奈良市内にある西国四十九薬師の4ヶ所を実質日帰りで回る。近鉄奈良駅のバス乗り場から、まずは第3版の般若寺に向かう。乗るのは奈良駅の北にある青山住宅行きで、この辺りのバスは均一運賃のため前方入口で先払いする。10分あまり走って、般若寺バス停に到着する。寺はバス停からすぐのところにあり、山門ではなく駐車場が出迎える。時刻はまだ朝9時すぎということで、駐車場のクルマもそれほど多くはない。拝観受付も塀の一部を切り取ったところにあり、500円を納める。
そして境内に入る。そこに飛び込んで来たのは、一面のコスモス。般若寺は「コスモス寺」として知られていて、例年10月上旬~11月中旬にかけてが見ごろという。境内全体では15万本が花を咲かせるという。今回の奈良行きを11月8日に入れ込んだのは、このコスモスを見ようという思いもあってのことである。拝観の人たちもコスモスがお目当てのようで、スマホやカメラをあちこちに向けて、寺の本堂とコスモスとの組み合わせた写真撮影に夢中である。私も下手くそながらいろいろとカメラに収める。
その中を抜けて本堂に向かう。その前にはコスモスの花びらを浮かせた鉢が置かれていて、これも目を見張らせる。心が癒される感じだ。
本堂に上がる。本尊は文殊菩薩で、脇には不動明王、四天王像などが祀られているが、あれ、薬師如来は・・?というところだが、ともかく本堂に上がったのだからまずは手を合わせる。本堂の前の縁側で朱印を受け付けていたので、先にバインダー式の朱印をいただく。
ここで、般若寺の歴史について見てみるが、開かれた年代ははっきりしていないようである。聖武天皇が伽藍を建立したという説もあるが、確かではない。ただ、遅くとも平安時代には存在していたようで、源平の戦いの時、平重衡による南都焼き討ちで東大寺や興福寺などとともに焼け落ちたとある。その後鎌倉時代に再興され、西大寺の僧で真言律宗を開いた叡尊により本尊や伽藍が整備された。
また、寺のシンボルとして、本堂と対峙するように十三重の石塔が建つ。その基礎となる四面それぞれに仏像が彫られている。東・薬師如来、南・釈迦如来、西・阿弥陀如来、北・弥勒菩薩である。その東面の前に薬師如来像が置かれ、お参りする台が設けられており、西国薬師の幟もある。見た目は目の前の薬師如来の像を拝んでいるが、実は十三重石塔の薬師如来が西国四十九薬師めぐりの本尊というわけだ。この石塔は1964年に解体修理が行われ、中から様々な文化財が出たことから現在につながる寺の歴史が解明されたという。
また、境内の一隅に楼門がある。こちらは鎌倉時代の創建当時の姿を残しており、国宝にも指定されている。コスモスに目が行ってしまうが、歴史的にも貴重なものが多い寺である。
この時ちょうど、本堂裏手の宝物庫にて白鳳秘仏の特別公開が行われているとある。せっかくなので訪ねてみる。建物の前で銅鑼を叩くと扉が開いて中に招かれる。
メインは、白鳳時代の阿弥陀如来。持統天皇の念持仏で、聖武天皇が平城京の鬼門鎮護のために祀ったと言われている。上に書いた1964年の十三重石塔の解体修理の時に見つかったものである。さらにその台座には阿弥陀如来、大日如来、地蔵菩薩も埋め込まれてた。これは平安時代の作とされ、十三重石塔に白鳳時代の阿弥陀如来を収める時に一緒に埋め込んだのか、あるいは元々誰かが埋め込んだものかと言われている。この他にも水晶や銅でできた舎利塔など、十三重石塔の中にはさまざまなものが収められ、石塔が般若寺のシンボルとして今まで受け継がれてきたことがわかる。ここまで見ると、白鳳時代にもつながる由緒ある寺というのはよくわかるのだが、境内一面にコスモスというのはどういうことからだろうか。
50年ほど前、前の住職が当時荒寺状態だった境内に一輪のコスモスが咲くのを見つけて、多くの人にコスモスを見ていただき、心を和やかに持ってほしいとの思いからコスモスの研究を始めたという。今ではボランティアの人たちが欠かさず手入れを行っていて、それが毎年のきれいな花びらにつながっている。やはり寺はさまざまな人たちの支えで成り立っている。
