まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第16回中国観音霊場めぐり~三江線の廃線跡をたどる・4

2020年11月27日 | 中国観音霊場

中国観音霊場めぐりで出雲に行くのにいったん石見の江津に行くドライブ。三江線の廃線跡をたどるのも後半に入っている。

石見川本に到着。小さいながらこの辺りの中心駅で、現在も本数は少ないながら江津からのバスが発着するし、これも本数が少ないながら石見銀山を経て大田市まで行くバスも出ている。

こちらも駅舎がそのまま残されている。それのみならず、2020年の夏には駅舎に島根中央信用金庫の川本支店が移転してきた。日曜日なので窓口は閉まっていたがATMがあるし、駅舎の窓にも「中央しんきん」のロゴが入っている。

その代わりというか、石見川本の駅名標や改札口が残されているし、待合室もバスの待合室として活用されている。駅舎の維持費のいくらかも中央しんきんから出ているのだろう。そのためか、ホームもかっちりとした形で残されている。

続いては隣の因原に向かう。駅のすぐ横に道の駅があり、その横を抜けるようにして到着。駅舎も残されているが、その中身は「三江線運輸(有)因原営業所」とある。

三江線運輸とは何とも仰々しい名前だが、これはかつての通運事業の名残である。私の勤務先企業とも関係あることで、当初は三江線でも鉄道貨物輸送が行われていて、通運の営業所もあった。後に鉄道貨物が廃止となると貨物自動車の会社となり、この一帯の業務を請け負う形でさまざまなものの輸送を手掛けるようになった。その会社が路線名から取った三江線運輸。当の三江線はなくなったが、歴史を受け継ぐ意味でこの社名は残してほしいものである。

ここからまた細道を行く。江の川、県道、三江線の線路、そして崖が密接する区間で、軽自動車で何とかクリアする。トンネルのすぐ脇も通る。

石見川越に着く。川越郵便局の建物は健在だが、その隣にあったと思われる駅舎は更地になっている。

この辺りで空がどんよりとして来て、雨粒も落ちるようになった。確かに22日の島根県の天気予報は晴れのち雨だった。

川戸に到着。かつての桜江町(現在は江津市)の中心だったところで、こちらも駅舎がそのまま保存されている。駅舎内には三江線のかつての写真も飾られている。

この川戸あたりは、1972年7月の豪雨で大きな被害を受けたという。当時の様子を報じた写真も残されている。駅前にはその災害からの復興を記念した石碑も建てられている。しかし、近いところでは2018年の西日本豪雨での被害、そして今年2020年7月の豪雨でも氾濫があったという。改めて、江の川というのはこの地の恵みであるとともに、人々を悩ませる存在であったとも言える。いかに江の川と共存していくか。

続いては隣の川平。こちらも駅舎が残されており、駅周辺も再整備の工事が進んでいる。1972年の豪雨での水位も示されている。

かつては駅前に桜の木があったそうだが、駅前を回転場として整備するために伐採され、代わりに周辺地図の模型が設置されている。「列車からバスへ 川平駅前整備事業」の標札もある。三江線の歴史は大切にしつつも、現実のことを考えるとバスを活性化させないとというところだろう。

ここまで来ると終点の江津も近い。県道もこのまま江津までつながっているようで、道なりに走る。

その中に、「人麻呂渡し(江西駅)」という案内板がある。「駅」という文字を見ると敏感になっているところだが、かつての山陰道、現在のように鉄道や国道の橋もかかっていない中で、ここに渡し舟があったそうである。渡し舟じたいは昭和の初期まで残っていたようで、晩年を石見で過ごした柿本人麻呂にあやかって「人麻呂渡し」との名がついたという。

江の川も下流になった。遠くには製紙会社の煙突も見える。

そのまま国道9号線まで出て江津に到着。時刻は13時で、三次を出てから途中立ち寄りなど含めてちょうど5時間が経った。長いドライブになった。さまざまなものを目にしたが、結構疲れた。もう一度たどりたいかと言われるとどうだろうか・・・。

ここからは宿泊地の出雲市まで、今度は国道9号線をたどる。この先、今度は雨が気になるように・・・。

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