まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

列車のレストランと客車列車

2007年07月20日 | 旅行記C・関東甲信越

わたらせ渓谷鉄道の旅の続き。神戸と書いて「ごうど」と呼ぶ駅に降りる。この駅舎も昔ながらの木造駅舎である。ちょうど団体のバスが乗り付けており、駅舎をバックに写真を撮ったり、駅舎内に設けられた特産品の売店をのぞいたりしている。私も、鹿肉のジャーキーなどというものを購入。

P7162927この駅が賑わっているわけ。近くに富弘美術館があることもあるだろうが、お目当てはこの駅のホームにある「列車のレストラン 清流」での昼食だろう。元々東武特急として走っていた車両を改装したレストラン。間に受付カウンターと厨房を挟んだ「2両編成」で、そのうち1両は団体予約用とある。先ほどバスで乗り付けていたのは、おそらく足尾銅山観光、富弘美術館、列車レストラン、そしてトロッコ列車といったところを組み合わせたツアーの客だろう。

P7162928昼時であったが一般席のほうは空席があり、きのこカレーに生ビールで昼食。座席も昔の車両のままで、駅のホームの佇まいを見ながらの食事というのはいいものだ。あくまで普通の客室だが、今やほとんどなじみのなくなった「食堂車」という単語を連想させる。

さて腹もできたところで、またまた間藤行きに乗る。あじさいの駅の沢入から先は今日何回目だろうか。そして再び間藤駅まで行き、朝に比べて観光客の姿が増えているのを見てから折り返し、2度目の足尾駅下車。20分後にトロッコ列車が足尾を始発として出発するので、始発から乗ってしまおうといいうものだ。

P7162960P7162961そのトロッコ列車、まだ間藤方面のホームに停まっていたが、先ほど乗ってきた列車が行ってしまうと、機関車に引っ張られて間藤方面に引き上げる。しばらくすると駅舎のある桐生方面のホームに客車が先頭となってやって来た。ここで機関車が切り離され、間藤方面へ。そして反対側の線路を伝って入れ換わり、桐生方面へ。最後にじわりじわりと近づいて、客車と連結。こうした入れ換え風景を見る機会ってそうあるものではない。

P7162965こうしてつながったトロッコ列車「わたらせ渓谷号」。牽引するDE10は、パンフレットにあるわたらせ渓谷鉄道カラーの茶色ではなく、国鉄時代の赤と白の原色。4両の客車の中2両がトロッコ型車両で、その前後は国鉄の12系客車。これが足尾駅の古い駅舎とよくなじんでいる。

P716299312系客車に乗るなんて本当何年ぶりだろうか。塗装は渓谷鉄道カラーだが内装は国鉄時代そのもの。急行型という、一般のボックス席より若干広めのシートに座って懐かしさを感じる。トロッコ型車両より、客車車両に出会えたことのほうがうれしい・・・? なので、足尾出発時にはこちらに乗る。こういう列車ならばトロッコ型車両に乗るのが当然で、最後部の車両に乗っているのは私一人。車掌も「何でこっちに乗っているの?」という顔をして通り過ぎる。

客車列車独特の衝撃が来て静かに発車。この発車感というのも久しぶりだ。

P7162976P7162978次の通洞からは旅行社の旗を持った団体ご一行が乗り込んでくる。もちろんトロッコ型車両へと案内される。さてここからは渡良瀬川の渓谷に沿うということで、私も荷物はそのままにしてカメラだけ持ってトロッコ型車両に移る。やはりこちらの乗り心地も試さないとね。元々カーブの多い区間を慎重に走る。だが観光列車としてはそのほうがよいのだ。おかげで、ゆったりとした気分で渓谷の眺めを楽しむことができる。これまで通った気動車がせっかちに見えてしまう。

沢入着。交換のためしばし停車するので、一度外に出る。あじさいと客車列車の組み合わせ。いい時期に訪れたなと思う。

P7162984P7162988この駅でやっていたあじさい祭りもそろそろ店じまいのようで、地元の人たちが焼きそばやら食べ物を売りにくる。中にはあじさいの苗というのもあり、「これタダでいいよ」という言葉に次々に団体客から手が伸びる。おおっ、こういう列車の窓越しのやり取りも今やそう見られるものではないぞ。

ここからトンネルに入るということもあり、トロッコ型車両を離れて客車席に戻り、ボックスに足を投げ出す。久しぶりに「客車列車の旅」を満喫する。あまり長いことトンネルに入っていたためか、団体客の何人かがこちらに避難してくる。そうした団体客も次の神戸で下車。すると今度は別の団体客が乗ってくる。なるほど、1日1往復だからツアー同士で区間を区切って乗っているわけか。わたらせ渓谷鉄道側としても、客が回転すればその分整理券収入が増えるから切り売りしたほうがいいということかな。