秋晴れの穏やかな空の下でコスモスを楽しみ、次は興福寺に向かう。バスで県庁前まで戻る。ちょうど奈良国立博物館で正倉院展が開かれていることもあってか、一時のことを思えば人が多く感じられる・・・。
令和元年の5月に始めた中国観音霊場めぐり。21ヶ所を回ったところで広島に異動となり、今後は行き先のくじ引きの組み合わせを変えて、一度に回る札所の数を増やすことにした。もっとも、この方法を取ったとしても現時点では後から始めた中国観音霊場めぐりのほうが先に満願になりそうだが。
これからの西国四十九薬師めぐりは、これまでとは逆にちょっとした関西旅行、または帰省を兼ねてということになる。
さて、前回のくじ引きとサイコロで、今度訪ねるのは奈良である。当初は第4番の興福寺、第5番の元興寺とピンポイントで回る選択肢にしていたのだが、そこに同じ奈良にある第3番の般若寺、第6番の新薬師寺も加えることにした。また、西国三十三所めぐりの3巡目も一緒にこなすことにしており、興福寺は2つの札所になっているので(西国四十九薬師は東金堂、西国三十三所は南円堂)一度に回ることができる。
今回どのように行くか。行き帰りで変化をつけることもあって、11月7日の夜に広島を夜行バスで出発、8日の朝から奈良に移動して4つの札所を回る。帰りは夕方の新幹線というプランにした。この週末にしたのは私のスケジュールによるものだが、7日は出勤割当日で、一度帰宅して夕食・入浴を済ませた後に広島駅に向かうことにする。結果的に時間だけで言えば、8日朝の新幹線に乗るのとそれほど変わらなかったのだが・・。
22時すぎ、広電の高須から電車で移動する。今夜乗る「グランドリーム大阪2号」は23時15分発のため、西広島で乗り換えずにそのまま市内線直通で広島駅に向かう。中心部の繁華街を抜け、夜を楽しんだ客たちも乗り込んで来る。
広島駅は現在駅ビルの建て替え工事に入っている。以前広島に勤務していた時は、中国地方を代表する街の玄関駅としては寂しいなという印象だったが、マツダスタジアムができてからは広島駅周辺もさまざまに開発され、その総仕上げが広島駅ビルの建て替えだと言える。広電の路面電車も2階に乗り入れる計画だそうだ。
夜行バスは反対側の新幹線口から出発する。ちょうど、大阪行きになるであろう車両が駐車場に入って来て待機している。
その車両が動いたのを見て乗り場に向かう。事前にネットで見たところでは予約客は定員の半分くらいのようだ。それが車両の中央部に固まっているのは何か理由があるのだろうか。窓側の座席を取っていて隣にも客がいたのだが、それなら最前列の空席に移動してもよかったのかなと思う。
広島バスセンターに停車。ここから乗る人はほとんどおらず、大阪に向けて出発する。バスは不動院、中筋駅で乗車扱いがあったはずだが、寝入ったためか気づかなかった。
目を覚ましたのは、バスが山陽道に乗ってどこかで停まっていた時。通路を行く客が体に触れるので目が覚めた。しばらくの停車のようで場所を確認すると、山陽道の八幡パーキングエリア(三原市)。24時間営業のセブンイレブンが開業したこともあってか、ここで休憩(仮眠)を取るトラックも結構停まっている。
時刻は1時前。この後は成り行きに任せて眠ることにする。「眠らなければならない」と意識すると余計に眠れなくなるので、あくまで成り行きで。
・・翌朝、「間もなく大阪駅です」のアナウンスで目覚める。次の大阪駅は定刻では6時00分着だが、10分ほど早く着くようだ。慌てて身支度をする。
大阪駅の西側の高架下の降り場に着く。バスはこの先湊町バスターミナルを経由してUSJに向かうが、ほとんどの客が大阪駅で下車した。
さてこの後だが、このまま奈良に向かったところでまだ寺の門は開いていない。それを見越してというわけではないが、朝風呂に入ってリフレッシュした後に奈良に向かうのはどうかということになった。頭に浮かんだのが、新世界にあるスパワールドである。
大阪から環状線に乗って新今宮に移動。朝6時半の新世界は人の姿もほとんど見かけない。スパワールドは大阪在住時にもごくたまに行ったところだが、早朝に入るのは初めてである。この数年のインバウンドの影響で外国人客にも人気のスポットだったが、コロナ禍の中でそうした客は激減。今はゆっくり入れるのではないか。
