
















昨年の12月25日限りで、安佐南区内に設けられていた避難所は全て解消された。避難していた人が全員避難所から出たからだというが、県営住宅、市営住宅での受け入れがなされているとはいうものの、やはり自分の家を失ったというやるせなさはあるだろう。







こうした伝説もあり、かつて八木地区は「八木蛇落地悪谷(じゃらくじあしだに)」と呼ばれていたとか。先ほどの大蛇は「水害」を意味するものだといわれている。蛇が落ちてくるように水の流れ道があったということだろう。大蛇退治は水害を収めるということで、武将はそれに尽力したとか、あるいは人身御供のようなことになったとか、そういう言い伝えなのだろう。
この豪雨災害の直後に「元々そういう地名がつくくらい水害の多いところなのに、開発するにあたって『八木上楽地芦谷』に変わり、そして今はただの『八木』になったという歴史がある」ということがテレビで紹介された。地名に土砂崩れの危険や教訓が含まれているというのに、地名を「イメージのいいもの」に変えたためにその歴史が忘れ去られた、というもの。東日本大震災の津波の時にも言われた「先人の知恵を活かせなかった」というやつである。
なるほどそうかと思うが、一方では「古地図や古文書を見てもそういう地名は出てこない」という声もある。豪雨水害があったから無理にこじつけているのではないかと。こうなると本当はどうなのかわからない。現実としては防災、減災の対策をどうするということしかないのではと思う。


いろいろと悪天候に見舞われて結構疲れたが、考えることも多い旅であった・・・・。