客車の旅で満足したところで、本日最後のポイント、水沼駅で下車。こちらには駅舎内に温泉があるということで、最後は温泉で締めることにする。

渡良瀬川を遠くにみる露天風呂「かっぱ風呂」で今日の汗を落とし、気持ちよくなったところで休憩ロビーに立ち寄ると、テレビでは何やらものものしい映像が流れている。この日に発生した新潟県中越沖地震のニュースである。海沿いに駅があり、線路が土砂で埋まっているのは青海川の駅のようだ。震度6強、柏崎を中心に死者も出る大きな被害が発生しているとか。今日一日列車に乗っていてニュースを全然見なかったが、先の台風、今度は地震と、のんびり旅をしているのが申し訳ないような気にもなった。

この後は桐生まで出て、高崎回りで東京に戻る。帰宅後も気になるのは地震の情報だ。

確か先の中越地震が起きたのは3年前。ようやく復興したかという矢先の今回の地震。今年は能登半島の地震もあり、日本海側の土地に何かが起きている時期なのだろう。今回は狩羽原発のこともあり、余計に首都圏とは無縁ではない災害である。

遅ればせながら、亡くなられた方のご冥福、被災した地域の皆様へのお見舞いを心より申し上げます。

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足尾を歩く

2007年07月20日 | 旅行記C・関東甲信越

沢入駅からまた間藤行きに乗る。都心から日帰りする場合、この列車が最も早く足尾に着く列車だ。観光客の姿も目立つ。渡良瀬川の渓谷は沢入から原向までの区間がもっとも眺めがよく(車内案内のテープでもそのように案内していた)、山側に座っていた客も立ち上がって渓谷の風景を見やる。

P7162882P7162883P7162893P7162892足尾銅山観光には手前の通洞駅が最寄なのだが、時間もあるので足尾駅で下車。黒塗りの木造駅舎、貨物ホーム、その役目を終えたキハ35、駅周辺の古河の社宅の風情・・・。一気にタイムスリップしたかのようだ。かつて鉱石や硫酸の貨物輸送で賑わった頃をしのばせる。何人かの観光客・汽車旅派と思われる人と一緒に降りたが、やはり感じるものがあるのだろう、駅舎に向けて写真を撮る。中にはクルマで乗りつけた家族もいた。

ここから通洞駅を経て足尾銅山まで歩く。歩くといっても20分くらいのものだ。今でこそ日光市に合併された足尾であるが、「日光市足尾町」というよりただの「足尾町」といったほうがしっくり来る。旧鉱山の町の常としてひっそりと時間が止まっているように見え、往年の賑わいは想像で感じるしかない。

銅山着。ここに来るのは3回目だが、何回来てもよいところだと思っている。前回来た時は友人とのドライブだったが、元々ゴルフのショートコースにでも行こうと言っていたのが、大雨のため断念、なら目的地を決めずに北のほうへと走るうちに、「このへん通るのなら足尾に行こうか」と私が言ってこちらに来た。今回も台風の接近でお出かけ先を変えての足尾。

P7162898その足尾銅山を「世界遺産に」という横断幕が掲げられていた。折りしも先日、石見銀山が世界遺産に登録されたばかり。同じ鉱山の町としてその気持ちはわかる。日本人の知名度としても、石見銀山より足尾銅山のほうが有名だろう(何せ、石見銀山を「岩見」銀山とテロップで紹介したテレビ局もあるくらいだから)。

P7162916ただどうだろう、ここ単独で「世界遺産」を名乗るのはさすがにしんどいかな。日本の近代鉱業の発展という正の面と、渡良瀬川の鉱毒という負の面の両方を持っているのは意義があるが・・・。同じ日光市にあるからといって歴史面で東照宮とは同列には扱えないし、ならばむしろ近くの桐生と合同で、近代化遺産のグループとして富岡製糸場等の仲間に入れてもらったほうが・・・と思う。

P7162902P7162911世界遺産の話はともかく、この銅山の見せ方はまずトロッコで「通洞坑」へと進入する。かつての本物の坑道をそのまま残しており、大雨のためか地表から水がしたたり落ちる中を歩く。外の蒸し暑さに比べてひんやり涼しく感じる。江戸・明治・昭和の各時代ごとにゾーンを分けており、坑道の支柱の組み方にも時代の違いを感じる一方、各時代のリアルな人形が微妙な表情で観光客を出迎えてくれる。足尾といえば鉱毒事件というイメージが先行するが、こちらの展示はむしろ銅山の歴史や役割を積極的に理解してもらおうという姿勢が感じられる。

