まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

長野電鉄~信越紀行・6

2007年08月07日 | 旅行記C・関東甲信越

しばらく更新できなかったが、信越紀行の続き。

さて、長野駅に降り立ち、改札を出てコンコースの立ち食いそばで昼食とした後、これからの動きを考える。篠ノ井線で松本を経由して、中央線で途中下車しながら東京に戻るか、しなの鉄道で小海に出て小海線に乗車するか、そのまま軽井沢から横川に行くか。ただ、もう少し長野近辺にいたいなという気もする。乗るだけなら飯山線から北越急行、上越線でもいいかな。

P7293227・・・・ただ結局は改札には戻らず、そのまま地下の長野電鉄の乗り場に向かう。少し回るくらいの時間はありそうで、長野に戻るか、支線で屋代に出るか、考えながらの行程となる。ちょうど湯田中行きの特急の発車時間が近く、長野電鉄のフリーきっぷとあわせて100円の特急券を購入し、地下ホームに向かう。

P7293225P7293226するとそこに停まっていたのはA特急の湯田中行き。その車両は、元小田急のロマンスカー。小田急当時からは編成が縮まったようだが、それ以外は当時の姿が残っているという。本家小田急の特急にはまだ乗ったことがないが、こういうところで出会えるとは面白い。しかし、先頭部、および最後部の展望席は子ども連れで埋まっており、先頭車の中ほどに陣取る。するとどうだろうか。他の車両はガラガラなのに、この先頭車だけはむさ苦しい鉄道ファンで埋まってしまった。グループの客からはマニア用語が飛び交い、中には一人でブツブツ、しゃべらなくてもいいことを一々口に唱えているヤツとか。こりゃ、他の一般客が見たら絶対「引く」光景だろうな。まあ、私もそのまま乗っていたから人のことは言えないのだが・・・。こんな光景を見て別の車両に移る人も。

P7293229権堂、善光寺下と地下区間を抜け、地上へ。さすが特急車両だけあって快適に走る。長野電鉄の特急といえば2000系というやつだったか、少し前の風情のある車両が代名詞であったが、今やこのロマンスカーが主役となっている。千曲川を渡ると須坂着。駅構内にはステンレスに赤帯の元営団地下鉄とか、元東急の車両が休んでいるのが見られ。もちろん、先頭車両の連中のファインダーの標的となっていた。

須坂を出ると、沿道にはリンゴや桃の果樹園が広がる。桃は熟した頃だが、長野の代名詞ともいえるリンゴはまだ袋をかぶった状態。本格的に赤い実をつけるのはまだまだ先のようである。このロマンスカーの赤が、リンゴの赤に通じるように見える。そういえば前日に観戦したプロ野球・信濃グランセローズのチームカラーも信濃リンゴの赤だ。

P7293235このまま湯田中に行ってもよかったのだが、時刻を調べるとそう長い時間を長野電鉄で過ごすこともできず、時刻表を検討して途中の信州中野で下車。近郊の駅らしく橋上駅舎である。この中野市は、「しゃぼん玉」「証證寺の狸ばやし」「東京音頭」などの作曲で知られる中山晋平の出生地とか。東京ヤクルトのテーマ曲ともいえる「東京音頭」がこの人の作曲であるとは知らなかった。記念館もあるようだが今日はこのまま須坂方面に引き返すことにする。

P7293237信州中野からの列車は元営団地下鉄の車両。昭和30何年という製造年を示すプレートが壁に貼られている。この列車で小布施駅に戻る。昔ながらの「汽車の駅」を彷彿とさせる島式ホーム。柱にかけられた駅名標にも昔ながらの味がある。

さてこの小布施、情緒ある町並みや、栗やリンゴをはじめとした果物のうまさがあり、最近注目を浴びている町の一つだ。また、葛飾北斎が晩年にこの町に滞在したこともあり、歴史文化の面でも人気を集めている。

P7293240駅からしばらく歩くと早速に古い建物に出会う。そうそう、小布施は酒の産地でもあり、由緒ある酒蔵も目に付く。それ以外にも自然と古くなって味をだしている建物も多い。

ただ、北斎館を中心とした一角は、これは典型的な、軒を連ねた土産物店の連発である。一応建物は昔風にこしらえられており、それなりの景観は保たれているが、いずれこの町も小京都を名乗るか、俗化していくのかどちらかだろうなと感じてしまう。ただそんなことはすぐに自分の中で封印して、北斎館の見学をする。富嶽三十六景の紹介や、北斎が得意とした静物の緻密な模写の紹介に思わずうなってしまう。

P7293244結局小布施の見学時間もそう確保できず、栗のアイスクリームをなめながら、栗の小道をたどりながら、駅に戻る。多くの観光客はクルマやバスで訪れるのだろうが、こうしたレトロな風情の駅というのも、小布施観光のムードを高めてくれることは改めて書いておこう。

P7293263もっと時間があれば、蔵の町として知られる須坂や、川中島合戦の舞台でもあり、江戸時代には真田氏の城下町として栄えた松代も歩いてみたかった。せめて午前中からならそれもできたことだろうが・・・・。結局須坂から松代経由の屋代行きに乗車。無人駅も多く、ワンマンカーでの運転である。

終点の屋代から、しなの鉄道に乗る。平成に入ってからの新幹線の開通によりJRの手から離されてしまった第三セクター。屋代まで来てはじめて、しなの鉄道と長野電鉄の全線が乗り放題というきっぷが売られているのを見つけた。これがあればもっと安くあげることができたのだが、気づいたときにはもう長野電鉄を乗り終えてしまっていた。

P7293284このまま軽井沢まで乗りとおし、横川行きのJR関東バスにつなぐ。発時刻は18時15分だが、これが横川に下る最終便とか。ここに来て雨も落ちてきた。この日は長野以南で、雷を伴う大雨というのが予想されていたが、こちらの列車・バスの運行には影響がないようで、そのまま下り、さらに高崎行きの普通につなぐ。横川の「峠の釜めし」はさすがにこの時間では売切れていた。

さてこの日、私はほとんど雨に遭うことはなかったが、関東近辺、特に山沿いの路線は大なり小なり列車の遅れや一時運転見合せなどで大変だったようだ。都心に雷が落ちた映像から、この日の夜行われた参議院選挙開票速報の特番で、「これは安部政権に対する天の怒りです」などとほざいていたメディアがあったように聞こえたが・・・・。そんなに断定できるほど、メディアの発言は絶大なのかね・・・・。今思えば、これも公平さを欠く報道ではなかったのか。

・・・まあ、それはさておき夜もふけた高崎線を南下する。今回の旅、新潟県中越沖地震で一部区間が不通になったことからイメージしたコースだったが、元のプランと比べてもいろんな面で充実していたように思う。

と同時に、被災された方に対して改めてお見舞い申し上げます・・・・。

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