まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第11番「醍醐寺」~西国三十三ヶ所巡り・26(下醍醐)

2015年05月24日 | 西国三十三所
地下鉄東西線の醍醐駅に到着。東西線といっても山科からは進路を南に取り、六地蔵までつながっている。醍醐までは1997年に開通した区間で、駅の上にはアル・プラザを中心とした商業施設ビルや、新しいマンション、市営住宅が建ち並ぶ。地下鉄の新規開業に合わせた街づくりなのだろう。

駅から醍醐寺まではまず市営住宅の間の広い歩行者・自転車道を歩く。10分ほどで門前に出る。「西国第十一番霊場登山口」とある。「登山口」というのがいい。醍醐寺は「上醍醐」と「下醍醐」に分かれており、西国札所としては「上醍醐」である。醍醐寺を開いたのは弘法大師・空海の孫弟子にあたる理源大師・聖宝だが、元々は山岳信仰と修験道の流れを汲み、笠取山(醍醐山)の山上に准胝観音、如意輪観音を祀ったのが始まりである。それが時代を経るに連れて下の方にどんどんと広がり、大伽藍が造られた。これが「下醍醐」である。

醍醐寺の拝観はいくつかエリアに分かれている。歴代座主が居住する三宝院、下醍醐の伽藍、霊宝館、そして上醍醐である。それぞれに拝観料600円かかるというので、西国めぐりをされている方のブログの中には「醍醐寺はぼったくりや」という声もある。確かに全部を回ればそうなるが、霊宝館は春と秋の期間限定での公開でこの日は開いていなかったし、三宝院と下醍醐のセットだと1000円。上醍醐は別会計であるが、世界遺産の文化財を維持するということならこれはやむを得ないかな。

三宝院は室町時代には幕府にも影響力があったが、応仁の乱で焼失。復興したのは豊臣秀吉・秀頼の力によるものである。玄関から入るが、写真撮影は外の国宝・唐門と玄関の建物までである。通路を行き、葵の間、秋草の間、勅使の間を通って表書院へ。ここから眺める庭の配置が絶妙である。その奥は特別公開エリアということで、ここで引き返す。

そして仁王門から伽藍に入る。桜や紅葉の時期は大変な賑わいとなるが、この時季の午前中は人出もそれほどなく、ゆったりと観て回ることができる。緑に囲まれるというのも涼しげでよいものだ。四国八十八ヶ所の笈摺姿の人が目立つ。四国からツアーで来ているのだろうか。

まずは秀吉・秀頼が再建した国宝の金堂へ。再建と言っても、和歌山の湯浅にあった建物を移築してきたそうだ。ここが醍醐寺の本堂に当たるところで、本尊は薬師如来。観音めぐりではあるがこれが本尊なら素通りもアレなので、まずここで一度お勤めをする。薬師如来、日光・月光菩薩、そして四天王という「チーム薬師」が並ぶ。

そしてこちらが国宝・五重塔。戦乱や火災で焼失した建物の多い醍醐寺にあって、平安時代の建立当時の姿を残す数少ない建物である。やはり塔というのは人の目を引くもので、巡礼ツアーの人たちの記念撮影スポットにもなっている。

不動堂もある。堂の前に不動明王の石像を中心にロープで仕切られたスペースがあるが、ここで護摩を焚いて祈願する法要が行われる。パンフレットにその様子の写真が載っているが、屋外でやるにはさぞ豪快に焚かれるのかなと、ちょっと見てみたい気になる。

その奥の新しい感じの建物は、真如三昧耶堂。元々は法華三昧堂が建っていたのだが焼失し、1997年に新たに建立されたもの。「真如」と聞いてイメージするのは、真如苑である。真如苑・・・・親類に入信しているのがいるのだが、どうしても「カネ」とか「カルト」という言葉と結びつけてしまう。あれは独立した新興宗教なのかと思っていたが、開祖である伊藤真乗は、ここ醍醐寺で出家した僧である。また醍醐寺も真如苑を「自分のところの流派の一つ」と認めている。うーん、平安からの由緒を持つ寺が新興宗教のバックアップねえ・・・しかも境内に堂まで建ててしまうか。

また醍醐寺は、「岩間寺檀信徒のページ」などでは岩間寺を乗っ取った極悪非道のような言われ方をされている。まあ、そのページの言うところもどこまで本当なのかというのはあるが、拝観料のことといい、真如苑といい、どうも醍醐寺というのはカネ絡みであまりいいイメージを持たれていないような。

奥に進むと観音堂がある。西国のご朱印はこちらという案内がある。元々は大講堂として阿弥陀如来を祀っていたのだが、2008年8月の落雷による火災で上醍醐の准胝堂が全焼したために、准胝観音もこちらに移して祀っている。その火災では准胝観音も焼失したが、実は二体あり、そのうち一体は展覧会の出張のために無事だった。うーん、本尊が二体あるというのは、まさかこういうことを想定してスペアをもう一体こしらえていたのかな。奥の阿弥陀如来が大きいので「観音さんはどれ?」と一瞬思うが、手前の小さな厨子の中がそうである。ここで改めてお勤めを行う。

観音堂の中には新しい感じの納経所も設けられており、西国以外の薬師如来その他の朱印も一括してここで受け付けている。上醍醐の准胝堂の再建の動きもあるようだが、なかなか進まない。一方でこちらを観音堂と改めて、納経所も堂内に新設したということは、今後ずっとこちらで祀るということか。まあ、1時間かけて山の上を上ることを思えば、より多くの人が間近に拝むことができる点でいいのかもしれない。事実、ここで引き返す人も多い。

朱印帳と納経軸に朱印をいただき、これで醍醐寺はクリアしたことになるが、ここまで来ればやはり上醍醐は目指したい。寺のルーツであるし、火災がなければどのみち登らなければたどり着けない札所である。

奥には回転式の扉がある。上醍醐へはここから出る。出たところは醍醐寺の境内に並行する自由通路で、外から下醍醐を通らずとも直接上醍醐に向かうことができる。逆にここから下醍醐に入ることはできない。その扉の横に看板があり、焼失した准胝堂の再建として、上醍醐に本殿、下醍醐に拝殿を設けるとしている。ただし、上醍醐での再建は消防道路の建設も含めた防災・消防計画をセットだという。で、現在は下醍醐の拝殿というのが大講堂改め観音堂ということになる。消防道路の建設となるとかなり大がかりなものになるし、どうもこのままの形で落ち着くことになるのかな。

階段を上がるともう一つお堂がある。成身院、通称女人堂である。元々上醍醐は女人禁制で、女性はここから山の上の観音さんを拝んだという。もちろん今は誰でも上醍醐に行くことができるが、入山料の徴収場所となっている。堂の前には弥勒菩薩、理源大師聖宝、不動明王などの像があり、これから上る人たちを見送る。

さてここから、二十丁の上りである・・・・。
コメント (2)