酒見寺の参詣を終え、少年野球の試合をやっていた小学校と中学校の間の道を抜けると、一見個人の屋敷のように見える一角がある。ここは羅漢寺という。
五百羅漢というのがある。仏教の中の聖者という意味で、釈迦の生前の教えをまとめる「経典結集(けいてんけつじゅう)」というのに集まったのが500人いたということから、五百羅漢を祀るということが行われている。また、この五百羅漢にまつわる話として、必ず自分や知人に似た顔の仏が一体は見つかるというのがある。
この加西市北条にも羅漢寺というのがあり、そこに五百羅漢がいるという。加西市としては、西国の一乗寺や新西国の酒見寺と並んで、いやそれ以上に「石仏の町」というのをPRしている。市内のあちこちに石仏がいるというが、その象徴として羅漢寺の五百羅漢を推している。
門をくぐる。出迎えたのは2体の大きな石仏。これは仁王像である。その奥に受付があり、拝観料200円を納めて庭園のような境内に入る。
そして目の前に現れたのが、この石仏たち。整然と並べられているのが驚きである。中央に釈迦如来、普賢菩薩、文殊菩薩などがいて、その両側にずらりと石仏が並ぶ。その配列も、迷路を行くように並んでいて、一つ一つの表情をくまなく見ることができるようになっている。
石仏といっても凝った造りではなく、石柱を切り出して来て、そのまま顔がわかるように彫っただけのもの。ただそれでもそれぞれの表情に特徴があるし、高さもまちまちであるのが余計にバリエーションを広げているように見える。
これだけのものを作成し、整然と配置したというのは近年の作業のように見えるが、この羅漢寺の創建や、五百羅漢がいつ頃彫られたものかという詳細は不明なのだという。中には慶長年間の刻銘がされているのもあるそうだが、そういうのは後からでも作業ができるし、実際のところはわからない。また、誰がこの形に並べたのかもはっきりしたことはわかっていないそうだ。自然の地形を利用した磨崖仏ならともかく、こうした平地の寺の敷地に石仏を整然と並べるのは強い意図があってのことだと思うが。
五百羅漢の横に本堂があり、本尊は薬師如来である。ここでは般若心経のお勤めは省略して、薬師如来の真言だけ唱える。
本堂の裏手に墓地があるのだが、その中に首の落ちた仏像を見る。五百羅漢が整然と並ぶのもシュールな光景であるが、首の落ちた仏像が墓にあるというのも何だかなあと思う。
今回は石仏の数々に圧倒される形で、自分や知人に似た像を探すどころではなかった。また来ることがあれば、じっくりと見てみたいものである。
これで今回の参拝は終了。遅くなったが昼食ということで駅前に戻る。イオンモールに接して「うまいもん横丁」の看板を見つける。いわゆる「粉もん」のチェーン店で、播磨となればどろ焼き(とろじゅう焼き)、明石焼き、ホルモン焼うどんなどの独特のメニューがあるだろう。果たしてそうで、ここはとろじゅう焼きと、フェアでやっていた広島カキのバター焼きをいただく。朝から歩き続けたので、昼間ではあるがビールもあおる。寺参りの後のビールというのも、公共交通機関巡礼ならではのことである。焼きものメニューも美味しくいただいた。
もう帰ることにするが、高速バスには乗らずもう一度北条鉄道に乗る。終点の粟生からは加古川線、JR神戸線を乗り継いで大阪に戻った。これからの新西国めぐりも、次は三木、小野といったところを回るが、周辺のスポットも織り込みつつ、地元関西の新たな見聞ということで続けていきたいものである・・・・。
五百羅漢というのがある。仏教の中の聖者という意味で、釈迦の生前の教えをまとめる「経典結集(けいてんけつじゅう)」というのに集まったのが500人いたということから、五百羅漢を祀るということが行われている。また、この五百羅漢にまつわる話として、必ず自分や知人に似た顔の仏が一体は見つかるというのがある。
この加西市北条にも羅漢寺というのがあり、そこに五百羅漢がいるという。加西市としては、西国の一乗寺や新西国の酒見寺と並んで、いやそれ以上に「石仏の町」というのをPRしている。市内のあちこちに石仏がいるというが、その象徴として羅漢寺の五百羅漢を推している。
門をくぐる。出迎えたのは2体の大きな石仏。これは仁王像である。その奥に受付があり、拝観料200円を納めて庭園のような境内に入る。
そして目の前に現れたのが、この石仏たち。整然と並べられているのが驚きである。中央に釈迦如来、普賢菩薩、文殊菩薩などがいて、その両側にずらりと石仏が並ぶ。その配列も、迷路を行くように並んでいて、一つ一つの表情をくまなく見ることができるようになっている。
石仏といっても凝った造りではなく、石柱を切り出して来て、そのまま顔がわかるように彫っただけのもの。ただそれでもそれぞれの表情に特徴があるし、高さもまちまちであるのが余計にバリエーションを広げているように見える。
これだけのものを作成し、整然と配置したというのは近年の作業のように見えるが、この羅漢寺の創建や、五百羅漢がいつ頃彫られたものかという詳細は不明なのだという。中には慶長年間の刻銘がされているのもあるそうだが、そういうのは後からでも作業ができるし、実際のところはわからない。また、誰がこの形に並べたのかもはっきりしたことはわかっていないそうだ。自然の地形を利用した磨崖仏ならともかく、こうした平地の寺の敷地に石仏を整然と並べるのは強い意図があってのことだと思うが。
五百羅漢の横に本堂があり、本尊は薬師如来である。ここでは般若心経のお勤めは省略して、薬師如来の真言だけ唱える。
本堂の裏手に墓地があるのだが、その中に首の落ちた仏像を見る。五百羅漢が整然と並ぶのもシュールな光景であるが、首の落ちた仏像が墓にあるというのも何だかなあと思う。
今回は石仏の数々に圧倒される形で、自分や知人に似た像を探すどころではなかった。また来ることがあれば、じっくりと見てみたいものである。
これで今回の参拝は終了。遅くなったが昼食ということで駅前に戻る。イオンモールに接して「うまいもん横丁」の看板を見つける。いわゆる「粉もん」のチェーン店で、播磨となればどろ焼き(とろじゅう焼き)、明石焼き、ホルモン焼うどんなどの独特のメニューがあるだろう。果たしてそうで、ここはとろじゅう焼きと、フェアでやっていた広島カキのバター焼きをいただく。朝から歩き続けたので、昼間ではあるがビールもあおる。寺参りの後のビールというのも、公共交通機関巡礼ならではのことである。焼きものメニューも美味しくいただいた。
もう帰ることにするが、高速バスには乗らずもう一度北条鉄道に乗る。終点の粟生からは加古川線、JR神戸線を乗り継いで大阪に戻った。これからの新西国めぐりも、次は三木、小野といったところを回るが、周辺のスポットも織り込みつつ、地元関西の新たな見聞ということで続けていきたいものである・・・・。