P7162919P7162924P7162925 銅山に銭座の展示を見学後、少しくだって元の発電所やら選鉱場の建物に出る。今では建設会社の敷地のため選鉱場の中には入れないが、こういうのを見ると再び「公害」という言葉が頭をもたげてくる。銅山と違ってPRしにくい建物のために訪れる人もほとんどいないが、こういう建物もしっかり見ておきたい。もっともわざわざ歩かずとも、わたらせ渓谷鉄道に乗れば通洞駅手前の車窓にバッチリと見ることができるが。

さて通洞駅に戻り、今度は桐生行きに乗る。今度は転換クロスシートつきの車両。他の客と同じように窓を全開にして川下り。再び沢入駅を過ぎる。あじさい祭りも始まったようで、テントの屋台には観光客が大勢来て賑わっていた。長い草木トンネルを抜け、神戸と書いて「ごうど」と読む駅で下車。ちょうどお昼時である・・・。(続く)

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渓谷とあじさいの風情・わたらせ渓谷鉄道

2007年07月20日 | 旅行記C・関東甲信越

15日は桐生駅前のホテルでぐっすりと眠り、朝を迎える。台風4号は関東を遠ざかったが、「台風一過」とはいかず、まだ雲が残る天気だ。

P7162838わたらせ渓谷鉄道では1日乗車券を桐生ほか主な駅(というか、駅員のいる駅というのは数えるほどしかないのだが)で発売している。1800円。桐生から終点間藤までの片道が1080円だから、単純に往復しても元が取れる。さらに今日の私は途中下車やら、路線の行ったりきたりを繰り返すのだからこれは有効だ。さらに、午後の足尾から大間々までのトロッコ列車の乗車整理券をあわせて購入。

P7162844桐生駅のホームに、銅色の気動車が停まっている。これが始発の間藤行きである。4人がけのボックス席に陣取り、窓を開ける。こうして窓を開けるというのも今や珍しいことである。渡良瀬川の鉄橋を渡る。今日は一日この川に沿って乗り降りすることになる。

P7162850相老、大間々と数人の乗客を乗せるといよいよ渓谷ムード。一気に人家が少なくなり、右手に渡良瀬川が沿う。台風の影響でこの山中でもかなり雨が降ったようで、その分水かさも増し、流れに勢いを感じる。渓谷らしいといえば渓谷らしい。旅行者の勝手な感想で、各地で台風の被害に遭われた方には申し訳ないのだが・・・・。最初は窓が曇っているのかと思ったが、朝早くのこととて川面に水蒸気が立ち込めており、普段ちょっと見られないような景色だ。

P7162860途中下車のポイントとなるいくつかの駅を過ぎるが、まずは終点の間藤まで乗り通す。前回来た時にはホームが広場のようになっているものの、古河の工場だけが目に付くポツネンとした終着駅だったなという印象を持っている。

P7162855P7162856折り返し列車までの間、駅舎に入る。するとどうだろう、「ここは間藤『時刻表2万キロ』の終着駅」という貼り紙が目に入る。確か前来た時にはこういうのはなかった。『時刻表2万キロ』といえば言わずと知れた、故・宮脇俊三氏の著作で、その後の鉄道乗りつぶし、汽車旅というものに大きな影響を与えた一冊。この間藤駅は宮脇氏が当時の国鉄路線の全線完乗を果たした駅であるが、それがいつしか宮脇ファンの「聖地」のようなことになっているらしい。窓ガラスには氏の直筆原稿に、『時刻表2万キロ』の足尾線の件が掲示されており、記念ノートも備え付けられている。当然、宮脇氏に関する書き込みが多い。

P7162948私も心酔するほどまでは行かないが、中学生の時に鉄道の旅にあこがれる中で『時刻表2万キロ』を読んで(いや、最初は『最長片道切符の旅』だったかな)、それから時刻表を読むようになった口だから、こうして記念碑的に、かつひっそりと祭られているのは悪いことではないと思う。

さて折り返しの列車に乗り込む。通常であれば足尾か通洞で降りて足尾観光となるのだが、一度この両駅を通過し、再び渓谷をクネクネと走って沢入(そうり)という駅で下車する。ここも今日のポイントに挙げていた駅の一つ。

P7162872P7162863P7162871 というのが、駅の周りに植えられたたくさんのあじさい。これがちょうど見ごろなのである。このブログにTBしてくれた方の記事で、「この駅もなかなかよさげやな」と思ったとおり。今日まで駅で地元の人たちによる「あじさい祭り」なるものが行われるが、まだ準備中で客の姿もほとんどないうちにあじさいを見ようという趣向である。紫、青、白と色とりどりのあじさいが私の目を楽しませてくれる。

P7162880しばしこの駅に佇み、再び足尾方面の列車に乗ることにする。ホームにやってきた銅色の気動車。あじさいの青との対照的な色合いであるが、夏らしい風景である・・・・。(続く)

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