西国三十三所の善峯寺からバスで灰方下車。今回の薬師めぐりである第41番の正法寺と第42番の勝持寺は西京区の同じエリアに位置する。地図で見ると灰方のバス停からは2キロくらい離れているか。この二つの寺の間にあるのが大原野神社である。
歩き出すと、先ほどの阪急バスとは違う灰方バス停の標識に出会う。京阪京都交通バスのもので、阪急の桂、JR京都駅からの系統のようだ。後でこの先歩いて通った南春日町には同じ敷地にバス停があり、さらには京都市交通局バスの標識もあった。バスの本数は1時間に1本の向日町からの阪急バスが多いが、京都市街からなら桂駅、京都駅からもアクセスできるというわけだ。これは現地で初めて知ったこと。
歩く途中に大原野神社と刻まれた石灯籠がある。神社の鳥居跡とある。元々は江戸時代に建てられた一の鳥居があったのだが、自動車事故で破損したため境内に移したという。
左手に京都縦貫自動車道が見え、その奥の山の中腹に建物が見える。先ほど訪ねた善峯寺の境内、奥の院である。
灰方から20分あまりで大原野神社の鳥居に出る。石の鳥居が建つが、これが移された一の鳥居だろうか。
この鳥居の向かい側に第41番の正法寺があるが、まずは由緒ありそうな大原野神社に参拝する。初めて来るところだ。まっすぐ伸びる参道を歩く。11月になったが紅葉にはまだまだ早いところだ。
2018年9月の台風21号では大原野神社の境内も被害があり、社殿の一部が損壊したり、大木が折れるなどあった。
手水場では鹿の像がお出迎え。その奥の社殿もどこかで見たような造りである。狛犬の代わりに一対の鹿が両側を護る。そう、奈良の春日大社である。
大原野神社は、桓武天皇が長岡京に遷都した際、藤原氏の氏神である春日大社を勧請したのが始まりで、平安時代に文徳天皇の手で社殿を造営した。そこで「京春日」との呼び方もある。この頃の皇室は藤原氏との外戚関係が強まりつつある時期で、藤原氏も、女の子が生まれるとその子が皇后や中宮になれるよう大原野神社に祈願し、それが叶うと改めて参詣するというのが通例になったそうだ。また紫式部も大原野神社を深く崇めていて、『源氏物語』でも帝の行幸の様子を描いている。都からほどよく離れていて、レジャースポットのような位置付けでもあったのだろう。
時季柄、七五三のご祈祷に来る家族連れが目立つ。この時代、皇后や中宮になれるよう祈願することはないだろうが(いや、今の悠仁親王の将来の皇后になる可能性は0ではない)、子どもの健やかな成長を願うのはいつの時代も同じである。
先にも触れたが、境内には昨年の台風被害の跡も残る。
このまま参道を引き返して正法寺に向かおうとすると、「勝持寺(花の寺)近道」という札があり、山道を指している。これを抜けると7~8分で着くとある。神社の鎮守の森を抜けるようだ。最後は急な上り坂である。
やって来た勝持寺は、「花の寺」というのを前面に出している。さてこの時季、花はあるだろうか。ここまでの道のりで、紅葉にはまだまだ早いことは感じているが・・・。