まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第7回中国観音霊場めぐり~第7番「円通寺」

2019年11月02日 | 中国観音霊場

新倉敷駅からバスに10分ほど揺られて玉島中央町に着く。

玉島は元々小さな島が集まっていたが、江戸時代前期に備中松山藩により大規模な干拓事業が行われ、新田が開発された。その後、高梁川につながる運河や港が整備され、北前船も出入りする商業港として栄えた。時代が下って昭和には玉島市となったが、児島市などとともに倉敷市と合併し、今に至る。

玉島が元々港町だったからか現在の玉島支所に至るまで町の中心はこちらにあり、その風情を残す町並みもあるそうだ。これは今回訪ねるにあたり初めて知ったことで、円通寺にお参りした後にでものぞいてみることにする。

さて寺へはバス通りをもう少し歩き、橋を渡る。円通寺参道と書かれた石標があり、クルマ1台が辛うじて通れる道幅の上り坂がある。目指す円通寺は坂の上にあるとのことで、結構勾配がきつい。

実は、玉島中央町へのバスの本数が(特に土日は)少ないため、新倉敷駅からレンタサイクルで訪ねることも選択肢に入れていた。幸い前の法界院と合わせてバス、列車の乗り継ぎがスムーズにいったのだが、もしレンタサイクルを選んでいたら大変なことになっていただろう。その前に係の人から止められたかもしれないが。

墓地の向かいに、「星浦観音」の幟と、第1番青岸渡寺と書かれた札が立つ。西国三十三所のお砂踏みである。この先に石仏が続くのだろう。

石標から10分ほどで「良寛さん修行の寺」と書かれた円通寺に着く。山門はなくそのまま石段を上がる。新倉敷駅前に良寛の像があるのはなぜかの答えがここにある。修行をしていたようだ。

石段を上がった先には良寛の像が立つ。奥には良寛堂という座禅のためのお堂もある。良寛は確か越後の出雲崎の生まれだったと思うが、新倉敷、玉島で良寛に出会うとは思わなかった。

ここで円通寺の歴史について触れる。開創は奈良時代、行基とされているが、曹洞宗の寺院として再興されたのは江戸の元禄の頃である。ちょうど玉島の干拓が行われた頃で、ひょっとしたらその時代背景もあったのだろうか。その後、10代住職の国仙禅師の時に円通寺で修行したのが良寛である。良寛が出雲崎を出て円通寺に入ったのが22歳で、その後12年修行して、国仙禅師から印加(一人前の僧として認めた証)をいただき、諸国を回るようになる。

で、良寛である。名前は広く知られていると思う。ではどういう人だったかとなると、何か子どもたちと手鞠やかくれんぼで遊んでいたとか、少し前に流行った言葉でいうところの清貧のお坊さんだとかいうが、実のところは曖昧である。

良寛が円通寺に入ったのは、国仙禅師が越後を訪ねた時に弟子の僧から託されたようなもので、円通寺にいた時は特別に優秀だったわけではなかったそうだ。数少ないエピソードを見ても変わった行動があったと伝えられるものばかりで、子どもの頃の逸話と合わせると、現在では「良寛は典型的なアスペルガー症候群だった」という内容の書籍になるくらいの、まあそうした人物だったのだなというところ。確かに、伝えられる言動を見るとそう言われてもおかしくない。

今でこそ良寛は歴史上の人物として名を残しているが、円通寺でそれをPRするのは、有名になったら掌を返して宣伝したり急に親戚が増えたりするのに通じるように思う。「あの良寛さん、実はうちで修行しよったんよ」と言うようになったのはいつの頃からか。

それはさておき、円通寺そのものは当時の曹洞宗の中では名刹とされていて、後に永平寺のトップになる僧も輩出したこともある。

本堂は珍しい茅葺き屋根である。その前に立ってのお勤めである。曹洞宗の寺なのに本尊が聖観音像というのがちょっと不思議な気がするが、それはありなのだろう。また本堂前には弥勒菩薩の木像があり、撫でることができる。

本堂と棟続きの建物に納経所がある。平日の昼間、扉は閉まっている。インターフォンがあるので鳴らしてみるが応答はない。うーん、平日に来たのがいけなかったのか、「留守」という言葉が頭に浮かぶ。もし諸事情でここで納経できない場合、前後の札所で代理で納経を受け付けるという貼り紙がある。以前に法界院で言われたことだが、中国観音霊場のルールとして実際に定められているようだ。裏を返せば納経所に必ずしも人がいるわけではないということを言われているのだが、円通寺もまた出直しとなるのか。

少し間を置いてもう一度インターフォンを鳴らすと、境内を掃除しているらしい人が建物の横から出てきて「今向かってるよ」と声をかけてくれる。やれやれ。

無事に墨書と朱印をいただく。これで岡山県内の中国観音霊場の7ヶ所+特別霊場1ヶ所をコンプリートすることができた。次回からは次のステージである広島県を訪ねることになる。

境内の奥はもう少し小高い丘になっていて、現在は円通寺公園として散策ルートになっている。春には桜の名所として多くの人の目を楽しませるそうだ。西国三十三所の観音本尊の石像も並ぶ中、先に進む。

ちょうど海を見下ろすスポットに出た。円通寺公園の頂上とも言えるところで、ここにも子どもと遊ぶ良寛の石像が建つ。

玉島の先には水島のコンビナート群が見える。また目を転じれば瀬戸内に浮かぶ島々も見えるし、その遥か向こうには讃岐富士とおぼしき山の頂上もうっすらと見える。条件が揃えば四国もばっちり見えるところだろうし、夜にはコンビナートの照明が夜景を演出することだろう。円通寺公園は寺を経由せずとも自由に出入りできるので、夜景デートの穴場と言ってもいいかな。ここで、新倉敷駅前のコンビニで買った焼き立てパンの昼食とする。雰囲気としてはおにぎりのほうがよかったかもしれないが。

公園から下り坂を進むと国民宿舎の良寛荘に出る。玉島では数少ない宿泊施設だが、ここに泊まっても玉島~水島の夜景を楽しめそうだ。

これで円通寺のお参りは終わりとして、また急な坂道を下って玉島の町に戻る。帰りのバスの時間まではまだまだ余裕がある・・・。

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