前の記事のとおりサイコロ振って出かけることになった伊勢湾。鳥羽と伊良湖岬を55分で結ぶのが伊勢湾フェリーである。
しかしこの伊勢湾フェリー、今年の9月末をもって廃止されることが決定している。やはりこれも伊勢湾道路の開通、ETC割引の適用など経営を取り巻く環境が厳しくなったことからの廃止決定である。先日乗った宇高国道フェリーは一旦廃止を表明したものの「当面の間存続」ということになったが、伊勢湾フェリーはどうやらそのまま廃止ということになりそうだ。今回サイコロの目が「伊勢湾」と出たのは、「廃止される前にここはぜひ乗っておけ」ということなのだろうか。
9時20分発の伊良湖行きに乗船する。やってきた時は乗船客の姿もほとんど見えずガランとしていたが、クルマの利用客もそれなりにあったようで船内は結構賑やかになった。やはり需要はそれなりにあるのだ・・・と思いたい。
冷房の効いた船内(ベンチ席もあれば桟敷もある)も居心地よさそうだが、1時間の乗船である。ここは潮風に吹かれようと最上階のデッキにあがる。ちょうど後方を眺めるようにベンチがあり、ここに陣取る。
そこで開けるのは伊勢の伝統の味?の地ビール「神都麦酒」。明治時代の一時つくられていた味を忠実に再現したということで、最近のサラリとした飲み口のビールが多い中、苦味というものを感じる。ゆったりとした船の旅に合うかな?
鳥羽の港を離れ、進行左側に答志島、右側に菅島という眺め。この島々が防潮堤の役割を果たしているようで鳥羽湾は落ち着いた、真珠の養殖に適した環境を生み出している。ミキモト真珠島、小学校の修学旅行で行ったきりかな・・・。
答志島も結構長い島であるが、目を転じるとその先は太平洋。水平線の先には何も見えない雄大な眺めが広がる。
鳥羽の島々の織り成す景色と、果てしない太平洋の眺め。これが伊勢湾フェリーの面白さの一つと言えるだろう。
答志島の姿が随分小さくなったところで、前方に大きな陸地。伊良湖岬である。海水浴場もあり海を楽しむ大勢の人の姿も見える。夏らしい景色である。
10時15分に到着したが、ここから出る豊橋行きのバスは何と10時15分の発車。次は11時37分までない。ありゃりゃ、どういうダイヤの組み方をしているんだか。フェリーとの接続なんて眼中にないのかしら。豊橋から来るバスについても、フェリーの乗船まで少し待たされることが多いダイヤになっている。
ただこれもいいように解釈すれば「すぐにバスに乗ってしまわずに、1時間ほど伊良湖岬に滞在して楽しんでください」という一種の策略にも見える。であれば、その時間を有効に使うとしよう。
ということで、朝食が朝の4時だったということもあり早めの昼食。アサリの佃煮としらすを乗せた「渥美丼」に、大アサリ焼。早速に海の幸を味わう。佃煮が結構うまかったので土産に1パック買い求める。
ここで岬の先端に・・・とも思ったがこの暑さであるし、灯台は先ほど海上から見たしということで歩くのはパス。その代わり、フェリー乗り場のすぐ脇に小さな砂浜。先ほど見た海水浴場とは異なるが、こちらは数人しかおらず静かな感じ。
この先があるので泳ぐわけにはいかないが、足を水につける。打ち寄せる波が心地よい。打ち寄せる波といえば、この伊良湖岬は童謡「椰子の実」の舞台となったところ。「遠野物語」の作者である民俗学者の柳田國男が伊良湖に滞在中、「椰子の実が流れ寄ってきたのを三度まで見た事がある」という話を島崎藤村にしたところ、「その話を僕にくれたまえ」と言って書き上げたのが「名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ」という歌詞である。
おそらく柳田國男は何千キロ、何万キロという太平洋の潮の流れの動きとか、黒潮を媒体とした離れた地域の人たちとのつながりといった民俗的・文化的な視点で面白いと思って語ったのだろうが、それを島崎藤村は旅の孤独とか、望郷の念というものを歌った詞に見事変化させたということである。藤村の中に「そういうものを書きたい」という思いがあったところに椰子の実が流れ着いたのかもしれない。詩人のセンスというのはすごい。
ちょうど、折り返しの鳥羽行きのフェリーが海上を行く。こうして見ると結構近い感じで堂々としている。この航路が廃止になるのはちと残念である。
フェリーターミナルの窓口には廃止反対を訴える署名用紙が置かれており、私も一筆書いてきた。このブログでも書いているが、クルマ、フェリーともそれぞれのメリットがあるのだから、どちらかの交通手段をなくしてしまうのではなく、何とか共存できないものかということである。フェリーも単なる移動手段でなく、それに乗ること自体観光としての要素があると思う。ただ「経営」ということを前面に出されると、私もサラリーマンとして全面的な反論が出来ず弱いところである。そこのところがもどかしい。
しばしの伊良湖滞在を楽しんだ後、豊橋に向けて出発する・・・。