6月26日、外は雲が広がるものの雨は降っていない。福岡南部も真夏日の予報が出ているが、雨に遭わずに九州八十八ヶ所百八霊場めぐりができそうだ。
宿泊した甘木駅前の「ホテルグランスパアベニュー」で6時半からバイキング形式での朝食をとる。ちなみに朝風呂もこの時間からの営業だ。前日チェックイン後、本日の行程を組み直した当初は、朝も温泉に浸かり、朝食も取ってから8時半頃に出発するつもりで路線バスや鉄道の乗り継ぎを考えていた。ゆったりできるなと思っていたのだが、改めて地図を見て、第6番の南淋寺が最寄りのバス停から思ったより離れていることが判明した。そのためもう一度行程を組み直すことになり、出発も早めて最初に南淋寺に行くことにした。バス停から歩くなら早い時間のほうがまだ涼しいだろうし、交通面で一番難しいところを先に回っておけば、後はどうにか調整がつく。
ということで、甘木バスセンター7時31分発の杷木行きに乗ることにした。当初の予定より1時間前倒しのうえ、このバスセンターじだい甘木駅に隣接しているわけではなく、駅から徒歩7~8分のところにある。いったん甘木鉄道甘木駅のコインロッカーに荷物を預け、甘木バスセンターよりも若干近い朝倉総合支所のバス停に向かう。甘木の町の中心は駅前よりもこの一帯のようだ。かつて福岡藩と天領日田を結ぶ朝倉街道沿いである。
そのバスセンターだが、元々は鉄筋コンクリートの建物があり、各方面に向けて西鉄バスが運行されていた(もっと昔は軽便鉄道の駅だったという)。しかし、西鉄バスが甘木地区の運行を甘木観光バスに譲渡するなど路線も縮小され、プラットホームの乗り場に待合室がある造りである。これから乗るのはJR二日市、朝倉街道から杷木、原鶴温泉を結ぶ西鉄バスで、先客もそこそこいる。
朝倉街道を20分近く走り、九州八十八ヶ所の公式サイトで最寄りとあった比良松の一つ手前の比良松中学校で下車する。どちらから行っても同じくらいの距離だ。
少し行った比良松の交差点に「南淋密寺 3キロ」の看板がある。さすがに、3キロを徒歩15分で行くのは無理な話。ただ、そもそも徒歩で行こうという人はどのくらいいるのだろうか。私のスタンスとして、行けるところはできる限り公共交通機関で行こうというのがあり、今回は甘木近辺に札所が固まっていることもあってバスや鉄道の組み合わせにいろいろうなったのだが、南淋寺だけがポツンとあり、かつ他の札所にも限られた時間の中で行かなければ・・・となると、間違いなくレンタカーを選択したところ。
交差点を曲がって別の県道に出る。近くの橋の修復工事が進められている。ここ朝倉市は2017年の九州北部豪雨で大きな被害を受けたところで、河川の改修はまだまだ行われているのだろう。広島市郊外もこのところ豪雨災害に見舞われることが多く、似たような状況のところも結構見かける。
県道から分かれ、巨峰や桃の畑が目立つ中を歩く。幸い、寺に着くまでに急な上り坂はなさそうで、ゆったりした道が続く。それだけでも気分的にまだ楽だ。
バス停から30分あまりで南淋寺の石標に出る。集落の仲を進むが、寺はもう少し奥にあるようだ。途中に、八坂というコミュニティバスの停留所がある。ただし日曜・祝日は運転なし。
総門跡を示す石標のところに、法面工事中の看板がある。奥の斜面がコンクリートで覆われている。これも九州北部豪雨からの復旧作業のようだ。とにかく斜面を固めて、崩れることがないようと言わんばかりの意志を感じる。
山門に着き、石段を上がって境内に出る。ここからも法面工事のコンクリートが目立つ。その前には大師堂、四国八十八ヶ所のお砂踏みの石像に屋根が掛けられているが、真新しく見える。
南淋寺は伝教大師最澄が開いたとされる。遣唐使船で唐に渡った時、風雨に遭って入唐が危ぶまれた。その時最澄は、「無事に唐に渡ることができれば、お礼に仏像を刻んで衆生を救う」と祈り、無事に入唐できた。最澄は帰国後、誓い通り7体の薬師如来を刻み、その一体を仏のお告げによりこの朝倉に祀った。当初は「南林寺」という名前だったが、たびたび河川の氾濫や兵火に遭い、現在の八坂の地に移された。その時、林の字の横にサンズイをつけて「南淋寺」となった。火事に遭わないよう、林に水を注げ・・というお告げがあったとか。これも文字遊びである。最澄が開いた寺だが、時代の移り変わりの中で真言宗に変わったという。
本堂、薬師堂、大師堂の扉がそれぞれ閉まっており、外からのお勤めとする。南淋寺は九州四十九薬師霊場の札所でもある。九州薬師・・・いやいや、中国四十九薬師もまだ道半ばなのに、とても手を出す段階ではありまへんで。
後でわかったことだが、2017年の九州北部豪雨では朝倉市でも多くの犠牲が出たが、寺の裏山で土砂崩れが発生し、境内にも土砂が流れ込んだという。この時に出た話として、南淋寺に残されている古文書が注目されたという。それは300年ほど前に起きた水害についての記録だが、そこに記された地名や被害状況が2017年の九州北部豪雨と酷似していたという。ただ、地元住民の中にはかつてこの地に大きな水害があったことを知らなかったという人も多かったという。そのため、こうした古文書や過去の資料を受け継いで、地域の人たちに災害リスクを意識させる、風化させない取り組みが必要ではないかという声も出るようになった。確かに、広島でも(ごく一部かもしれないが)同じような取り組みが行われている。
こういう災害に遭った寺だとは、私も現地に来て法面補修を見て初めて知ったことである。現在は映像などでも記録が残る時代であり、災害というのは風化させず、教訓を受け継いでいく必要があると感じた。
本堂が閉まっていたので納経所にて朱印をいただく。待っている間、玄関にエアコンの冷気が流れてきて、しばし涼む。
再び3キロの道を歩き、今度は比良松のバス停に戻る。ここからは甘木バスセンターに戻り、甘木観光バスに乗り継いで前日参詣を断念した第5番の大師寺を目指すことに・・・。