まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

BCリーグ観戦記・滋賀対巨人@守山(試合前)

2017年07月09日 | プロ野球(独立リーグほか)
滋賀に新球団ができたことで、大阪からでも気軽に(?)日帰り観戦ができるようになったBCリーグ。その滋賀ユナイテッドBCだが、前期は西地区5球団中の4位と苦戦した。なお、前期東地区優勝の群馬、そして西地区優勝の富山と、それぞれ巡り合わせとはいえ優勝を決めたのが滋賀戦ということで、目の前で2回胴上げを見せられた選手たちも悔しいものがあると思う。現在はすでに後期が始まっているが、何とかがんばってほしい。

さてそのBCリーグだが、NPBの巨人(3軍)、楽天(2軍)の2球団が交流戦という形で参加している。NPBの2球団の成績はBCリーグのランクには入らないが、BCリーグ各球団は公式戦の一つとして順位にも影響する。この7月7日~9日は巨人相手に滋賀で3連戦を行うということで、球団ホームページでもPRが行われていた。

行くとすれば8日、もしくは9日だが、9日は天候が良くないようだ。また8日は、実は神戸でバファローズ対マリーンズが行われるということで指定席を購入している。思案のしどころだが、ここは「独立リーグ対NPB」という初めての観戦のほうを選んだ。普段バファローズファンとして野球を観ている者としていかがなものかとは思われる方もいらっしゃるだろうが、そこはご理解のほどを・・・。

8日の試合は13時から守山市民球場で行われる。大阪から新快速で守山に着いたのは10時40分。大阪から1時間弱のところで、今では大阪への通勤圏ということで駅前にはマンションも多く建ち並ぶ。実は駅に降り立つのは初めてで、駅舎は橋上駅舎だが、米原方面には地上のコンビニに通じる自動改札(ICカード専用)があり、店内を通って外に出ることができる。

駅から守山市民球場へは直線距離で3キロほどあるようだ。この巨人戦に限り、駅から球場へのシャトルバスも出るとあるが、初めての土地ということもあるし、開門まで時間もあるので歩いて行くことにする(BCリーグ、四国アイランドリーグの試合観戦には、「球場までのアクセス」というのも楽しみの一つとしてあり、私のブログではそれだけで一つの記事になってしまう)。

球場の方向に見当をつけて歩く。駅前に「ほたる通り商店街」というのがある。これは初めて知ったのだが、守山はほたるの飛び交う里として有名なそうだ。ゲンジボタルは天然記念物にも指定されており、かつては皇室に献上されたこともある。ご多聞にもれず一時は数が大幅に減少したが、現在は人工河川、人工飼育の力もあって数は結構いるようで、毎年5月には町中でほたる鑑賞のイベントが行われている。これから向かう球場がある運動公園がまさにその場所で、ほたるの資料館もある。事前に知っていればもう少し早く出発して、そうしたスポットを見てもよかったと思う。

ほたる通りを進むと出たのは、旧中山道。ああそうか、東海道は草津から鈴鹿方面に向かっていたか。この守山は中山道の宿場町で、京都から東に向けて出立した場合の最初の宿泊地として賑わったという。特に宿場町の観光を前面に売りにしているわけでもないが、昔の宿場町には「守山宿」の看板も掲げられているし、町並み交流施設などもある。

その宿場町の一角に古刹を見つける。東門院(とうもんいん)というところ。「近江西国霊場」などという、また私のどこかをくすぐるような立札があり、中に入る。守山の観音さんということで親しまれているそうだが、その歴史は古い。伝教大師最澄が比叡山を開くにあたり、四つの境を定めてこの地に東門を建立した。そして、比叡山を守護するところ・・・ということからこの地が「守山」と呼ばれるようになったとされている。こういうことも、現地に来なければ知らなかったことである(では、名古屋の「守山区」というのはどういうところから??という疑問は残るが、それはまた追々調べるということで・・)。