中の画像はないが、アジアゾーンにて日本風の檜風呂、露天風呂を楽しみ、東南アジア、中東風の浴槽も楽しむ。これでさっぱりすることができた。
新世界から通天閣を望む。コロナ禍の影響ということで(理由はそれだけではないようだが)、ふぐ料理の老舗「づぼらや」が閉店し、あのふぐの看板も撤去されたのに改めて気づく。「づぼらや」・・・う~ん、昔、会社の忘年会で1回だけ行ったことがあるかな。これからはふぐを食べたければ下関にでも行くか。
この先難波まで移動して朝食を取り、近鉄の大阪難波8時11分発の奈良行き快速急行に乗る。奈良着は9時前だが、この後夕方までに4つの札所を回るだけの時間は十分あるだろう。
快速急行の中で少しウトウトしつつ、地下の近鉄奈良に到着。改札外で「せんとくん」や鹿の記念撮影スポットを見て、おのぼりさんの観光客気分となる。
この日は札所順に回ることにして、まずは第3番の般若寺に向かい、そこから折り返して興福寺~元興寺~新薬師寺の順に進むことにする。というわけで、般若寺方面への近鉄奈良駅外のバス乗り場へ・・・。
2年連続でパ・リーグ最下位となったバファローズだが、順位が決まった消化試合とはいえ、この勝ちはこれからの自信になればと思う。
ルーキーながら先発も務めることになった宮城。これまでも好投が目立ったが勝ち星にはつながらなかった。11月6日の試合も5回に同点に追いつかれたが、その裏の攻撃で、同じルーキー・ドラフト2位の紅林がタイムリーを放って勝ち越し。これが決勝点になって宮城にプロ初勝利をもたらした。
各チームの育成方針、投手事情もあるので一概には言えないが、高卒ルーキー投手で注目されたマリーンズの佐々木、スワローズの奥川らを差し置いてプロ初勝利一番乗りというのはうれしい。同じ高卒ルーキーの紅林が援護したというのも、将来に期待を抱かせるところだ。
これからの活躍に期待。
・・・また全然関係ないのだが、広島に来たということもあるので、来季は由宇のカープ2軍の試合に行くのも面白いかなと考えている。以前の広島勤務時にはカープ対近鉄バファローズやダイエーホークスの試合を観に行ったことがあり、今季限りで引退したあの岩隈投手の若かりし頃の姿を目の前にしたこともある。
いろいろ模索するところ・・・。
玖珂の「いろり山賊」の味を楽しんだ後、時刻はまだ午前中である。来た道をそのまま戻るのではなく、いったんどこかに出た後で、帰りは海沿いに走って広島に戻ろうと思う。
鉄道ファンの感覚なら岩徳線に沿う形で徳山辺りまで出るところだが、ふと頭に浮かんだのが、途中の光市に伊藤博文の生誕地として資料館があったのではないかということ。中国観音霊場めぐりのプランニングで、周防地区の寄り道スポットとして「いろり山賊」とともに候補に挙がったこともある。山陽線の岩田駅からバスが出ているのは確認したが、当時はコロナ禍の中、資料館も閉館とあった。ただ今回このような形になったので、クルマの機動性を活かして立ち寄ることにした。「いろり山賊」からは15キロといったところか。
カーナビに従って30分ほどで到着。駐車場はほぼ満車。もっとも、資料館がある伊藤公記念公園というよりは、駐車場に隣接する「桂花茶房」の客のクルマが多いようだ。何でもオムライスが名物だという。
それはさておき、記念公園に向かう。まず目に入るのは2棟の建物。手前が旧伊藤博文邸で、奥が伊藤公資料館である。
建物と向かい合うように伊藤博文の像が建つ。それはいいとして、少し離れたところに安倍晋三が揮毫した碑がある。思わず「は?」となる。あざといわ。
それはともかく、旧伊藤博文邸に入る。旧邸とはいうものの、伊藤博文が実際に住むことはなかった。元々は先祖の法要のために設計されたもので、自分が住むためというよりは地元の人に役立ててほしいということからだった。結局、建物が完成する前に伊藤博文が亡くなったため、遺族から山口県に寄贈され、後に当時の大和村に払い下げられて遺品の保管場所になっていたそうだ。
邸宅内は和洋折衷の趣がある。洋館かなと思うと、和室が2室続いている。当時の邸宅というのはこうした造りが一般的だったのだなとうかがえる。
