まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第2番「紀三井寺」(2回目)~西国三十三ヶ所巡り・22(和歌山コンプリート)

2015年05月06日 | 西国三十三所
今年のゴールデンウィークも終了。オリックス・バファローズはイーグルス、ホークス、ライオンズと対戦して結局3勝6敗。ホークス戦ではあと一歩のところで逆転負けを食らったかと思えば、ライオンズ戦は3戦とも力の差を見せつけられた敗戦で、借金も再び二けたに膨れ上がった。もう、どうなることやら・・・。

西国巡りをする中で「諸願成就」ということを行っているのだが、ここに「オリックス・バファローズの勝利」というのを加えてお参りするとするかな・・・。

さて、粉河からJR和歌山線で和歌山まで出て、きのくに線(紀勢線)の御坊行きに乗り継ぐ。二つ目が紀三井寺駅である。ここも、西国巡りの2回目の訪問である。目指す紀三井寺は駅から歩いて5分ほどのところにある。桜の名所としては名高いところだが、連休中とはいえそれほどの混雑はない。同じ和歌山でも行くとすればもっと南へ向かう人が多いのだろう。

楼門から231段の石段がある。ここまであちらこちらの札所を巡る中で歩いたのに比べれば、231段の石段くらいはさほどのものではない。ただこの「結縁坂」・・・その昔、紀伊国屋文左衛門の結婚と出世のきっかけとなった、縁結びのエピソードが残る石段であるが、私も昨年上ったがその後何かそいう話があったわけではない。まあ、1回上ったくらいでそのようなご利益が受けられるはずもなく、いろんな意味での信心を持たなければならないところであるが・・・。

本堂に出る。ここ紀三井寺は「救世観音宗(ぐぜかんのんしゅう)」という、独立した宗派の総本山としての一面も持つ。元々は真言宗の山階派というのに属していたが、1948年に先代の住職が救世観音宗を開創した。そういうことはあるが、宗派を問わず古くから多くの人の心の拠りどころであったことには違いない。西国の札所は真言宗、天台宗、さまざまな宗派に属してはいるが、だからと言って寺の造りにそれほどの違いがあるものでなく、同じ宗派でもご本尊が違う、逆に別の宗派でも同じご本尊を祀るというところもある。巡礼する人も果たしてどのくらい意識しているのかなと思う。

外陣にてこの日二回目のお勤めを行う。

そして朱印を受ける。朱印帳のほうは重ね印ということで、納経軸の最上段にもいただく。これで最上段の4ヶ所全てに朱印と菊の御紋が入った。和歌山の3ヶ所には2回来ることにはなったが、これで華厳寺のある岐阜県以外の近畿2府4県のうち、最初にコンプリートした県となった。西国巡りも折り返しに来て、少しずつ形になってくるのを感じる。

本堂の後は、高さが25mある大千手十一面観音像が安置される仏殿に向かう。2008年に落慶した新しい像だが、今ではこちらが紀三井寺のシンボルになっているかのようである。本尊の十一面観音が秘仏となっていることもあるだろう。「フラッシュなしなら写真を撮っていただいて結構ですよ」という案内の僧侶の言葉に、スマホやタブレットを向ける人も多い。

100円を納めればこの仏殿の3階の展望台に上がることができる。ちょうど観音像の顔の高さにあり、ご対面である。観音像の視線のちょうど先に本堂がある。

天気もよく、風も心地よく吹いている。和歌山市街から和歌の浦、マリーナシティはもちろん、その先の景色もくっきり見える。海の色が明るい。春を通り越して初夏の気分である。

さて、この景色を眺めながら、次の行き先を決めるくじ引きとサイコロである。華厳寺は最後に行くとして、札所をエリアごとに分けたグループも残り9つ。

1.近江(長命寺、観音正寺)

2.飛鳥(岡寺)

3.阪急京都線(善峯寺、総持寺)

4.姫路(圓教寺)

5.宇治(三室戸寺)

6.京都東山(今熊野観音寺、清水寺、六波羅蜜寺)

ちなみに残りのエリアは、山科醍醐(元慶寺、上醍醐)、箕面宝塚(勝尾寺、中山寺)、丹後(成相寺、松尾寺)である。和歌山はこれで完了したが、まだ姫路、丹後、近江と、端のエリアは残っている。ここらで姫路、近江といった遠いところも押さえておきたい。

そして出た目は・・・「3」。うーん、選択肢の中ではもっとも地味で、寺としてもマイナーなイメージのところである(あくまで、私の主観として・・・)。総持寺は阪急の駅名にもなっているから名前は知っているにしても、善峯寺は、西国巡りの中で初めて知った名前である。いずれももちろん訪れるのは初めてだが、普段なかなか行くことのない西京から茨木というコースも、道中何か面白いものがあるかもしれない。