この後は水田や住宅が広がるところを歩き、守山高校の横を過ぎて運動公園に到着する。球場の外観が見える。時刻は一般客の入場開始の11時30分の少し前ということだが、入場口には100人は超える人が列を作っていた。普段の独立リーグの試合ではまずない光景で、さすが(3軍とはいえ)巨人戦だなと思う。これがオリックスの2軍相手ならどのくらいの観客なのかな・・・とも思うが。

入口では球団マスコットの「ユナ丸」のお出迎えや、滋賀の鈴木球団代表も入口でモギリをするなど、球団としてはこの3連戦は総出で盛り上げようというところ。前日7日の巨人戦は2対1の接戦を制しており、チームとしても勢いに乗りたいところだ。

この日は30度を軽く越える暑さ。テント屋根のあるネット裏に陣取るが、それでも暑い。熱中症予防を呼びかけるアナウンスも流される。入口で配られたうちわがありがたい。これが普段の試合ならこのエリアだけで十分収まるが、後からどんどん客が入ってきて、直射日光の当たるベンチシートも埋まってくる。この後試合開始を迎える時には大入りとなり、立ち見客が出るし、「一人でも多くの方が座れるよう、荷物は足元にお願いします」の異例のアナウンスも流れる。

さてグラウンドに目を向けると巨人の選手たちも練習中である。ただ2軍を通り越して3軍となると、もう誰が誰やらわからない。背番号も「005」とか「010」とか、どこぞの市外局番かいなというところだが、まあそこは試合中にチェックすることにしよう。

一方の滋賀は、観戦3試合目となると背番号と選手名が一致するくらいのところに来ており(さすがにまだ顔だけでは選手が特定できない)、これから期待の選手もいる。

スタメンの発表。この球場のバックスクリーンは大型画面であり、滋賀の選手の紹介の時にはフルサイズで表示される。これはいい。なお、巨人のスタメンには1番にベテランの脇谷、3番にはDeNA、日本ハムにいた北が名前を連ねる。1軍での実績がない北はともかく、脇谷が3軍の試合に出ているというのは・・・。また、巨人の川相というのは川相3軍監督の息子、滋賀の桑田はあの桑田真澄さんの息子ということで、こういう選手たちの子どもが現役のプロ選手になるのだなと、ちょっと時の流れを感じる。

試合前には、滋賀のチアリーダーズの「シーギャルズ(SHI GALS)」のダンスや、地元選出の国会議員、県議会議員の挨拶が行われる。

その後で両チームの監督、コーチ、選手たちがライン上に整列する。この後で守山市長のあいさつ、国家独唱、そして守山市長による始球式の後で、試合開始である・・・。
コメント

第16番「延暦寺横川中堂」~新西国三十三所めぐり・-37(根本中堂で気まぐれな天候に)

2017年07月07日 | 新西国三十三所
横川エリアからバスターミナルに戻る時に、空が暗くなっているのは感じていた。それが、休憩所で食事をして外に出ると強烈な雨である。クルマで来た人も駐車場の自分のクルマに戻るのすらためらわれるくらいだ。私もこの日は折り畳み傘をバッグにしのばせておいてよかった。

雨がすぐ止めばいいなと思うがどうもその気配はない。ならば雨宿りとして、バスターミナル側の入口に近い国宝殿に入る。この国宝殿の入館料だけは巡拝チケットの中に含まれておらず、別途500円を支払う。この「国宝殿」とは、モノとしての国宝に指定されている文物という意味ではなく、伝教大師最澄の「一隅を照らす、則ち国の宝なり」の言葉から取られたものである。やはり東塔エリアに来ると延暦寺の中心だなと感じる。ようやく最澄が出てくる。