そして資料館へ。中は撮影禁止なので画像はないが、コンパクトながら展示物は充実している。受付ではパンフレットとともに、銀杏が入った袋を渡される。10月26日が伊藤博文の命日で、今年は没後111年に当たるとある。訪ねたのが11月3日だから、命日に近い日に訪ねたことになる。
この光市、かつての大和村で幼少期を送った頃に始まり、維新の志士として、後には近代日本の礎を造った人物としての紹介である。明治維新というと西郷隆盛や坂本龍馬の人気が高いが、私個人としては、その維新を具体的な近代国家の形にまで築き上げたという点で、伊藤博文はもっと評価されてもよいのではと思う。(観ていないけど)大河ドラマの主人公になってもおかしくはないと思うが・・。
展示品は礼服や、大磯の別荘で使用していた品々が中心。そして最後には、山口県出身の総理大臣の揮毫が飾られている。伊藤博文の後は山県有朋、寺内正毅、桂太郎、田中義一と来て、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三と来る。ここではきちんと菅直人の「最少不幸社会」の書が掲げられていたのは評価する。逆に、いずれもちゃんと「出身 山口県」と書かれているのに、安倍だけ「出身 東京都」である。その安倍が山口県出身だといけしゃあしゃあと額や石碑をドヤ顔で寄贈しているのに「は?」と思わせる。周防の人たちはどう思っているのかねえ。まあ、岸家のお坊ちゃまだから崇めざるをえないのか。
少し坂を上る。かつて伊藤神社というのがあったそうだが、その跡地には椅子に腰かけ、何やら書を解いている伊藤博文像がある。その足元には、岸信介の書による以下の銘文がある。
「人は、誠実でなくては何事も成就しない 誠実とは、自分が従事している仕事に対して親切なことである 伊藤博文」
・・私も、新しい業務についてこの気持ちを持って取り組みたいと感じた。
この後はそのまま田布施から柳井へと下り、周防大島から広がる海沿いをドライブする。11月3日らしい晴天。昔は「明治天皇のご威徳によりこの日は晴れと決まっている」と言われた明治節、文化の日である。ちょっとぐるっと回る形になったが、マイカーの足慣らしには十分な半日だった・・・。
クルマが納車されて、日々の通勤で利用するとはいうものの、休日のドライブにも使ってみたいところである。納車当日は販売店から自宅まで動かしただけなので、1日使って少し慣らしておこうと思う。
行き先はいろいろあるのだが、ふと思いついたのが「いろり山賊」である。
特に山口、広島の方の間では知られているのではないだろうか。「運転免許を取ったらとりあえず最初に行く」というのが地元あるあるのようだ。私も前回の広島勤務時、クルマで国道2号線を延々とドライブする際に店じたいは何度も見たことがある。特に夜、広島に戻る際に山中に突然煌々とした灯りを見るのだが、帰らなければならないということでいつも素通りだった。
今思えば惜しいことをしたもので、今年の中国観音霊場めぐりで山口県を訪ねる際に組み込めないものか検討したこともあった。岩国駅~徳山駅の数少ない路線バスを捕まえようかとか、岩徳線の欽明路駅から歩けないこともないとか。もっとも、新型コロナウイルスの影響もあって観音霊場めぐりの日程も大きく変わったので、行く機会はなかった(画像は、岩徳線に乗った時に玖珂駅ホームに掲げられていたポスター)。
・・・それが、何度も触れるように広島への異動である。免許はとうの昔に取っているが、新しくクルマを購入したということで、上記のあるあるに準じて「とりあえず最初に行く」ことにしよう。遅ればせながら。ちょっとした山道の区間での軽自動車の走りも確認したい。
「いろり山賊」の昼時は入るのにも長蛇の列で、駐車場も満車になるという。10時から開店ということで、それに合わせて行くことにしよう。
自宅を出て、宮島街道から西広島バイパス、国道2号線を走る。とりあえずは一般国道と自動車専用道(無料区間)も乗っておく。何となく昔の感覚を思い出すところである。
岩国の街中を抜ける。このままだと10時よりもかなり早く着きそうだ。あまり早くに行っても仕方ないので、どこかに立ち寄るとしよう。・・・となると、岩国に来たのだから錦帯橋を見に行くか。