ちょうど昼近くなったところでこの日の巡拝は終了。さて、和歌山に来た午後の時間をどう過ごすか・・・・。
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第3番「粉河寺」(2回目)~西国三十三ヶ所巡り・21(菊の御紋)

2015年05月06日 | 西国三十三所
この連休中、どこか1回は西国三十三所巡りの続きをしようとは思っていた。5日が好天というので出かける。今回は粉河寺、紀三井寺という一度参詣済のところである。納経軸を仕上げるためである。京都市内なら大変な混雑になるのだろうが、和歌山のこちらの人出はどうだろうか。

まずは粉河寺から回るということで、藤井寺から河内長野経由で橋本に到着する。極楽橋~高野山行きの列車に乗り継ぐ人が多い。高野山は開創1200年ということでさまざまな催しや法要が行われているし、特急車両もオリジナル塗装である。西国巡り満願の後は納経軸の番外欄に高野山の朱印をいただく人が多い。私の西国巡りも、年内に間に合うか。

橋本から和歌山線で粉河まで進む。和歌山線はICカードが使えないので、券売機できっぷを購入。2両ワンマン運転の後ろの車両に乗る。ほとんどの駅が無人のため、2両目のドアは開かない。

紀ノ川の流れを見ながら粉河に到着。昨年8月以来の下車である。

粉河寺へは駅前の一本道を1キロほど歩く。商店街ではあるがまだ朝の8時半すぎであるし、連休中ということかシャッターが下りたままのところも結構ある。中には店の構えはあるが中はがらんとした(店をたたんだ?)ところもある。地元の人も、買い物となれば駅を挟んだ反対側の国道24号線沿いの店舗に行くのだろう。

一方でところどころこうした古い家も残る。こうしたところは門前町の名残なのかな。

重要文化財にも指定されている朱塗りの大門に出る。参道はさらに続いており、広大な敷地が残されている。前回は通り過ぎるだけだった仏足石も見る。あるサイトで見た画像では、150年以上前に彫られた仏足石もかなり風化が進んでいるようだったが、今は修復され屋根に覆われておりはっきりと形が見える。足のツボのようなところに1円玉がお供えされている。

こちらも堂々とした造りの中門をくぐる。山門の金剛力士像に続いて、こちらでは四天王が出迎えてくれる。これまで回った中では、山門ですらこの中門より小さな規模のところも多く、紀州徳川家の粉河寺への入れ込みようがわかる。

そしてやって来た本堂。その前にはサテツや岩がダイナミックに配置されている庭園。粉河寺と聞くとこの独特の庭園をイメージする方も多いのではないだろうか。本堂も屋根が複雑に組み合わされており、建物を大きく見せている。

朝のこととて参拝客の姿もほとんどなく、ゆっくりとお参り。

2回目ということで朱印帳には重ね印をいただき、今回やって来た目的である納経軸にも印を受ける。納経軸の最上段ということで菊の御紋をいただくのだが、この粉河寺だけは「もう100円いただくんですが、よろしいでっか?」と訊かれる。以前に槇尾山の施福寺で初めて菊の御紋をいただいた時に「他のところはそのまま一緒に押すのですが、粉河寺だけは100円追加されます」と聞いていたので「ああそうか」という感じで押していただく。思えばその時に「なぜここだけ100円追加なのか」と訊けばよかったが、こういうところで100円の話をするのもいやらしいなと思い、そのまま。・・・こういう時にあっさりした性格が出てしまうのかな。

先ほどから何やら音楽が聴こえてくる。その音の方をということで本堂の横に石段を上がる。音というのは雅楽をずっと流しており、石段の上には神社の拝殿があった。粉河産土神社である。奈良時代末期に大伴氏が粉河寺を創始するに当たり、この辺りの氏神を祀ったのが始まりという。かつての神仏習合というか、仏と神が自然に並んでいた姿を今に止めている。紀州三大祭りの一つに粉河祭というのがあるが、この産土神社の祭りだそうである。

なぜか黒く太った猫がつながれていたり(つないでいるから運動不足で太っているのかな)、いろんな国の言葉で書かれた絵馬を見る。結構有名なところなのかな。境内には猿田彦神社やお稲荷さんもあり、ここにお参りするだけでいろんなご利益が受けられそうだ。

これで粉河寺を後にして、目の前の秋葉公園に行く。少し坂を上ると「猿岡城跡」という石碑がある。粉河寺の前にあるということで、戦国時代には僧兵たちが砦を築き、寺の防衛に当たったという。しかし豊臣秀吉の紀州征伐で寺もろとも焼き払われ、その後は城造りの名人として知られる藤堂高虎が入った。ただすぐに国替えとなったために城は廃されて現在に至るという。

展望台があり、前に数本伸びている木がやや邪魔に思うが、粉河の集落や和歌山市街を見ることができる。それにしても雲一つない、見事な快晴だ。

前回訪れることがなかった産土神社と猿岡城跡を見ることができ、満足気分で次の紀三井寺に向かうことにする・・・。
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