山寺から乗った「観光駅馬車」。その昔は本物の馬車が通ったという山寺街道を走る。周りにさくらんぼの農園が広がる。以前5月の連休に奥羽線をたどったことがあるのだが、ちょうど桜の花が咲いていた。その時「さくらんぼの産地では桜は花を愛でるのではなく、実を食べるものではないか」と感じたものだ。その一角に観光農園があり、山寺を出るときに乗っていた2人連れはここで下車。帰り馬に安くのったような心持で天童の市街を目指す。御苦楽園とか、出羽桜美術館で停車するが乗客はいない。
そんな中、小洒落な洋館の前に停まる。旧東村山郡の役所の建物という。ここで運転手が「明治12年の建物といいます。写真でも撮ってください」と声をかけてくれる。お言葉に甘えてシャッターを切る。天童駅から徒歩だと20分くらいかかるとかいうが、こういう建物があったとは全然知らなかった。山寺から30分ほどで天童駅着。時間帯にもよるのだろうが、このショートカットはなかなかお得なひと時であった。
さて天童駅。新幹線の停まる駅らしく小洒落た感じだ。入り口のところをよく見れば将棋の駒の形に見える。駅前広場の歩道のタイルには、詰め将棋の図面が描かれている。しばしそれを眺め、頭の中であーでもないこーでもないとやる。こんなのは初級で、将棋を本格的にやったことのある人ならすぐに解けるのだろうが、将棋といえばはさみ将棋か「金ころがし(地方によって呼び方はいろいろあるのだろうが、将棋板をすごろくのように回り、歩兵から一周するごとに香車、桂馬・・・と上がり、最後は王将で上がりというやつ)」とか山くずしで、いわゆる本将棋はからきしの私にとっては難しい。何せ王手飛車取りをかけられたら、飛車のほうを逃がすようなヤツですから・・・。
外で詰め将棋を解いていても暑いだけなので、駅の1階に設けられた天童市将棋資料館へ。ここでは天童に伝わる工芸品の将棋についてさまざまなことを教えてくれるスポット。将棋の原形というのがインドのチャトランガという遊戯で、それが西洋に伝わりチェスとなり、東南アジアや中国に伝わり、やがて日本にも入ってきたという。その盤の形やルールは競技ごとにバラバラなのだが、最後に相手の大将というか、シンボルというか、それを獲得すれば勝利というのはどの将棋にも共通するもののようだ。
日本にやってきた将棋だが、昔は駒の数も多くいろんな「駒の位」もあったようで、一人の持ち駒が50枚以上とか、盤面をビッチリと駒が覆っていて「これなら数対数の力勝負やな」と思わせるものも。このほかにも明治以降の「軍人将棋」とか、さまざまの展示があり楽しめる。
資料館の後半は、工芸品としての将棋の駒。かつては武士の手内職だった将棋の駒。それが木地をつくる「木地師」、それに字を書く「書き師」、字を彫る「彫り師」、彫った字に漆を盛り上げる「盛り上げ師」という、これは漆器工芸と同じようなさまざまな工程を分業制で製作した工芸品であることがわかる。木の種類や各技師の流派ごとの特徴ある作品を見るにつけ、うなるばかりである。この後で駅内の物産センターで売りに出されていた将棋盤や駒を見たが、やはり将棋の愛好者が買い求めるのだろう。プロ野球選手がバットのミリ単位のつくりにこだわるように、プロの棋士も「あの名工が彫った駒で戦う」というこだわりがあるのだろうか。
さすがにお土産で駒一組とか、将棋盤一枚を買うのはためらわれるが、展示スペースの工房を再現したコーナーに「記念にお持ち帰りください」と、文字の入っていない駒が置かれていた。手にとってみるが手触りが違う。さらさらしているというのかな。
頭の中に村田英雄の「王将」と、北島三郎の「歩」を浮かべながら見学したひと時。なかなか充実したものだ・・・。
さて、ここからどうするか。天童までショートカットしたということで、この先新庄まで北上して、陸羽東線経由で仙台に戻るか、あるいは陸羽西線で日本海に出るか、はたまた山形方面に戻り、米沢から米坂線にするか、福島まで下りてしまうか・・・。結局、天童の駅で酒田~新潟の「きらきらうえつ」の指定席が取れたこともあり、新庄経由で日本海に出ることにする。
新庄からは陸羽西線。観光客らしい姿の客もいるがガラガラである。向かいあわせのシートに足を投げ出し、暑い中歩いたのでしばし涼む。実にいい天気だ。水田の向こうにはめったに姿を現さない鳥海山を眺め、次には最上川である。川下りの船も見るが、やはり降水量が少ないのだろう、川の流れも大人しく、浅いところが増えているように見える。今日はこのまま進み、余目に出て羽越線の酒田行きに乗り換える。
その余目の駅に進入するところで、私の斜め後ろにいたおばさま3人組が騒ぎ出す。様子では、最上川下りの玄関駅である古口で下車し、その後草薙温泉に行くようだったが、おしゃべりに夢中になり見事な乗り過ごしである。大体、「川下ってる。船がいるね」って言ってたじゃない・・・・。旅馴れた様子の皆さんなのに、それではいかんな。
幸いそれほど待つことなく酒田からの列車が来るようで、おばさま方を残して酒田行きの列車に乗り継ぐ。途中で渡るは最上川橋梁。あの、未だにJR東日本がホームページのトップに載せている列車脱線事故の現場である。前にも書いたが、より多くの客へのお詫びをしなければいけない事故が多発しているのでは・・・?と思いたくなるのだが、ホームページのこの位置だけは変える気がないみたいだ。
酒田の町は1年前、「きらきらうえつ」乗車時にも訪れた町だが、今日も2時間弱の時間がある。駅構内の観光案内所で無料の自転車を借り、暑い中酒田の中心部に向けてペダルを漕ぎ出す・・・・。(続く)