まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第4回四国八十八所めぐり~遍路ころがしに挑む・3

2016年10月20日 | 四国八十八ヶ所
藤井寺から焼山寺への遍路ころがしの道は、距離としては半分を過ぎている。休憩ポイントの柳水庵を過ぎてしばらくはなだらかな上りだったが、急に勾配がきつくなるポイントに出た。

「へんろころがし4/6」とある。柳水庵が標高500メートルだったが、ここから最高地点の745メートルを目指す。その手前の急な坂である。時に立ち止まってはリュックを下ろして給水する。また上りを歩くうちに、前方に一人の男性が岩場に腰かけてキツそうにしていたのを追い越す。

そんな坂を10分も登ると、急に右手に一対の門柱が現れた。石段が続く。その先には杖をついた人の影。そう、弘法大師だ。

ここが焼山寺への道の最高地点である浄蓮庵。藤井寺からは9キロ手前で、全体の3分の2来たことになる。坂道を登ってきた人を温かく見守るような佇まいである。大師像の後ろには左右内(そうち)の一本杉という県の天然記念物があり、浄蓮庵は一本杉庵とも言う。ここで3回目のお勤めだが、風は涼しく感じるが身体からは湯気が出ている。

最高地点に来たからもう良さそうなものだが、何事も残り3分の1や4分の1を迎える当たりがしんどい。浄蓮庵を境に下りに転じる。それも左右内の集落まで一気に350メートルを下る。下りのほうが楽だと思う方もいるだろう。ただ、道は石や岩でゴツゴツしているし、前夜の雨でぬかるんでいるところもある。勾配も急だし、一歩を踏み出すのも慎重になる。上りはまだ這ってでも登れるが、この下りは金剛杖がないと無理。金剛杖に宿る弘法大師と、杖に貼り付けたアイランドリーグのキャラクターたちに「頼むぞ」と念じて下りていく。・・・それでも、二度ほど滑って坂道をずり落ちた。幸いどこも異常はなかったが、見事に遍路ころがされた。これ、場所によっては横が崖になっているところもあるので、気を付けなければならない。もう「巨人はロッテより・・・」などという例えはしない。逆にホームランを打たれて「バ~カ!」と言われないように・・・。

いつまで下るのかと思ううち、民家の屋根が見えてきて、12時のチャイムが鳴った。ちょうど4時間経過である。神山町の特産であるすだちの畑が広がり、近くには10件ほどの民家と、村の鎮守らしき神社がある。それでも山深いところだ。

ここからはすだち畑の畦道や民家の路地を抜ける。焼山寺まで6キロという看板が出て一瞬ドキッとしたが、これは車道をクルマで行く場合である。歩きのコースはまた狭いところに入る。丁石は残り17丁、いよいよカウントダウンである。左右内の集落に町の防災無線が入るのを聞きながら歩く。

そして最後の「へんろころがし6/6」である。最後にして最強の上り坂。標高差は300メートルで、岩場に張り付くところもある。さすがにペースがガクンと落ち、鼓動も激しくなる。数十歩進んでは立ち止まり、息を整えたり水を飲んだりする。誰かが言っていたが、こういう時はどんなにゆっくりでも体を動かし続けたほうが良いとか、休むにしてもドッカリ腰を下ろすと次に立ち上がるのがしんどいので立ったままのほうがいいとか、そんなことを思い出す。幸い、足にマメができたとかどこかを痛めたというのはないので、少し歩いては立ち止まって休むのを繰り返す。上から颯爽と下りてくる人がいて、「あともう少しですよ!」と声をかけてくれたのもうれしかった。

丁石を数えて確か残り7丁まで来たところで、ようやく道が広がった。やっと遍路ころがしを抜けたようである。

ここからは幅の広い緩やかな上りで、しばらく歩くと前方に車道を次々に行き交うクルマが見えた。焼山寺の駐車場に出入りするクルマである。やれやれ、ようやく到着した。

初めに間違えて本堂と反対の駐車場に行ってしまい、改めて参道を歩く。多くの人が白衣や笈摺を着て輪袈裟をかけているが、手にはほとんど荷物がない。クルマで来たのだからどうしてもそうなる。だからと言ってその人たちに何も思うことはない。

ようやく山門に続く石段の前に来た。時計は13時15分。藤井寺から何やかんやの合計で5時間15分である。自分の予想を大幅に上回る速さだった。まずは、ここまで無事に歩けたことに感謝する。

一方、これは四国八十八所めぐりの中で自分に何度も反芻しているのだが、移動に公共交通機関を使っているし、四国にも好き勝手な交通手段で入っているので、私は「遍路」を名乗る資格はない。これは、藤井寺から焼山寺まで山道を歩いたからといって変わるものではなく、ガチの遍路から見れば、どこまで行っても所詮は「焼山寺道を歩いたことがあるただの札所めぐりさん」でしかない。「焼山寺道を歩きました」と言っても「だからどうした。たかが電車バスで移動している軟弱者、エセ遍路が何を酔ったことを長々と言っているのか」と相手にされない。

私のやっていることは、所詮この程度でしかない。そんなことを長々と書いているだけである。これからも、四国八十八所、および巡拝の方々に対してはこのことを忘れず接しようと思う。

・・・と書くのは、行ってからしばらく時間が経った今だからなのであって、この時はとにかく先にお参りして楽になろうと思っていた・・・。
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