

善峯寺参拝の後で東向日から総持寺に向かう。車中で読書していたのだが、夢中になって一旦総持寺を乗り過ごしてしまう。気づいたのは隣の茨木市。ここで向かいのホームに停車中の各駅停車に乗り換えて、今度はちゃんと総持寺に着く。


この辺りは閑静な住宅街が広がる。看板の矢印を頼りに5分ほど歩くと山門に出る。札所を示す石柱が立つが、その下には亀の像。亀の甲羅から石柱が生えているようにも見えるし、石柱で亀が押し潰されているようにも見える。

また手水があるが、ここはセンサー式で水が出てくる。札所の中でこの方式に出会ったのは初めて。

山門から境内に入る。先程の善峯寺が勾配差が大きかったのと対照的に、境内はフラット。駅からのアクセスも含めて、たまにはこうした寺もよいものである。拝観料、入山料も取らないし、参詣する人も観光や登山の出で立ちと言うよりは、ご近所の人がちょっとお参りするのがお似合いである。その点、私の地元の葛井寺にも似ているかな。

本堂は戦国時代の戦乱で焼け、江戸時代に再建されたもの。至ってシンプルな造りである。ガラスの向こうに観音像らしき姿が見えるが、これは御前立ち。本尊の千手観音は4月の限定期間のみの開帳である。この千手観音、亀の上に乗っている。ポスターでその姿を見たが、浦島太郎のように腰かけるならともかく、立ったまま乗っているとやはり亀を踏んでいるようにも見える。
ここ総持寺は高野山真言宗である。ここからは私が父から聞いた話。数年前に亡くなった私の大叔父が高槻に住んでいたのだが、生前、この総持寺に直に葬儀の相談に来たそうだ。元々高野山真言宗の家系で、故郷ならば檀那寺にお願いするところ、大阪に出てきた身でそれができない。ついては、真言宗の古刹である総持寺でお願いできないか・・・と。いろいろお願いした結果、そういうことになったそうだ。
喪主の経験がないのでわからないまま書くのだが、誰かが亡くなると葬儀をするわけだが、あの宗教宗派に合わせた寺などはどういう仕組みで手配されるのだろうか。まあその辺りは葬儀社に委ねるのかな。生前に「こういう方式で」という故人の意志がはっきりしていればスムーズだろうし、名前は挙げないが新興宗教なら、その筋に連絡すれば教団のほうで万事整えるだろう。
ここで問題なのは、「うちとこは一応○○宗らしいけど、寺は全然知らん」という場合。いや、うちとこが○○宗ということすら知らない場合。こんな時は葬儀社が適当に見繕うのかな。一方で、全く頓着しないのなら別にいいが、同じ○○宗にもいろんな「派」がある。先の大叔父の場合は真言宗の中でも高野山と言い切ったから総持寺で行けたのだが、他の派だったらどうなのか。浄土真宗など、本願寺派だとか大谷派だとか、半ば抗争のようなこともあったではないか。
・・・考え出すとキリがない。ただ、一応どうすればいいかというのは、生前にある程度聞いていたほうがよさそうだ。

さてそんなことを思いながら、納経所へ。納経所も本堂の中にあるところ、外に独立して設けているところがある。総持寺は後者だが、建物が近代的である。吹き抜けになっていて、入ると休憩用の椅子が並び、右手には参詣用品がズラリ。正面のモニターには総持寺の紹介映像が流れ、その上には亀に乗った千手観音像の小型版がいらっしゃる。そして左手に納経のカウンターが並ぶ。さすが、西国の札所会、先達会を仕切っているだけのことはある。若い僧侶が書いてくれた朱印帳の字はみみっちく思えたが、それはさておき「駐車券はお持ちですか?」と訊かれる。駅からの歩きなので駐車券はないのだが、実は山門の脇にコインパーキングがある。単なる駐車ならカネを取るが、参詣者にはサービスしようというもの。これはいいサービス。駐車料金の扱いも札所ごとにいろいろあって・・・(以下略)。

そんな総持寺、周りのお堂もバリエーションに富む。弘法大師を祀る大師堂に、「チーム薬師」が揃う薬師堂。西国と四国のお砂踏みにボケ封じ観音。


その一角に、ペットのための観音像がある。ペットの名を記した卒塔婆もあるのだが、その前にあるケースに驚き。・・・これは洒落なのか、歴とした謂れがあるのか、ペットボトルが多数お供えされている。ボトルにはペットへの想いを込めたメッセージがぎっしり書かれている。そういうところまで受け持つ総持寺。


果ては、水路に鯉が泳いでいるかと思えば・・・その向こうでは亀が群れている。亀が多いと言えば四天王寺を思い浮かべる。亀に縁のある総持寺だからなのか、それとも放生会に関係するのか。
総持寺の開祖は平安時代の藤原山蔭。この山蔭、幼少の頃に舟下りの川に落ちて行方がわからなくなったことがある(実は継母が殺そうとして川に落としたもの)。
父の高房は、遺体でもいいからもう一度子どもに会いたいということで観音に祈ったところ、亀が山蔭を甲羅に乗せて現れた。山蔭が川に落とされた日、高房が漁師に捕えられていたのを「観音の縁日だから」と助けて放した亀である。よくある動物の恩返しの話である。

山蔭は無事に大人となり出世した。ある日、中国から香木が流れ着き、子どもの時に自分を助けてくれたのは観音様のおかげであるとして観音像を彫ろうと、山蔭は長谷寺に籠る。すると童子が現れて観音像を彫るという。ただし、千日の間、山蔭自身で童子の食事を作れという。その通りすると、千日目に童子は飛び立ち、その後には亀に乗った観音像があった。童子は長谷寺の観音の化身という伝説である。これを祀ったのが総持寺の由来という。またこの山蔭の料理も「包丁道の開祖」と崇められ、今では4月の開帳時の儀式として「山蔭流包丁会」が行われている。手に触れることなく包丁と箸だけで魚を捌くというもの。
境内を一周したところで、次の行き先を決めるサイコロである。亀を眺めつつ出た選択肢は・・
1.飛鳥(岡寺)
2.姫路(圓教寺)
3.箕面宝塚(勝尾寺、中山寺)
4.宇治(三室戸寺)
5.近江(長命寺、観音正寺)
6.山科醍醐(上醍醐、元慶寺)
そろそろ選択肢も少なくなり、同じ名前が続けて出てくる。飛鳥も何回も出てるがなかなか当たらない。そんなところで出たのは・・・「6」。
うーん、いずれ行かなければならないのは分かっているが、ここで「西国最難関」が出てきた。
帰りはJRの案内通り、摂津富田まで歩くことにする。参拝中もJRの列車の走行音が聞こえてきたくらいだから、線路に近いといえば近い。住宅地の中をぶらつき、線路に出たところで茨木市から高槻市に入った。

高槻といえば・・・この議員の地元である。こういう人が当選する高槻っていったい・・・・。

そろそろ駅前らしく商店が増えてきた。JRの摂津富田と阪急の富田は確かに近い。ここで昼食としてもいいのだが、結局はJRに乗り、大阪に戻ることに・・・・。