国宝ではないが、重要文化財は数多く並ぶ。薬師如来、阿弥陀如来、不動明王、四天王などなど。また、横川でも触れた元三大師の木像もある。

企画展示の部屋では、比叡山の回峰行について紹介されていた。平安時代に、比叡山の最も奥の院とされる葛川明王院を開いた相応和尚が始めたものとされ、その歴史や修行の方法が紹介されている。有名なのが「千日回峰行」というもので、7年かけて行うという。1~3年目は年に100日、4~5年目は年に200日を行う。比叡山の山内、そして日吉大社も含めておよそ30キロのコースを、真言を唱えながら、あちこちのお堂にお参りしながら歩く歩く。それをクリアした後は「堂入り」として、無動寺のお堂に籠ったり、また赤山禅院まで往復したりと、よりハードな修行が続く。書くだけでも気の遠くなる修行だが、これを達成して「大阿闍梨」と称賛される方がいるからすごい。なお延暦寺では修行体験として「一日回峰行」というのを開いているが、「体力に自信のない方はご遠慮ください」とある。まあ、次の寺の行き先をサイコロに任せているようなおっさんには、修行そのものが高いハードルということで。

・・・という感じで国宝殿を回っても、外の雨はそのままである。これは仕方ないと、傘を差して大講堂を通り、根本中堂に向かう。途中の大講堂は広いこともあって雨宿りの場所にもなっていた。

さて根本中堂はこのたび大改修に入ったということで、お参りはできるがフェンスで囲まれている。また大屋根にも足場が組まれているし、重機も入っている。昨年から始まった大改修は10年をかけるという。有名な歴史的建物では京都の清水寺の本堂もそうで、清水寺の舞台のあの風景はしばらくフェンス込みとなるが、延暦寺に清水寺、ちょうどそういう時に差し掛かったのだと思う。

根本中堂は中でのお参りはできるので、靴を脱いで中に入り、子どもたちの書道の優秀作を廊下で見た後で外陣に入る。この外陣も広く作られているためか、雨宿りでくつろいでいる人の姿が目立つ。そんな中だが、せっかく来たのだからお勤めをする。1200年の間絶やさず守り抜かれたとされる法灯の前での般若心経である。

根本中堂から外に出ると少しは雨も収まったようだが、比叡山もこれでよしかなと、帰りは坂本ケーブルの延暦寺駅まで歩く。この駅からも大津市街や琵琶湖の眺望が良いのだが、やはりこの天候である。ちょっと惜しいかな。

坂本ケーブルで12分の乗り心地を楽しみ、坂本に降り立つ。この後京阪の坂本駅までは30分歩くのも風情があるが、今回は巡拝チケットがあるからと、接続の江若バスに乗る。石積の町並みが有名な坂本の町歩きは、またいつか来るであろう比叡山巡拝の時の楽しみとする。

さてこの後、石山坂本線で浜大津に出て、三条経由で大阪に帰ったのだが、先ほど比叡山上で遭った大雨も、浜大津に戻る頃には雨雲も切れるようになった。三条までの車中では西日すら差し込んできた。さらに、京阪の三条では傘を手にする人の姿もほとんどなく、挙げ句帰宅後には「雨なんか一日降っていない」と家の者に言われた。

あの雨は山の上ならではのものだったか。その時は、伝教大師と元三大師から、日頃の行いが悪いから喝を入れられたのかな~と、呑気に構えていた。

ただ、豪雨はそんな呑気な思いなど関係ない。

この記事を書いている時点で、福岡、大分での集中豪雨で、河川の氾濫や土砂崩れで多くの犠牲が出ている。この集中豪雨、このところ毎年エリアを変えつつ必ずどこかで大規模災害になっている。7月初めでこの有り様で、この先台風シーズンを迎えるとどこでどうなるやら。伝教大師や元三大師も、祈りの場にあれこれ担ぎ出されることになるだろうか・・・?
コメント

第16番「延暦寺横川中堂」~新西国三十三所めぐり・37(豪華メンバー登場)

2017年07月06日 | 新西国三十三所
比叡山上のシャトルバスで横川に到着。比叡山の中でも奥に位置するためか、ここまで来る人はそれほど多くないようだ。

入口にて京阪の巡拝チケットを提示すると、各エリアの境内図が書かれたパンフレットを渡される。これにスタンプが押してあり、これが拝観券代わりとなる。

延暦寺といえば天台宗を開いた伝教大師最澄が創建した・・・と、学校の歴史の時間には習うかと思うが、これだけの規模の寺院が全て最澄一代でできたわけではない。この横川は第3代の天台座主である慈覚大師円仁の手で開かれた。その後は比叡山の修行の場としても受け継がれている。