錦帯橋には今年の3月に訪ねている。新型コロナウイルスの感染がいよいよ全国的に広がりつつあり、世の中が「自粛モード」に入った頃。多少の後ろめたさを感じつつも強行する形で山口県の札所を訪ねた時に立ち寄った。その時も岩国駅前でレンタカーを利用して、上関を経由して徳山駅まで行っている。
3月の時より観光客は増えている。団体を乗せた観光バスもやって来た。錦川に釣り糸を垂らす人もいる。今日は橋は渡らず外から眺めるにとどめるが、やはり絵になる景色である。しばし佇む。
この後は国道2号線に入る。坂道では普通車よりもアクセルを踏み込む感覚だが、スピードメーターを見ながら少しずつ慣らしていく。国道2号線といってもこの辺りではローカル区間。
そして、開店の10分前に「いろり山賊」に到着。国道の両側に駐車場があり、乗って来た車線側の駐車場に停めることになる。反対側(徳山から岩国方面)はそこそこの数のクルマが停まっていたが、こちら側(岩国から徳山方面)はまだガラガラ。横断歩道を渡って店の前に行くと、開店前ということで20~30人ほどが行列していたが、これだとスムーズに入れそうだ。
ちょうどハローウィン直後ということでその飾りつけもあるが、一方では鯉のぼりがあがっているし、建物が山賊の屋敷風だし、何とも混沌とした景色である。こうして店をじっくり見るのは初めてだが、「免許を取ったら最初に行く」にしては珍風景だと思う。
同じ敷地に3つの店舗が並ぶのだが、やはり一番人気は元祖の「いろり山賊」である。受付で先に食券形式で注文する。受付の前に用紙があり、そこに名前、人数、注文の品を記入して先に会計を済ませる。メニューには生ビールもあるし、敷地内の自動販売機ではヱビスビールの缶も売っているのだが・・・クルマで来ているから飲むことはできない。
席は自分で選ぶことができる。屋内の席もあるのだが、「いろり山賊」の楽しみは外の自然に触れながらの飲食だという。秋の時期ということで(電源は入っていないが)こたつが仕立てられている。その一つに座ると、係の人が注文の品が書かれた食券を取りに来る。料理ができたら近くまで来て名前を呼んでくれる。
こたつで向かい合うカップルもいれば、早速生ビールを楽しむグループもいる(ハンドルキーパーがいるのだろうな)。あまり一人で来るスポットというわけでもないようだ。
しばし待つうちに料理がやって来た。「いろり山賊」の定番メニュー「山賊焼き」に「山賊むすび」。
「山賊焼き」は鶏モモの串焼きで、オリジナルの甘めのタレで味付けされている。これを串からガブリとやるのが「山賊」らしさである。もっとも、骨もそのままあるので途中で串を抜いて、箸を使っていただくことに。個人の好みだが、タレがやけに甘く感じた。
「山賊むすび」は広島でも「むさし」などで人気メニューだし、山陽地区のセブンイレブンでは定番おにぎりの一つであるが、その「山賊」の名前はこの「いろり山賊」から来ている。ソフトボールくらいの大きさのおにぎりの中に、鮭、梅、昆布という昔からの定番具材が入っている。外で食べるというのがいい。2個注文してもよかったかなと思う。
他にいただいたのは、これも定番メニューの「山賊うどん」。今回はスープ代わりにミニサイズとした。あっさりした味わい。
さらには「山女塩焼」。こうした山村には川魚が似合うだろうと注文した。こちらは骨まで軟らかく、丸ごといただいた。料理はこの他にも多数あり、七輪での焼肉もある。一人で一気に全てを味わえるのは不可能。
食後、敷地内をぶらつく。恵比寿・大黒様がいるかと思えば観音菩薩もいる。さらには稲成神社、奥には地蔵菩薩もある。何でもあり、何とも面白い世界だ。なぜ前の広島勤務時に訪ねなかったのかなと思う。
何やかんやで1時間近くいたが、駐車場は満車、「いろり山賊」の受付には先ほど以上の長い列ができていた。いや、開店に合わせて来てよかった。
ともかく、遅ればせながら「定番」をクリアすることができた。他のメニューも含めて、また訪ねてみたいところである。シチュエーションとしては絶対に飲みたいところだが、ハンドルを握るなら無理な話。・・・何なら、岩徳線or防長バスでやって来るか・・・?
