「西暦645年=大化の改新」というのは、西暦1600年に関ヶ原の合戦があったのと並んで、日本の歴史のエポック・メーキングな出来事である。何せ、あの「アホの坂田師匠」でも、この二つの西暦は覚えている(まあ、漫才のネタだろうが・・・)くらいのものだ。「大化の改新、虫殺し(645ろし)」というのは、日本史の暗記本でおなじみのフレーズ。
大化の改新といえば、中大兄皇子(天智天皇)と中臣(藤原)鎌足が、当時権勢を振るっていた蘇我入鹿を倒し、天皇中心の政治を確立した・・・というのが、教科書で語られ、まさしく「虫殺し」とともに教えられた出来事である。ただ、この大化の改新についてさまざまな視点から疑問を投げかけ、「真実はこうではなかったのか」と論じる一冊がある。
それが、関裕二著「「入鹿と鎌足」謎と真説」(学研M文庫)。この人には「大化改新の謎」(PHP文庫)という作品もあり、その中で語っていることとほぼ同じなのだが、いずれも日本書紀をはじめとした「正史」に真っ向から考察を行い、客観的に当時の状況を見つめたうえでそれらを論破するというものである。
その内容をくどくど語る場ではないのだが、著者の考えでは当時の「改革派=蘇我宗本家、蘇我入鹿、孝徳天皇」に対し、「守旧派=中大兄皇子、中臣鎌足」とし、なおかつ「中臣鎌足=当時日本に亡命していた百済の王子」という図式を説いている。作品の中で著者があれこれ検証しているが、その一つ一つが「なるほどな」と思わせるものだ。これまでの古代史観というのは「正史」とされる「日本書紀」により形成されたものといってもいいが、その「正史」というのが、誰にとって都合のよい「正史」だったのかというのである。「正史」というのは「正しい歴史」ではなく、「その時の為政者にとって正しい、自分の系統が正しいものであるという歴史」との考えもあるようだし・・・。
それは、「足利尊氏は天皇をないがしろにした大逆賊で、楠木正成は忠臣である」という、戦前の日本の歴史観の論法となんら変わりないのではないか。ましてや、本当にどっちが正しいのかわからんでしょう。
この一冊を読んで、思い浮かべたのが先の久間防衛大臣の「原爆投下はしょうがない」発言。まあ、この一節だけが取り上げられているので、どういう経緯があって(というより、たまに政治家が先の戦争について「暴言」と叩かれる発言をするが、あれって、誰がどういう水の向け方をしてそういう発言になったかというのは伝えられないね。その前後の状況がわからないと、よしあしの判断ができないのに・・・)そのような発言に至ったのかはわからないが。それも歴史観だろう。いや、あの当時の日本軍なら、原爆が落とされない限り「一億玉砕」を掲げ続け、それこそ本土でのドロ沼化した戦線になったかもしれないし、ソ連が北海道を占領したかもしれない。確かに降伏勧告を渋ったがために原爆投下につながったという見方もある(もっと早い段階であれば、沖縄が陥落した段階で降伏するという選択肢もあっただろうし、第一日本が戦争に突入することもなかったはずという見方もある)。
だから久間大臣の発言が100%間違っているというようには思わないのだが、現職の閣僚として、現政府の公式見解が出ている中で、自分の感情をそのまま表すのは配慮が足りないといわれても仕方がないだろう。時と立場をわきまえないとね。せめて大臣をやっている間は、それは封印しないといけなかったのでは。いや、一介のじじいが自分の意見として「しょうがない」ということは、否定されるものではないし、その発言により日本国民の中にも「しょうがなかったのかな」と感じる人は少なからずいると思うけどな・・・。
それだけ、歴史というものは今後もっともっと深く検証することが求められている学問なのだな・・・と改めて感じた次第である。