境内の参道には、さまざまな宗派の開祖たちがこの横川で修行したと、パネルが紙芝居のように並ぶ。鎌倉時代に興った宗派では、曹洞宗の道元、浄土真宗の親鸞、そして日蓮宗の日蓮というそうそうたるメンバーである。座禅、念仏、法華経という、大乗仏教のオールラウンド的な天台宗から興ったもので、各分野の中からこれらの逸材が出ているわけだ。

参道を抜けると、石垣の上に舞台造りの土台が組まれていて、朱塗りの建物がある。これが横川中堂。遣唐使船をモデルにしたそうで、現在の建物は昭和の再建である。こうした舞台造りの本堂、西国三十三所めぐりの札所でもいくつかあったように思う。それらの札所はいずれも天台宗系で、横川中堂を真似たのか、あるいは天台の教えにそのようなものがあるのか。

靴を脱いで外陣に入る。ここは聖観音を真ん中にして、左右に毘沙門天と不動明王が安置されている。内陣の扉にお参りの作法が書かれていて、これら三種の真言を唱えるとある。一段下がったところで懺悔文、開経偈、般若心経、真言をモゴモゴとお勤めする。横川中堂の中は一巡できるが、それぞれに奉納された観音像が並ぶ。長年の信仰の積み重ねであろう。これらの観音像があることも、横川中堂が新西国の一つに選抜された要因だろう。

横川エリアはさらに奥に広がるので回ってみる。参道は木々に覆われていてなかなかの雰囲気である。やって来たのは恵心堂。阿弥陀如来を祀り、平安時代に浄土信仰、南無阿弥陀仏を広め、後の浄土宗や浄土真宗のベースを作った恵心僧都源信も祀っている。ここは毎日扉を開けているわけではないようで、「本日公開しています」との貼り紙があった。お堂の外には源信が書いた『往生要集』の一節が掲示されたり、中には案内の方もいる。このお堂の存在価値をアピールしているかのようである(帰りに近鉄駅にて、奈良国立博物館での源信展のポスターを見かけた。浄土信仰の源を見るという意味では興味深い)。

さらに奥に進むと、元三大師堂に出る。元三大師良源は、第18代の天台座主で、天台宗の中興の祖と称される。一方で「角大師」「豆大師」「おみくじの起源」などさまざまの異名を持つ。いや、「元三大師」というのも異名と言える。さまざまな超人的な逸話や伝説を持ち、乱暴な言い方をすれば、生真面目キャラの多い天台宗にあって、唯一真言宗の弘法大師と力の真っ向勝負ができるのでは?と思わせるところがある。横川エリアに来る人の中には横川中堂よりも元三大師堂がお目当てという向きもあるそうだ。お堂の扁額にも元三大師信仰が現れていて、比叡山の奥地によく似合うように思えた。

こうした諸堂を回る参道には西国三十三所の各本尊の石像が置かれている。横川を一回りするだけでもさまざまな祈りができる仕組みである。

さて横川の門前に戻る。新西国については、この後は金剛城寺(リベンジ)~瑠璃寺と、回る順番は決まっているのでもうサイコロで行き先を決める必要はないが、比叡山全体がさまざまな札所めぐりのポイントになっている。またここに来る日があるだろう。

山内のシャトルバスに乗り、今回は西塔エリアはそのまま通過して、ただ根本中堂には行こうとバスセンターまで戻る。昼を回って食事がまだだったが、バスセンターの休憩所に、延暦寺御用達、坂本の本店が有名な鶴喜そばのカウンターがある。ここで昼食のせばをいただき、土産物も購入してさて根本中堂に向かおうとしたのだが、外はえらいことに・・・。
コメント

第16番「延暦寺横川中堂」~新西国三十三所めぐり・37(比叡山乗り継ぎ移動)

