およそ1ヶ月後の12月16日から、宇野~高松間の「宇高航路」である四国急行フェリーが休止することが決まった。
驚きなのは、単に一つの会社が運航を取りやめるということではなく、これで100年以上続いた宇高航路そのものが廃止になるということである。
宇高航路は1910年に旧国鉄の連絡船が就航したのが最初で、かつては他に宇高国道フェリー、本四フェリーもあり、本州と四国を結ぶ手段として賑わっていた。
ただ状況が変わったのは瀬戸大橋の開通。本州と四国を結ぶ航路は他にもいくつかのルートがあったが、少しずつ廃止。宇高航路も撤退が相次いだ。現在の四国急行フェリーも1日5往復と、利用者の減少と便数の減少が負の連鎖となっていた。
本州と四国を結ぶのは今は瀬戸大橋、明石海峡大橋&大鳴門橋、しまなみ海道が主力で、橋を渡る高速バスも多数運転されている。私が四国八十八所めぐりをした時も高速バスにはずいぶんお世話になったし、さまざまな交通機関で本州と四国を行き来したが、宇高航路という選択肢はなかった。乗船も5年半ほど前までさかのぼる(この時の記事はこちら)。今思えば八十八所めぐりの中に一度入れておけばよかったかなと。
これで本州と四国を結ぶ航路はどうなるかということだが、まだ和歌山~徳島、神戸~高松、大阪・神戸~新居浜・東予、広島~呉~松山、柳井~三津浜といった航路は健在だし、途中の島に向かう航路もまだまだある。宇野~高松についても、直行ルートはなくなるが、途中の小豆島や直島とのフェリーを乗り継げば行くことはできる。
その中でこれだけニュースになるのは、やはりかつての「連絡船」ルートがなくなるからだろう。瀬戸大橋が開通したのが1988年だから、宇高航路はちょうど平成の時代を通して衰退し、令和の始めに廃止ということになった。時代の移り変わりに重なる。
スケジュールの都合で「お別れ乗船」に行くのは難しいが、運航最後にはどのような光景が広がるのか、またニュースを追ってみたいと思う・・・。