時刻はまだ午前中。これから帰宅するとして、せっかくなのでどこかに立ち寄ろうか・・・?
広島に移って、今後は中国地方を中心にあちこち回るところだが、気がかり、心残りがある。
それが西国四十九薬師めぐり。令和になってから回り始めて、「くじ引き&サイコロ方式」で7分の3に当たる21ヶ所まで来たところで広島に異動となった。大阪には帰省を兼ねて行き来することもあり、少し足を延ばせば十分回ることはできるが、これまでのようにエリアを細かく区切って・・となると満願まではかなり回数、日数を要する。
・・・人から見れば別にどうでもいいことだが、これまで設定していたくじ引きの区分けを、もう少し大括りすることにした。
大括りについては、現在3巡目の途中である西国三十三所も絡めることにする。これはこれで結構大変だ。
そして出来上がった新たな組み合わせは・・
1.奈良(般若寺、興福寺、元興寺、新薬師寺+西国9番興福寺)
2.橿原・名張(久米寺、弥勒寺)
3.高野山(龍泉院、高室院+西国3番粉河寺)
4.大阪(四天王寺+西国22番総持寺)
5.阪神(久安寺、昆陽寺)
6.北摂(花山院+西国25番清水寺)
7.播磨(斑鳩寺、神積寺+西国27番圓教寺)
8.丹波(達身寺、長安寺、天寧寺)
9.但馬(大乗寺、温泉寺)
10.湖東(西明寺、桑實寺、善水寺+西国31番長命寺、西国32番観音正寺)
11.南紀(神宮寺+西国1番青岸渡寺)
12.京都(法界寺、醍醐寺+西国10番三室戸寺、西国11番醍醐寺、西国19番革堂)
13.亀岡(神蔵寺+西国21番穴太寺)
14.大津(水観寺、延暦寺+西国13番三井寺)⇒これで満願
15.岐阜(西国33番華厳寺)
中には狭いエリアのものもあれば、西国三十三所との組み合わせで、しれっと紀伊半島一周、湖東を一気に5ヶ所回るなどハードなものもある。そこはとりあえず出たとこ勝負だ。
西国四十九薬師めぐりは、前回のくじ引き&サイコロの出目で、次に訪ねるのは上記1の興福寺、元興寺である。行くに当たっては、この2ヶ所に加えて、般若寺、新薬師寺も加えることにする。奈良交通バスも活用することになるだろう。また、上記14の大津は西国四十九薬師の満願となるので最後に、15の岐阜は西国三十三所3巡目の満願となるのでこれも最後として、いずれもくじ引きには入れない。
広島をはじめとした中国地方を楽しむが、関西もこうした形で・・・。
大阪では維持費やら生活スタイルの関係でクルマを手放し、さまざまなお出かけは公共交通機関、現地でたまにレンタカーを利用するくらいだった。
10月に広島に来て、住まいの周りの環境は何の不便もないのだが、肝心の通勤のほうで最寄駅からの距離がちょっとあり、そこまで歩くことは何ら苦にならないのだが、やはり雨が降ると鬱陶しいし、退社して帰宅する際は照明の少ない一角で、ちょっと不用心である。職場の人たちはほぼ全員クルマ通勤で、会社としても認める・・というより推奨している環境である。
ということで、異動してから早速にクルマの購入を検討した。お一人様だし、維持費のこともあるので軽自動車で十分である。
ネット検索で見つけたのが、日産のルークス(初代)。大阪では中古のキューブに乗っていたので、(別に日産ファンというわけではないが)今回も同じ日産となった。私にとって乗りやすい箱型タイプ、中古車としての価格(予算)、走行キロ、そして取扱いが日産の販売店だったことで即決した。
・・・いざ手にしてみると、今度はこれに乗ってあちこち出かけてみたいなという気持ちも沸いてくる。社会人となって一度目の広島勤務時代は親のクルマを譲り受けて、高速道路はお金がもったいないので国道を延々とたどって中国各地や九州に行ってみたり、野球観戦のために大阪や神戸まで行ったりと、いろいろやっていた。
何やかんや言って、今後はこれをパートナーとして出かける機会が多くなるのだろう。新たな楽しみ、武器・・・?