まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第20番「善峯寺」~西国三十三所めぐり3巡目・6(桂昌院と西山門跡)

2019年11月07日 | 西国三十三所

天候がよいためか、また連休中ということもあり、善峯寺を訪ねるクルマも多いようだ。

山門にて入山料を納めて、早速正面の本堂に向かう。本堂の左手の一角が納経所だが、朱印を求める行列ができていて(とはいっても10人程度だが)、ちょうど正面の拝み所まで伸びている。

幸い、善峯寺は本堂の中に上がって自由にお参りができるので、靴を脱いで畳敷に上がる。通常は秘仏である本尊千手観音は、善峯寺を開いた源算上人の手によるという。

本堂の中でお勤めの後、私も朱印の列に加わる。待ち時間が少し長かったが順番となり、先達用の納経軸への重ね印と、西国開創1300年の記念印がまだだったので合わせていただく。西国観音曼陀羅の八角形の台紙を出すと、ここまでは書き置きと交換というところが多かったが、この時はそのまま墨書していただいた。墨書にするとにじむので、少しの時間だがドライヤーを当てる必要がある。ひょっとしたら持参の台紙と書き置きを交換するのは、この手間を省くための札所の配慮なのかもしれない。先日の西国先達研修会での連絡で、この八角形の台紙が先達への無料進呈と一般への販売を合わせるとすでに3000セットほど出ているとあった。これを得るために西国をもう一度回ろうという動機づけには一定の効果があるということか。1枚の朱印墨書は500円なのでコンプリートすると結構な値段だが、それでも揃えて額に飾る人はすでにそれなりの数いることだろう。かく言う私もそれを目指す中の一人だ。

本堂に隣接する寺宝館が秋の特別展示として、10月と11月の土日祝日に開放されている。この後帰りのバスまでに境内を回る時間がちょっと気になるが、せっかくの機会なので見学する。

善峯寺は戦乱の中で一時廃れたが、江戸中期に桂昌院(5代将軍綱吉の母)により再興された歴史がある。境内の建物にも桂昌院の寄進によるものが多い。非常に仏教への帰依が深い人だった。館内には桂昌院と綱吉の肖像画とともに、桂昌院が使っていたという本式の数珠や、位牌も展示されている。

寺宝館は文殊堂でもあり、正面奥には文殊菩薩や聖観音、不動明王の像が祀られている。ここで法要を行うこともあるのだろう。また今回は企画展として、令和に改元された記念ということで、皇室と善峯寺の関わりについて紹介されていた。善峯寺という名前は平安中期に後一条天皇の勅願寺となったことからついたが、その後は京都の青蓮院門跡(青不動を祀る)との関係が強く、歴代の住職である法親王の中には善峯寺にも住み、そのまま葬られた人もいるそうだ。そのため善峯寺は「西山門跡」とも呼ぶそうである。桂昌院の印象が強かったのだが、門跡寺院の歴史もあったとは私は今まで気づかなかった。

ここから境内を回る。帰りのバスが12時24分発で、ちょっと時間が気になるので駆け足で回る。その中でポイントの一つは、樹齢600年以上と言われる遊龍の松。

さらには石造の釈迦如来像が真横から拝める釈迦堂。

そして奥の院にあたる薬師堂である。本堂から薬師堂に至る参道、というより遊歩道と呼んでもいいだろう、ここから見る京都の街並み、東山、比叡の山々というのも善峯寺の売りである。昼間の青空の下の景色は素晴らしい。なお紅葉の時季、そして元旦には特別に朝6時半に開門するという。澄んだ空気の下、知る人ぞ知る初日の出スポットのようだ。

バスの時間も近いので奥の院もすぐの折り返しとなり、12時24分発のバスに何とか間に合う。急な下り坂をエンジンブレーキと助手の手でクリアして、バスの系統が分かれる灰方まで下りて来た。ここからは西国四十九薬師めぐりにチェンジして、2つの札所に向かう・・・。

コメント