2017年07月04日 | 新西国三十三所
5月に新西国めぐりで高槻の神峯山寺を訪ねた際、「拝仏」と祈祷の対応をしていただいた副住職から、「ぜひ最後は比叡山で締めてください」と言われたことがある。神峯山寺は天台宗の寺院で、その総本山を薦めるのは自然なことだろう。

私としては、途中はくじ引きとサイコロで行き先を決めているが、新西国の最後はやはり末尾の瑠璃寺(佐用町)としている。ただ、神峯山寺以降、いくつかの札所を挟んでラスト一つ手前で延暦寺が当たったというのも、何かのご縁かと思う(もっともこの次は、前回訪ねた時に寺の方が不在で納経帳が埋まらなかった金剛城寺(福崎町)に行かなければならないが)。

日程の関係で、7月最初の週末に行くことにした。ただ週末の天気予報では、1日の土曜日は関西の天候も今一つで、2日の日曜日のほうが良い感じだった。ということで2日に行くことにして、京阪の淀屋橋に現れる。

比叡山へのアクセスは京阪電車を選んだ。鉄道だと京都側からは出町柳から叡山電車に乗り換えて八瀬比叡山口、一方大津側からは京阪石山坂本線の坂本が玄関で、いずれも駅からケーブルカーなどで山に上る。また、新西国の札所として目指すのは、メジャーな根本中堂のある東塔エリアではなく、もっとも奥に位置する横川エリア。山上での移動はシャトルバスとなる(修行にも使われる山道を歩く、という手もあるが・・)。

それにうってつけなのが、京阪の「比叡山延暦寺巡拝チケット」。京阪全線、叡山電車(出町柳~八瀬比叡山口)、京都地下鉄・京阪大津線(三条~浜大津)、叡山ケーブル、叡山ロープウェイ、坂本ケーブル、江若バス(坂本ケーブル~京阪坂本駅)、比叡山上シャトルバスが一日乗り放題で、さらに延暦寺3エリアの拝観料込みで3300円。他にも、チケットの提示で割引が受けられる店もある。単純に大阪から比叡山を往復するだけでも同じくらいの運賃になりそうで、これに拝観料とシャトルバスがつくとはかなりお得である。これを使い、今回は八瀬方面から比叡山に上り、先に目的地の横川まで行き、帰りに根本中堂まで引き返して坂本回りで戻るルートにした。家を出たのがゆっくりだったので、坂本の町を歩くとかいうまでは時間的にちょっとしんどいかな・・・。

淀屋橋10時発の快速特急「洛楽」に乗る。京阪の昔の特急のように京橋~七条間がノンストップである。こういう列車だが、意外に空席もある。今の特急は途中の駅にも停車するが、こうした駅での乗り降りや乗り換えで利用する客が多いとも言える。

淀屋橋から50分で出町柳に着き、叡山電車に乗り継ぐ。先発の鞍馬行きは展望車両ということもあり満員で出る。その後で1両の八瀬比叡山口行きが出たが、途中駅で下車する客が多く、終点まで来たのはそれほど多くなかった。

この週末、大阪は一気に本格的な暑さになった。だから山の上なら多少は涼しいのかな?という期待はあった。叡山電車で降り立った八瀬比叡山口は、さすがに市街地を少し離れて、周りは緑、そして小川のせせらぎが涼しげだが、私が暑がりのせいか、それでもムシムシしたものを感じる。まあそれはあくまで個人的な体感で、京都で涼しくということなら叡山電車がお勧めである。

駅から少し歩いてケーブル駅に着く。待合室に「能行不退」と書かれたパネルが掲げられている。これは毎年延暦寺が「今年の言葉」として発表している言葉の2017年版である。「野球まみれ」と同じようなチームスローガンと同じようなもの・・・もといメッセージとして発表したものである。この4文字を意訳すると、「途中であきらめずにひたむきに前へ進め」ということだそうだ。

そんな言葉に押されるようにケーブルカーが動く。日本でもっとも勾配がきついケーブルカーとの案内がある。確かにケーブルカー独特の後ろから引っ張りあげられるような乗り心地だが、周りが自然に囲まれてくる様子が実感できる。

