まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

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第5番「元興寺」~西国四十九薬師めぐり・24(ならまち散策)

2020年11月14日 | 西国四十九薬師

興福寺から猿沢池、そしてならまちに差し掛かり、その中にある元興寺に着く。ここも世界遺産の一つである。

元興寺は町の景色に溶け込んだ感じの寺だが、その歴史は古い。前身は蘇我馬子が飛鳥に建てた法興寺(飛鳥寺)で、平城京遷都にともなって一緒に移され、元興寺に名前を改めた。南都七大寺の一つとして広大な伽藍を持ち、学問の中心としても栄えた。現在のならまちエリアも元々は元興寺の伽藍があったところである。

しかし、平安時代となり政府や貴族の力が衰え、他の宗派も興るようになると元興寺の勢力も衰えた。その中で残ったのが、奈良時代にこの寺の学僧だった智光が手掛けた曼荼羅。智光が感得した浄土世界が描かれたものだが、平安~鎌倉時代にかけて広まった浄土信仰により、かつての政府や貴族の保護下から、庶民の信仰を集めるようになった。現在残る建物は極楽坊と呼ばれるお堂で、智光の曼荼羅が寺の本尊となっている。

極楽坊本堂に入る。西から東を向いているのは、浄土世界の現れである。建物の中央に本尊曼荼羅その他の仏像が祀られ、それを畳敷きの外陣が囲む形である。内陣の周囲を念仏を唱えながら回る行道が行われたという。

外に出て、本堂に続く禅堂を眺める。一部、日本最古とされる飛鳥時代からの瓦が残されている。上部が細くて下部が広い丸瓦で、細いほうを覆うように下から上へ重ねる「行基葺」と呼ばれる手法で重ねられている。寺の衰退もある中で現在までよく残ったものだ。

さて、元興寺は西国四十九薬師めぐりの札所である。ただ極楽坊の本尊は智光曼荼羅だし、お堂の中に薬師如来は祀られていなかった。それで札所とはどういうことなのかと思うが、その答えは収蔵庫である法輪館にある(中は撮影禁止のため画像なし)。

元興寺の拝観料は600円だが、その内訳として法輪館のウエイトが結構高いように思う。まず入ると正面に安置されているのが、五重小塔。奈良時代に造られたものとされ、当時各地に建てられた国分寺の五重塔の10分の1サイズの模型と言われている。ただ模型とはいえ、奈良時代から現存する五重塔としては唯一のものであり、現在は国宝に指定されている。

その脇に阿弥陀如来が祀られ、さらにその手前でさりげなく祀られているのが薬師如来である。その後ろに「第5番 元興寺」の札が掲げられ、西国四十九薬師めぐりのパンフレットが置かれている。薬師如来は鎌倉時代の制作とされるが、特に国宝や重要文化財に指定されているわけでもない。奈良時代のいわば「官製寺院」のため元々は薬師如来が本尊だった・・ということならわからないでもないが、西国四十九薬師めぐりは今から30年前に発足した霊場で、その頃少しずつ人気が出始めたならまちブームに乗っかろうという思惑もあったのかな。

一方で重要文化財に指定されている(別に、それだけで文化財としての優劣をいうのではないが)のは、鎌倉時代に造られた弘法大師像や聖徳太子像。鎌倉時代になると浄土信仰のほかに弘法大師や聖徳太子信仰も取り込むようになったと言われる。後で訪ねた史料室では、聖徳太子像を造るための勧進を募った史料も残されている。

また特別展示として、智光曼荼羅を模写した鎌倉時代の板絵が公開されている。

他にも元興寺には庶民信仰のさまざまな史料が残されており、これらの整理、保存のために元興寺文化財研究所が設けられている。現在は元興寺に限らず文化財保護のさまざまな取り組みを行っているが、その一つに「復元模造」というのがある。復元模造とは初めて聞く言葉だが、最新の技術や材料を用いて元々の色や形の情報を再現するレプリカではなく、当時の技法や材料を用いて、本来の姿を再現するものという。単に物として後世に残すのではなく、技術も後世に伝えられないかということを模索している。

こちらも特別展示が行われていて、展示品には各地の古墳から出土した太刀や武具、装飾物などがある。当時こうした材料、工法で作られたのではないかと推測しながらの復元で、「作り手のおもいをもこめて制作してきた」品々が並ぶ。

受付時にお願いしていた朱印をいただき、ここまで午前中で3ヶ所を回ることができた。別に急いでいるわけではないが、順調に進んでいて次は第6番の新薬師寺に向かう。1.5キロほど離れているが、昼食は後回しにしてとりあえず先に歩いて向かうことにする。

ならまちの中を通る。最近は奈良の観光スポットとして浸透していて、古民家を利用したさまざまな店がある。本来ならかつての元興寺の境内だったところに建つおしゃれな店でランチなどたしなむところだろうが、値段もそれなりにするようだし、ちょうど昼時で混雑している。

そんな中で、庚申信仰の身代わり猿をぶら下げた家もちらほら見かける。

そして庚申堂。

ならまちを過ぎると、高畑町、奈良教育大学の横をダラダラとした上り坂が続く。最後は奈良市写真美術館の前から回り込む形で、この日最後となる新薬師寺に到着した・・・。

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