた。

16:30、最後の出港、シャンペンが振る舞われた。


最後の寄港地の出立は、こうして実にあっけなく終わった。
後は一路北進・帰国である。

船は海上のブイの間を進む。浅い珊瑚礁に乗り上げたら座礁である。ブイの中は安全というわけだ。右の写真は座礁した船か。


珊瑚礁の特に浅い所は、波が出来、海の色が周りと変わっている。  右の写真は珊瑚礁の中で漁をする船


船は珊瑚礁を抜け、しばらくして夕焼けに包まれた。
 

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そして帰国 [1/13]
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1月9日にGETの卒業式があった後は、大きな行事も無く、船内はもっぱら帰国モードであった。
だが、私は荷物が少ないので、パッキングはのんびり構えていた。
日本に近づいた1月10日頃から海が荒れてきた。冬の近海はいつもそうらしい。
雨が降り、大波のため甲板への出入りは禁じられた。
私は、吐くまでには至らなかったがだいぶ船酔いして、気分が悪くなった。
横になって、音楽を聴いたりして過ごした。
下を向くと気持ち悪くるので荷物の整理は12日になってした。
出国したときは段ボール3つだったが、食べ物やお酒やシャンプーなど消耗品がが無くなり、
サンダルなど壊れたものを捨てると段ボールは2つになった。
パソコンなどはリュックで自分で持ち帰り、段ボールは1個2400円の宅配便で送る。
東京湾に入ったのは1月13日早朝であった。

東京湾は、想像していたよりは暖かで、まぶしかった。

10時頃から出国手続き・下船が始まった。上の階7Fから順に始まり、5Fの私は昼過ぎであった。
キャビンから船外までは職員が荷物の搬出を手伝ってくれるが、
そこから先、税関ターミナルまでは台車を押して自分で運ばなければならない。
私の前にいた夫婦は荷物が10個もあって台車を押すのに苦労していた。
私は2個で簡単、税関検査は外観を見るだけで中は調べることなく終わりだった。
そのまま宅配業者の受付まで運び、船内で代金と引き替えだった宅配便伝票を業者に渡すと、
それまでは税関検査が出来るように仮止めだった段ボールを業者がガムテープで止めてくれて終了。
下船して10分も立たないで全ての手続きが終わった。

そこは、出迎えの人で大変混んでいた。
だが、出国の時もそうだったが、帰国の時も私の出迎えはないので簡単だった。
ターミナルをすたすたと出て、タクシーに乗って、有楽町まで行った。
タクシー運転手は珍しいのか、クルーズについていろいろ聞いてきた。
船を降りる前は、有楽町でラーメンを食べようと思っていたが、すぐJRの電車に乗って家路に向かった。
見慣れた有楽町の風景であったが、特別の感慨も浮かばなかった。
東京は、思っていた以上に暖かで、セーターは着ないでジャンパーだけだった。
電車の中の日本人はなぜか元気が無く皆疲れ切っているように見えた。

家に帰ってすぐには、それまで使っていなかった携帯電話の充電方法・使い方、
パソコンの使い方もわからなかった。
しばらくしてやっと、妻に帰宅のメールを携帯で送った。
夕飯の準備を始めたが、台所の使い勝手がわからず苦労した。
久し振りの日本であったが、特別の感慨は無かった。
こうして長い海外旅行は終わった。
この日、家族が皆早く帰宅した。
ほんの少しだがお土産を各自に買っては来た。皆喜んでくれた。

【感  想】  本来なら、この【感  想】は、この旅行最後のブログ
『ピースボート・地球一周の船旅 /蛇足それとも画竜点睛』 に譲るべきなのだが、
そちらが容量オーバーとなってしまったのでこちらに書いた。
『ピースボート・地球一周の船旅 /蛇足それとも画竜点睛』はこちらをクリック。

旅に出る前、図書館で『地球の歩き方』などで調べ、必要なところはコピーしたのだが、
調査・研究は不十分だった。ネットなどでもっと調べておいた方がよかった。
また『地球の歩き方』の地図は、役には立ったが、不正確でわかりづらかった。
世界地図帳は持って行ったのだが、詳しく無かった。
ピースボート・ジャパングレースは、地図、現地情報、電話のかけ方[公衆電話の初期料金等]等の
必要かつ役に立つ具体的情報提供にはとても不十分であった。
インターネットでのリアルタイム情報収集がつくづく必要だと痛感しイライラした。

