5日はとあるスポットに出かけるために、川崎に出かけた。そういえばJR、京浜急行とも川崎駅は何度も通っているが、改札口を出るのは初めてである。
予定の時刻は午後からなのだが、せっかくなのだから他にも回ってみようと、午前中にJR川崎に到着し、改札を出る。東西の自由通路は待ち合わせ場所にもなっており、多くの人でごった返している。さすがは政令指定都市の玄関駅である。
ここからまず向かったのが、川崎球場。言わずと知れた、大洋ホエールズ、ロッテオリオンズの本拠地球場だったところだ。先の記事で千葉ロッテマリーンズのチームヒストリーのことを書くうちに、ついぞ行くことが敵わないまま球場としての役目を終えた川崎球場に行ってみたくなったのだ。
川崎駅から歩くこと約20分。競輪場の隣に、テレビや写真で見覚えのある形の照明塔が見えた。こちらが、正面口のようである。
正面口は閉まっていたがその横の門が開いており、敷地内にはディスカウントストアが入っていて地元の買い物客で賑わっていた。その横の盛り土、そしてわずかに残る観客席。確かに球場の跡形を見る。
現在はアメリカンフットボールやフットサルのコートとして貸し出しているようで、ちょうどフットサルの試合を行うのか、選手たちがユニフォームに着替えて支度中だった。全面人工芝、ベースの代わりにはフットサルのゴール。
しばらくベンチに座って、往年の姿に思いを馳せる。川崎球場のロッテ戦といえば、私の地元・藤井寺球場の近鉄戦と並んで「ガラガラ」というのが定番で、当時の「プロ野球珍プレー好プレー」では、外野席で流しそうめんをしているグループとか、スタンドの片隅で抱き合ってキスしてるカップルとか、味のある応援風景とか、そういうのが川崎球場の風景として放送されていたのを覚えている。今のドーム球場だ、ボールパークだというのとは違う、昭和の日本のプロ野球(しかもパ・リーグ)の風情があったものだ。
そして近鉄ファンとして忘れられないのが、「昭和最後の大一番」となった、あの「10・19」。入場できないファンが鈴なりになった外野席後方のマンションとおぼしき建物が残っているようだ。
かつてのパ・リーグの球場、平和台、西宮、藤井寺、日生、大阪、駒沢、東京スタジアムがほとんどもうその原形をとどめていないのに対し、フットサルのコートではあるが「川崎球場」という球場として残っているのは何だか救われたような気がした。川崎からプロ野球がなくなり、現在の川崎のスポーツの顔はフロンターレということになっているが、街の歴史を伝える一ページとして、これからもこの球場は残してほしいものだ。
ここから数キロ、川崎大師まで歩き、無病息災を祈願。実に穏やかな天候で、歩くのには最適である。清々しい気分になったところで川崎大師駅に向かい、電車に乗ることにする。今年は京浜急行開業110周年ということで、ホームではパネルの展示などが行われていた。京浜急行というのは元々この川崎大師の参詣客輸送を目的として建設されたとか。そのイベントだろうか、京急の「赤」とは異なる、ややマルーンがかったような塗装の列車とすれ違った。
さて、そもそもこの日に川崎に出向いた理由については、また改めて書くことにします・・・。