ケーブルカーの終点に着くと、乗り継ぎとなるロープウェイがある。もっとも、ここからは比叡山頂までの遊歩道も整備されているためか、ここまでのケーブルカー以外の客も含めて歩く人の姿も目立つ。近隣のプチ登山というと六甲山とその周りをイメージするが、比叡山もその対象なのかなと思う。修行は別として。

ロープウェイは3分の乗車だが、一気に高度を上げる。眼下に京都市街を眺める。快晴の天候ならもっとくっきり映っただろうが、そこは自然である。同乗の客たちも一斉に喜んでいた。また、歩いて山上まで上ろうという人の姿もあり、ちょうどロープウェイが上を通過すると手を振ってきた。

比叡山上に到着するとその前にはガーデンミュージアムがあり、こちらに向かう人と、山上のバス停に向けて歩く人が半々となる。数分で開けたバス停に出る。展望台からは大津市街の景色を見ることもできる。12時発のバスで、まずは終点の横川を目指す。片道運賃が760円のところ、バスの1日乗車券は800円である。さらに大阪から京阪で来るなら巡拝チケットの中にバス1日乗車券分も含まれる。

根本中堂最寄りのバスターミナルで乗客が入れ替わる。まずは根本中堂・東塔エリアを訪れ、その後で西塔、横川と順に回る人が多い。また峰道には琵琶湖を眺めるレストランがあり、こちらでの昼食目当てで乗る人もいる。私は根本中堂は行ったことはあるが、横川エリアは初めてである。順番が逆かもしれないが、まずはこちらで新西国の札所めぐりとする・・・。
コメント

上田利治・元ブレーブス監督が死去

2017年07月02日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
このブログで、2回連続してNPB関連の訃報について取り上げることになるとは思わなかった。

元阪急、オリックス、日本ハムの監督として多くの実績を残した上田利治さんが1日に死去した。80歳ということで、先日42歳で急死した西武の森慎二コーチと比べれば長生きであったが、それでも昭和の野球の一時代を築いた方がお亡くなりになるのは淋しいニュースである。

私の場合、現役の監督として見ていたのは阪急の最後のほう、そしてオリックス、日本ハムの監督としてで、パ・リーグ4連覇、日本シリーズ3連覇というのは後に映像や文字で知ったわけだが、非常に頭のよい方だったという認識である。高校時代には後にゴルフで名を馳せる尾崎3兄弟の勉強を見てやっていたそうだし、(野球部推薦で得点の上乗せはあったそうだが)私の母校でもある大学の一般入試にトップで合格したとか。現役選手としてはそれほど成績が残せなかったが、早くから指導者としての適性を見込まれ、若くして阪急の監督に就任、知略を活かした戦いを繰り広げた。

昭和のプロ野球の懐かしい演出として、オリックス・バファローズでも「大阪クラシック」「関西クラシック」「勇者復刻」などさまざまなイベントを行っているが、その中で上田さんが登場する場面がなかったのが今思えば残念である。ご高齢なのだろうし、健康状態もあまり良くなかったのかもしれないが、もう一度「ブレーブス」のユニフォームでグラウンドに立つ姿を見たかった。

一つ思い出したのが、グラウンドに姿を現したということであれば、2005年、ちょうどオリックス・バファローズと楽天イーグルスの初年度の対戦で、オリックス側が仰木彬監督を真ん中に、西本幸雄、そして上田利治の両氏をグラウンドに向かえるセレモニーを見たのを覚えている。阪急・近鉄・オリックスの伝統を受け継ぐのはオリックス・バファローズだという必死のアピールのようにも見えたが、この試合をきっかけに、近鉄バファローズの後はこのチームを応援しようと腹をくくったきっかけにもなった試合である。

その名将3人ともあの世に行ってしまうことになった。これからは、後輩たちの戦いぶりをぜひ遠くから見守っていただきたいものである。

謹んで、ご冥福をお祈りします・・・。
コメント