昨年の8月20日に起きた広島の土砂災害。あれからちょうど半年ということで、被害の大きかった安佐南区八木地区などで慰霊の式典が行われた。
八木地区には、今年の正月休みに少しの時間だが訪れ、雪が降ったり止んだりの中を歩いた。門柱など一部だけが残された家々の跡を見るのはショックだったし、所々に花が供えられていたのも感ずるところがあった。少し歩いただけの人間でも痛ましく思うことで、被災された方々の思いはいかばかりのものか。改めて、お見舞い申し上げます。
ニュース記事によれば、今でも800余りの世帯、1700人あまりが広島市内の公営住宅等で避難生活を送っているそうだ。たまたま空きの住宅があったから、東日本大震災での仮設住宅とは様子が違うのだろうが、住んでいた地を土砂にさらわれたことは変わりない。
八木地区には砂防ダムや防災道路を建設するそうだが、確かに防災対策にはなるものの完成には時間がかかるし、山際に住むというリスクは変わらないわけで、真の復興には相当な時間と労力がかかることである。
さてそんな広島のカープに黒田投手が復帰した。アメリカの地にあっても災害に心を痛め、お忍びで被災地を訪ねたこともあるそうだ。そんなこともカープ復帰の後押しになったことだろう。
被災地では慰霊碑を建てようという動きもある。痛ましい災害だったが、教訓を活かしつつ、新たな街づくりに向かう人たちを応援したいものである・・・・。
八木地区には、今年の正月休みに少しの時間だが訪れ、雪が降ったり止んだりの中を歩いた。門柱など一部だけが残された家々の跡を見るのはショックだったし、所々に花が供えられていたのも感ずるところがあった。少し歩いただけの人間でも痛ましく思うことで、被災された方々の思いはいかばかりのものか。改めて、お見舞い申し上げます。
ニュース記事によれば、今でも800余りの世帯、1700人あまりが広島市内の公営住宅等で避難生活を送っているそうだ。たまたま空きの住宅があったから、東日本大震災での仮設住宅とは様子が違うのだろうが、住んでいた地を土砂にさらわれたことは変わりない。
八木地区には砂防ダムや防災道路を建設するそうだが、確かに防災対策にはなるものの完成には時間がかかるし、山際に住むというリスクは変わらないわけで、真の復興には相当な時間と労力がかかることである。
さてそんな広島のカープに黒田投手が復帰した。アメリカの地にあっても災害に心を痛め、お忍びで被災地を訪ねたこともあるそうだ。そんなこともカープ復帰の後押しになったことだろう。
被災地では慰霊碑を建てようという動きもある。痛ましい災害だったが、教訓を活かしつつ、新たな街づくりに向かう人たちを応援したいものである・・・・。