写真はたくさん撮ったが、それでもいざブログを作成する段になると足りない写真もたくさんあり、
また撮った写真もその記憶は曖昧でどこで撮ったのかわからなくなったものもあった。
また、個人の顔が映っていて公表できないものもたくさんあった。
現地の人の生き生きした表情を撮りたかったのだが肖像権のためそれは撮らなかった。
ブログ作成の事がふと浮かぶと、このシーンも撮った方が良いのではと、視点が豊かになったとも思う。
博物館の入場料や飛行機のチケット等もとっておいたのだが煩雑過ぎるので途中から捨てた。

クルーズ中、ネット・メール・新聞・携帯・TVは無かったのだが、生活は十分に出来た。
だが、それらの有用性・価値も実によくわかった。
特にネットの検索機能=百科事典としての有用性・重要さは痛感した。
私は近所にも友人にもこの旅に出ると言わずに出立した。
12月18日には帰国予定だったので年賀状のことなどは想像もしなかった。
義理を欠いたので、帰国してすぐに寒中見舞いを出した。

旅行中、世界では100年に一度と言われる経済危機・大恐慌が起きていた。
国内にいたら、何の方策も取れないのに、大変だ、大変だと右往左往していたかもしれない。
だが、船上にいた私は慌てても、心配しても仕方ないと、知らぬ半兵衛であった。
船の中で、『超訳“資本論”』を読み、久し振りにマルクスの言葉に触れると、
古くなっていないマルクスとマルクスが古くなった社会の中で漂っている私がいるんだな~と思った。         おわり


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以下、全く個人的メモ 超訳『資本論』・的場昭弘・伝社新書/ イラクは食べる-革命と日常の風景・酒井啓子・岩波新書/ルポ貧困大国アメリカ・堤未果・岩波新書/金融権力(グローバル経済とリスク・ビジネス)・本山美彦・岩波新書/いま哲学とはないか・岩田靖夫・岩波新書/親鸞を読む・山折哲雄・岩波新書/ふつうがえらい・佐野洋子・新潮文庫/役に立たない日々・佐野洋子・朝日新聞出版/格差社会を撃つ・白川真澄・インパクト出版会/抵抗する自由・鎌田慧・七つ森書館/格差社会から公正と連帯へ・白川真澄・工人社/マンガ禅の思想・蔡志忠作画・講談社/手にとるように宗教がわかる本・島田裕巳・かんき出版/仏教聖典・仏教伝道会/古典落語100席・立川志の輔/ジャパン FAQ[文化編]・ディビッド・セイン・IBCパブリッシング/ジャパンFAQ[社会編]・ディビッド・セイン・IBCパブリッシング/英語にもっと強くなる本・晴山陽一・青春新書/中学英文法・くもん出版/入門英会話・英文法・石津奈々・ベレ出版/刑法おもしろ事典・和久俊三・中公文庫/桂枝雀爆笑コレクション(5) ・ちくま文庫/小泉官邸秘録・飯島勲・日本経済新聞社/大杉栄/自由への疾走・鎌田慧・岩波書店/寝床で読む『論語』・山田史生・ちくま新書/時代を刻む精神・鎌田慧・岩波書店/静かな大地-松浦武四郎とアイヌ民族・花崎皋平・岩波同時代ライブラリー/歴史の零(こぼ)れもの・日本ペンクラブ編・光文社/体は全部知っている・吉本バナナ・文藝春秋/松風の人-吉田松陰とその門下・津本陽・潮出版/現在(いま)生きる(川田龍平・悦子の親子対談)・新日本出版/米百俵(小林虎三郎の生涯)・山本有三・長岡市/続・戦後日本共産党私記・安藤仁兵衛・現代の理論社/屈せざる者たち・辺見庸・角川文庫/三角砂糖(ショートショート)・吉野淳之介他・講談社/哀愁のパルティータ・五木寛之・集英社文庫/島へゆく・灰谷健二郎・理論社 /希人(まれびと)よ・共同通信社/夜と女と毛沢東・吉本明、辺見庸・光文社/昭和史発掘(4)/小林多喜二の死・松本清張・文春文庫/いま哲学とは何か・岩谷靖夫・岩波新書/怒りの臨海・鎌田慧・岩波書店/同時代の人びと・安東・揺藍社/旅に出たくなる地図 世界・帝国書院


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