まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

のれん鮮やかな宿場町・中国勝山

2010年08月14日 | 旅行記F・中国

津山駅から続く姫新線の旅。次に乗るのは10時11分発の新見行き。キハ120形であるが、ここはロングシートの最前部に陣取って、前面展望を楽しむことにする。

Dscn2084 本数の少ない区間、線路も草むしているのがわかる。ここも中国自動車道(も長大なローカル高速道路のように見えなくもないが)と並走する区間。ただ、車両のことを別にすれば中国山地にはこういう味のある路線が多く残っており、「日本の田舎」を感じさせてくれる。写真は撮り損ねたが、美作千代など味のある木造駅舎もあり、ローカル線的には地味だが結構穴場のように思う。

Dscn2089 旭川の流れに寄り添ったところで、中国勝山に到着。列車はこの先まで走るがここで2時間半ほどの途中下車とする。白壁づくりの駅舎は地元の観光協会に管理を委託されているようだ。ここは湯原温泉や蒜山高原への玄関口という位置づけにようだが、美作の小さな城下町で、駅にほど近いところに古い町並みが残されているという。

Dscn2099 5分も歩けば町並み保存地区に出る。両側には白壁と連子格子の家屋や商店が続く。この町並み保存のために電線の地下化を行ったとかで、眺めも実にすっきりとしている。

Dscn2100その町並みを彩るのが数々ののれん。勝山在住の染色家・加納容子さんの手によるもので、その家々の個性やメッセージをのれんの色や模様に込めて表現している。これが家の格子が続くだけなら「ふーん」のところ、住む人の表情が見えてくるようで面白い。

Dscn2102 町並みの真ん中にある郷土資料館へ。江戸時代は三浦氏2万3千石の勝山藩の城下町。小さな藩ではあるが、出雲街道の宿場町として、そして旭川の水運を利用した高瀬舟の拠点として栄えた町である。津山といい、勝山といい、美作にあっては「川」が一つのキーワードになっている。展示資料を見ると、高瀬舟一隻の積載量は6.5トンほどで、岡山までの下りは2日、上りは4日かかったという。現在なら大型トラック1台分で、岡山までなら高速道路で1時間もあれば行く距離である。

Dscn2113 そんな勝山は終戦間近の時期、谷崎潤一郎が家族と共に疎開したという。勝山の商家にもいろいろと世話になったようで、その家に残されていた手紙やら色紙やらが展示されている。名作『細雪』の執筆も勝山で行ったというが、一方で「われ齢六十路におよびてかかる辺陬に客とならんとは、げに運命のほど測り難きはなし」とも書いている。確かに都会の香りがする谷崎潤一郎から見れば、勝山というのはものすごく辺鄙なところに映ったのかもしれない。

Dscn2108 町の奥のほうに古くからの蔵元を見つける。200年近い伝統を持つ「御前酒」を造る辻本店。ここで夏限定の生酒などを試飲し、一本買い求める。

Dscn2114 町並みのすぐ裏手には旭川の清流。川に面して家々の裏側を見るが、そのでこぼことしたつくりが味わいを出している。

Dscn2116 勝山の観光写真によく出てくるのはむしろこちらからの眺め。かつてここに高瀬舟が出入りしていた。この時期、川に入って鮎釣りなど楽しむ光景が見られ、涼しげである。私もしばらく川べりに立って風に当たる。

Dscn2122 そろそろ昼の時間になった。昼食ということで再び駅に戻り、駅の中のうどん屋さん「川峰」へ。列車の本数が少ない駅よりこちらのほうが賑わっている。町の人たちの昼食スポットということだろう。朝に「揖保乃糸」の看板を見て「そうめん食べたいなあ」と思っていたのだが、昼はそれに近い冷やしぶっかけうどん。自家製の麺かどうかはわからないが腰があって結構いける。

Dscn2124 次は13時30分発の新見行きへ。旅行者や地元の高校生で結構賑わっている。また車両の最前部へ。ここも夏草が生い茂っており、カーブにさしかかると極端に減速する。雑木林が線路の近くまで来ており、それを慎重に払うためだろうか。このあたり、1日8往復しか走らないローカル区間である。

Dscn2125 少しウトウトもしたが、14時24分新見着。長い時間かかったがこれで姫新線を久しぶりに全線走破。ここで折り返しとして、次は伯備線の客となる・・・。

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