大原野神社の奥にある勝持寺。山門には「花の寺」の札がかかる。入山料が大人400円とある。まあこれはよいとして、「トイレのみ利用の方100円」とある。周囲のトレッキングコースの一部になっているからだろうが、トイレを利用したい人もそれなりにいるのだろうか。 受付が納経所も兼ねているので、入山料を払う時にバインダー式の朱印をいただく。
勝持寺は白鳳年間に天武天皇の勅願にて役行者が開いたとされているが、これは伝説の域のようで、寺として造営されたのは平安時代になってからのことと言われている。また隣接する大原野神社の別当寺としての位置づけもあり、多くの塔頭寺院も持っていたが、応仁の乱の兵火でほとんどが焼けてしまったという。そして時代が下り再興され、善峰寺のところでも出てきた桂昌院も深く帰依したとのことである。
受付を過ぎ、境内の木戸から入る。本堂は阿弥陀堂であるが、その横の瑠璃光殿への案内がある。
西国四十九薬師としての本尊薬師如来はそちらに祀られているとのことで、阿弥陀堂はそこそこにして、渡り廊下を伝って瑠璃光殿に向かう。頑丈な防火扉があり、その奥の扉を開ける。
そこでは「チーム薬師」が総出でお出迎えである。いずれも撮影禁止なので画像はないが、中央には鎌倉時代の作という本尊の薬師如来が秘仏ということなく鎮座する。左手に薬壺を持つが、右手でそれをちょいとつまもうとする姿がユニークだ。そして日光・月光菩薩、十二神将が前と横に陣取る。そして両端には仁王像が立つ。見たところ、「チーム薬師」の記念撮影にでも収まっているかのようである(実際、この瑠璃光殿の仏たちの絵葉書が売られている)。本堂の内陣の奥深く暗いところではなく、瑠璃光殿の照明が明るいところで間近に見られるというのがよい。「見仏記」の人たちも拝んだのだろうか。
手前には小野道風の筆による「勝持寺」の額、そして西行法師の像がある。この西行法師が、勝持寺が「花の寺」と呼ばれる由来となった人物である。西行は元々は佐藤義清という北面の武士だったが、後に出家して歌を詠みながら漂泊の旅の生活を送った。その出家をしたのがこの勝持寺とされ、一株の桜を植えて愛でたことから「花の寺」と呼ばれるようになったという。そういえば境内を回っても色とりどりの花が咲くという感じでもなかったが、「花の寺」とは「桜の寺」ということだったか。また紅葉のスポットでもあるようだが、これはまだ見頃には早かった。そうすると、何とも中途半端な時季に来てしまったものだ。まあ、これもサイコロである。
不動堂がある。その本尊は石に刻まれた不動明王で、弘法大師の作と伝えられている。お堂の裏手に回って直に見ることができる。
これで勝持寺を終えて、札所順としては逆になるが正法寺に向かう。先ほど通った大原野神社の鎮守の森を歩いて神社の参道に出てそのまま向かう。この時は全然気づかなかったのだが、帰宅後にネットを見ると、このルートを往復したことで、古くから存在する仁王門を見逃していたことがわかった。先ほど通った山門だけだろうと思っていたが、実は坂道をそのまま下ると仁王門があったのだ。大原野神社の境内を経由せずに車道を通っていたら目にしたはずである。
札所への交通機関についてはいろいろ調べる(それだけで一つの記事にすることもある)のに、札所に着いた後は見落とし、見越しが結構ある。まあ、これが自己流、私の札所めぐりなのかなと、後になって苦笑いする・・・。