まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第12回中国四十九薬師めぐり~第19番「薬師寺」(しまなみの穏やかな寺へ)

2022年06月21日 | 中国四十九薬師

中国四十九薬師めぐりは因島から生口島に入る。これから目指す第19番の薬師寺は島の南部にある。生口島北インターから時計回りに走る。

しまなみ海道のルートでもある生口島はサイクリストにも人気で、時折そうした人ともすれ違う。かと思えば、ママチャリの荷台に段ボールをくくりつけて走るのもたまに見かける。そうした人たちの顔を見るとやはり東南アジア系で、こういうところにも(いや、こういう島だからこそ)技能実習生が進出しているのかなと思う。段ボールには買い出しの何かが入っているのかな。

左手に岩城島を見るうち、薬師寺の案内板が出る。それに従って進み、少し上ったところに薬師寺の山門がある。ちょうど岩城島を向かいに望むことができる。

「中国四十九薬師発祥の地」と薬壺の形をした石碑がある。発足したのは1997年のことだが、ここが発祥の地というのは、ここ薬師寺と、先ほど訪ねた光明寺、見性寺の3つの寺が中心となって創設したことによるとある。

石造の仁王が並ぶ山門をくぐる。薬師寺の開創は江戸時代前期とされているが、境内には鎌倉時代のものとされる七重石塔婆もある。

まずは正面の本堂へ。こちらも扉が開き、中でのお勤めとなる。襖の向こうからは寺の人らしい話し声が聞こえてくる中で、何だかおじゃましているような感じだが・・。

そして本堂の外の納経所へ。こちらは、窓を開けてセルフで綴じ込み式の朱印を受け取る方式だ。

本堂の横には大師堂がある。前には「人生は巡礼」と書かれた頭陀袋をぶら下げた弘法大師像が建つ。ここに、「一日四国霊場第一番 薬師寺」の立て札がある。先ほどの因島八十八ヶ所とはまた違った札所があるようだ。

案内板によると、大正時代、当時の薬師寺の住職が信徒数名とともに四国八十八ヶ所めぐりをした際に、何とかして容易に巡拝できる霊場を創設したいと思い、各札所の承諾を得て砂石をいただき、昭和天皇の即位大典の記念としてこの地に八十八ヶ所の札所を設けたという。ゆっくり歩いても3時間ほどで回れるということで、「一日四国」と命名したという。

改めて、瀬戸内の島の人たちの「本四国」への思いの歴史を感じる。私もいずれどこかの島をめぐってみようかな。

さてこれで当初の目的の因島、生口島の札所を回ったが、この先どうするか。生口島には他にも観光スポットがあるし、いっそのこと多々羅大橋から愛媛県の大島に渡るのもよい。ただ、この日は夕方に広島市内に戻っておく必要があるため、それらのスポットはまたの機会に取っておくことにして、本州に戻ることにする。

時計回りに進み、時折景色のよいところでクルマを停めつつ、多々羅大橋に近づく。

多々羅大橋は私も以前瀬戸田からレンタサイクルで渡ったことがあるが、こうして下から見上げる分にはいいが、橋の上に立つと(頑丈な橋であるとわかっていても)結構ビビったのを覚えている。

島の北部に回り、瀬戸田の町並みを過ぎて生口島北インターに着く。生口島は島を一周したということで足跡にして、そのまま因島方向に戻る。

帰りはいったん向島で下車し、向島の町中を過ぎて尾道大橋経由で本土に戻る。

昼食を取るためにそのまま2号線で三原市街に入り、定食屋の「やよい軒」で食事とする。これから広島市内に戻るにあたり、前日の広島新四国八十八ヶ所の続きとして第40番・竹林寺に向かうか(この日は天気は申し分なし)、あるいは中国四十九薬師を進めるとして安芸津の第20番・浄福寺に向かうか。鉄道なら、三原から山陽線に乗るか、呉線に乗るかの違いである。

・・・その中で選んだのは・・・呉線。

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